前回に引き続き、ゲストは車椅子バスケットボールの京谷和幸選手。
今回は恒例の10の質問で車椅子バスケ話などをあれこれと。
次のロンドンパラリンピックのときは40歳を過ぎているので大変だと思うが、チャレンジしたいという気持ちもあるし40のときの自分はどうなっているのかプレイヤーとして検証していきたいという気持ちもある。
30過ぎてからの体の衰えということは周りが言ってるだけであって、自分では正直衰えは感じていない。
考え方や食生活など改善出来るものもあるし、負荷をかけるトレーニングをやったら今までよりさらに体力は伸び、成長してる部分のほうが大きい。
食べ物は全面的に奥さんに任せているが、唐揚げや天ぷらなどの揚げ物は2年以上食べていない。
・・という話などがありつつ。
"(パラリンピックでは)必ずメダルを獲る?"という質問には、「・・・う~、はい、はいはい、はい」とかなり迷いながら答えていた京谷選手。
いわく、メダルを獲るという気持ちで選手は行くが、ランキング7位という日本の現状を考えたときに、もっとやらなくてはいけないことが沢山あると思う。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスが強く、そこから下のチームはあまり変わらないので5位になるのは出来なくはないと思うが、さらに一歩踏み込んでメダルを獲るためには、新体制になったチームの戦術などを選手全員で理解し浸透させ、大舞台でいつも通りの自分のプレーが出来るかどうかだと思う。
とのことでした。
で、
京谷 「あとは、その、チームの日本独特・・ま、サッカーでもそうなんですけども、敏捷性とか」
南原 「あ!?そうなんですか、おんなじ(笑)」
京谷 「バスケットでも一緒なんですよ」
南原 「「へぇ~~~!?おもしろいですねぇ」
京谷 「やっぱりあの、2メーター近い選手を相手にするためには、やっぱり、よりゴールより遠ざけるようなディフェンスをしなきゃいけない、それをいかに組織的に、日本人独特の敏捷性、俊敏性を生かしてディフェンスで守るかっていうことが、一番だと思います」
南原 「おんなじことですねぇ」
というやり取りも。
「へぇ~~~!?」と、今回も感心しながら京谷選手の話を聞いていた南原さん(笑)。
ただ、野球も日本らしいプレーでWBC2連覇しましたし、陸上でも為末選手は日本人の体に合った走りを追求していますし、どんな競技でも最終的に日本(人)らしさにたどり着く、というのは確かにおもしろい話です。
南原さんも日本の笑いにたどり着いてますし(スポーツではありませんが・笑)、日本らしさってナンだ!?というお題で各界のアスリートを一堂に集めて話を聞いてみたいところでありますが、そういう機会がなさそうなのがちょっと残念です。
その後は、
南原 「4問目、"今の自分があるのは妻のお陰だ?"これはもう素直に「はい」と」
京谷 「そうですね、これはホントに、自分の、ホントに人生を左右したと言ってもいいくらいな」
南原 「そうですよ」
京谷 「うん」
南原 「もうねぇ、もう京谷さんはいいから奥さんの話聞きたいくらい」
京谷 「ハハハハハハハ」
南原 「ハハハハハハハ」
というやり取りがあったり(笑)(京谷選手はもういいからとは思いませんでしたが、でも、南原さんの言うように奥さんの話もちょっと聞いてみたかったかも・笑)。
それから、
今こういう環境で車椅子バケットとか仕事をさせてもらってるのは家族のおかげ。
とにかく何をするにも家族を一番に考えている。
去年の正月に「パパもう一回ロンドン目指していいか?」と子供たちに言ったら、「頑張って」と言われたので「よしやろう」という気持ちになれた。
娘さんからは、カッコ悪いから絶対太らないでね、といつも言われる。
という話や、
将来はサッカーの指導者になりたい。
車椅子バスケもサッカーもスペース(を使う)競技で、スルーパスを出す感覚や平面だけではなく上の空間を使ってパスを出すなど、車椅子バスケにサッカーをみた瞬間があった。
サッカーだけの世界でやってきてる人間よりも違う世界に1回出てまた戻ってくるほうが視野が広く見えてくるのではないかと思うし、車椅子バスケでやってきたことをサッカー界に取り入れるのも一つの方法かと思う。
