呑み歩き中。3軒目に選んだのはここ!なのであった。
みなと神戸に大仏さんがいらっしゃるって、そんな凄い情報を小耳にしたから。
そこは、兵庫大佛”能福寺”。
延暦23年(804年)桓武天皇の勅命を受けて、唐の国(志那)に留学された
傅教大師最澄上人は、その帰路、兵庫の大和田の泊(今の兵庫港)に上陸。
庶民が歓待し、堂宇を建立して佛教の請うたのだ。
最澄上人は薬師如来のご利益を説き、自作の像を安置。
国の安泰、庶民の幸福を祈って、自ら能福護国密寺と称された。
延暦24年6月、傅教大師の我が国最初の教化霊場となる。
なんと!この兵庫大佛って、日本三大仏の1つ。って凄いことではないか。
奈良県の東大寺の大仏。神奈川県の鎌倉市の高徳院の鎌倉大仏。
大仏っていったら思い浮かぶの。『三大仏』って、大きな大仏のトップスリーが
選ばれていただなんて知らなかったわ。
明治24年5月に初代が建立され、『金属回収令』で解体??
平成3年5月に再建された、アラサー大仏。
一切の怨念と欲心を捨て、清らかな謙虚な心をもって、一心にご真言をお唱えし、
誠を捧げてお祈りしたら、願いを必ず叶えてくれる、一願成就の大佛さまです。
明治維新、神戸事件というのは、とっても有名な事件だったらしい。
日本が外国に植民地化されるのを、未然に防いだのが、享年32歳、
外国人たちの面前で切腹した、備前藩士、瀧善三郎正信の慰霊碑がこちら。
神戸事件は、明治政府初の外交問題。
切腹っていう備前藩士の最終的な解決策に、外国人は面食らったことかと思う。
なんと!こんな歴史があったとは。
近頃、時代小説が好き。維新辺りも読んではいても、その後の話がどこに書かれてる?
まだまだ勉強せねば。史実から展開してく物語が面白くって仕方ない。
若い時分に、もっと日本史をしっかり学んでおくべきであったって悔やんでる。
平清盛って名前は・・・なんとなく知ってるが。武家初の太政大臣になった方。
『平氏にあらずんば人にあらず』。源氏に勝利したとか・・・その位しか知らないが。
平相國廟は、将軍、平清盛公墓所なのであった。
平清盛は福原京遷都を計画していた、その当時、この能福寺を平家の祈願寺とし、
仁和3年(1168年)には、このお寺で剃髪し、
亡くなった後は、この能福寺の領内に埋葬されたとのこと、ここにしかないお墓です。
本殿は、歴代皇族の墓所として知られる、京都東山月輪御陵の拝殿を、
昭和29年に九條家より拝領し移築したもので、歴代天皇が参拝なさった由緒ある建物。
九條侯爵家は大正天皇の御妃、貞明皇后さまのお里方っていうお家でした。
その名は『月輪影殿』。
他にも、歴史を学べるポイントが有るのですが・・・。
また、次回にしましょう。書くにあたって調べていたら、色んなお話が
わんさと出てくるではないですか。また行かなくっちゃ。辿り着くかしら。
と~っても良いとこでした。おススメ!
兵庫津 宝積山 能福寺
兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
お電話 078-652-1715