事故を起こしたときはサッカーが出来ない自分を想像出来なかったし、入籍をしたりしてそんなことを考えてる暇もなくサッカーのことはとりあえず置いておこうと思っていたが、ロンドンパラリンピックが終わった後くらいからは、少しずつサッカーのことを考えていきたいと思う。
事故を起こしてからいろいろな人に出会い、人との出会いによって人間的にひと回りもふた回りも成長させてくれた。
事故がなければ今の自分もないので、そう考えると事故も出会いだったのかなと思う。
という話などがありつつ。
最後は、10月に行われる千葉国体についての話、
南原 「ま、ここの成績とかやっぱり日本代表の成績に加味されるというか」
京谷 「そうですね」
南原 「はい」
京谷 「ここでもしっかり、自分のやることしっかりやって」
南原 「はい」
京谷 「日本にはまだまだ京谷が必要だと」
南原 「(笑)」
京谷 「思われるようなね(笑)、プレーしていかなきゃいけないなと」
南原 「ねぇ、今まではこう、若さんときは調子よく「あぁ京谷頼むよ」って言ってたのが、だんだんだんだん「いや、あの人もだんだん歳いってきたからそろそろじゃない」っていう」
京谷 「そういうのあると思います(笑)」
南原 「声を打ち消すためにも、「いや~アイツは、日本代表アイツは」」
京谷 「まだまだと、そういうなんか自分が好きなんですね、何かそういうものに挑む自分が」
南原 「いつもチャレンジして」
京谷 「ねぇ、おかしいんですけどねぇ、(笑)」
南原 「そこはスポーツマンですよ」
京谷 「ねぇ」
南原 「えぇ、その気持ちがあるうちはですね」
京谷 「はい」
南原 「どんどんどんどん現役で頑張ってもらってまた次の夢へ進んでいってもらいたいと思います」
京谷 「はい」
南原 「今日のゲストは、京谷和幸さんでした、どうもありがとうございました」
京谷 「ありがとうございました」
というやり取りで、番組は終了。
車椅子バスケの話等々、和やかに話に花が咲いてた30分でありました。
今回は恒例の10の質問で車椅子バスケ話などをあれこれと。
次のロンドンパラリンピックのときは40歳を過ぎているので大変だと思うが、チャレンジしたいという気持ちもあるし40のときの自分はどうなっているのかプレイヤーとして検証していきたいという気持ちもある。
30過ぎてからの体の衰えということは周りが言ってるだけであって、自分では正直衰えは感じていない。
考え方や食生活など改善出来るものもあるし、負荷をかけるトレーニングをやったら今までよりさらに体力は伸び、成長してる部分のほうが大きい。
食べ物は全面的に奥さんに任せているが、唐揚げや天ぷらなどの揚げ物は2年以上食べていない。
・・という話などがありつつ。
"(パラリンピックでは)必ずメダルを獲る?"という質問には、「・・・う~、はい、はいはい、はい」とかなり迷いながら答えていた京谷選手。
いわく、メダルを獲るという気持ちで選手は行くが、ランキング7位という日本の現状を考えたときに、もっとやらなくてはいけないことが沢山あると思う。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスが強く、そこから下のチームはあまり変わらないので5位になるのは出来なくはないと思うが、さらに一歩踏み込んでメダルを獲るためには、新体制になったチームの戦術などを選手全員で理解し浸透させ、大舞台でいつも通りの自分のプレーが出来るかどうかだと思う。
とのことでした。
で、
京谷 「あとは、その、チームの日本独特・・ま、サッカーでもそうなんですけども、敏捷性とか」
南原 「あ!?そうなんですか、おんなじ(笑)」
京谷 「バスケットでも一緒なんですよ」
南原 「「へぇ~~~!?おもしろいですねぇ」
京谷 「やっぱりあの、2メーター近い選手を相手にするためには、やっぱり、よりゴールより遠ざけるようなディフェンスをしなきゃいけない、それをいかに組織的に、日本人独特の敏捷性、俊敏性を生かしてディフェンスで守るかっていうことが、一番だと思います」
南原 「おんなじことですねぇ」
というやり取りも。
「へぇ~~~!?」と、今回も感心しながら京谷選手の話を聞いていた南原さん(笑)。
ただ、野球も日本らしいプレーでWBC2連覇しましたし、陸上でも為末選手は日本人の体に合った走りを追求していますし、どんな競技でも最終的に日本(人)らしさにたどり着く、というのは確かにおもしろい話です。
南原さんも日本の笑いにたどり着いてますし(スポーツではありませんが・笑)、日本らしさってナンだ!?というお題で各界のアスリートを一堂に集めて話を聞いてみたいところでありますが、そういう機会がなさそうなのがちょっと残念です。
その後は、
南原 「4問目、"今の自分があるのは妻のお陰だ?"これはもう素直に「はい」と」
京谷 「そうですね、これはホントに、自分の、ホントに人生を左右したと言ってもいいくらいな」
南原 「そうですよ」
京谷 「うん」
南原 「もうねぇ、もう京谷さんはいいから奥さんの話聞きたいくらい」
京谷 「ハハハハハハハ」
南原 「ハハハハハハハ」
というやり取りがあったり(笑)(京谷選手はもういいからとは思いませんでしたが、でも、南原さんの言うように奥さんの話もちょっと聞いてみたかったかも・笑)。
それから、
今こういう環境で車椅子バケットとか仕事をさせてもらってるのは家族のおかげ。
とにかく何をするにも家族を一番に考えている。
去年の正月に「パパもう一回ロンドン目指していいか?」と子供たちに言ったら、「頑張って」と言われたので「よしやろう」という気持ちになれた。
娘さんからは、カッコ悪いから絶対太らないでね、といつも言われる。
という話や、
将来はサッカーの指導者になりたい。
車椅子バスケもサッカーもスペース(を使う)競技で、スルーパスを出す感覚や平面だけではなく上の空間を使ってパスを出すなど、車椅子バスケにサッカーをみた瞬間があった。
サッカーだけの世界でやってきてる人間よりも違う世界に1回出てまた戻ってくるほうが視野が広く見えてくるのではないかと思うし、車椅子バスケでやってきたことをサッカー界に取り入れるのも一つの方法かと思う。
事故を起こしたときはサッカーが出来ない自分を想像出来なかったし、入籍をしたりしてそんなことを考えてる暇もなくサッカーのことはとりあえず置いておこうと思っていたが、ロンドンパラリンピックが終わった後くらいからは、少しずつサッカーのことを考えていきたいと思う。
事故を起こしてからいろいろな人に出会い、人との出会いによって人間的にひと回りもふた回りも成長させてくれた。
事故がなければ今の自分もないので、そう考えると事故も出会いだったのかなと思う。
という話などがありつつ。
最後は、10月に行われる千葉国体についての話、
南原 「ま、ここの成績とかやっぱり日本代表の成績に加味されるというか」
京谷 「そうですね」
南原 「はい」
京谷 「ここでもしっかり、自分のやることしっかりやって」
南原 「はい」
京谷 「日本にはまだまだ京谷が必要だと」
南原 「(笑)」
京谷 「思われるようなね(笑)、プレーしていかなきゃいけないなと」
南原 「ねぇ、今まではこう、若さんときは調子よく「あぁ京谷頼むよ」って言ってたのが、だんだんだんだん「いや、あの人もだんだん歳いってきたからそろそろじゃない」っていう」
京谷 「そういうのあると思います(笑)」
南原 「声を打ち消すためにも、「いや~アイツは、日本代表アイツは」」
京谷 「まだまだと、そういうなんか自分が好きなんですね、何かそういうものに挑む自分が」
南原 「いつもチャレンジして」
京谷 「ねぇ、おかしいんですけどねぇ、(笑)」
南原 「そこはスポーツマンですよ」
京谷 「ねぇ」
南原 「えぇ、その気持ちがあるうちはですね」
京谷 「はい」
南原 「どんどんどんどん現役で頑張ってもらってまた次の夢へ進んでいってもらいたいと思います」
京谷 「はい」
南原 「今日のゲストは、京谷和幸さんでした、どうもありがとうございました」
京谷 「ありがとうございました」
というやり取りで、番組は終了。
車椅子バスケの話等々、和やかに話に花が咲いてた30分でありました。