高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

人材育成雑感

2016-12-26 16:29:57 | 日記

JICA(独立行政法人国際協力機構・北海道国際センターからのヒアリングを受けた。 なんでも、海外への一方方向の支援だけでなく、日本国内との還流・相互循環型の事業を地域創世と掛け合わせてできないだろうかとの調査のようだった。 国際交流がメインの聞き取りかと思ったが、むしろ、「人材育成」についてがテーマであった。

NPOねおす、そして解散後の各所各拠点でも「人が育つ場づくり」はねおすグループ全体の核心的ミッションである。 総じて「そだちば」と呼んでいる。 旧ねおすは、直接・間接的に、独自・連携的に委託・受託関係的にさまざまな人材育成の仕組みを構築してきた。そして、多くの人材を世の中に輩出してきたと自負している。この理念は各所にも引き継がれていると信じて疑わない。

おかげて、「ねおすは人を育てるのが上手だ」という評価を頂くことがある。今回のヒアリングもどのように人を育てているのか、が主題だった。 

かつて北海道自然体験学校NEOSは、もともと人材育成の専門学校で立ち上がった。そもそも民間社会教育機関なのである。アウトドアインストラクター養成コースを社会体育専門学校の中に設置してその運営を担うところから始まった。 年間100万円の授業料を戴き、多い時は10名ほどの学生がいた。その時期は実に丁寧に座学カリキュラムを作っていた。動物、植物、魚類、北海道学、生態、地図読み、気象、コミュニケーショントレーニングといった座学があり、海川山への実技実習、子どもの自然体験活動、山岳ガイド補助など野外実技や野外生活技術も広範に渡って行っていた。 また、黒松内ぶなの森自然学校の設立期には、黒松内町から自然ガイド養成のための補助金も頂き、手厚く座学講習も実施していた。

しかし、あるとき気がついた・・・。

どんなに自然の知識があり野外活動スキルがあっても、それだけではお客さんはつかないし、その地域にも溶け込めないと。 また、自然ガイドだけで生計を立てるのは難しいと。

その結果として、知識ベースの養成から、仕事と暮らしが一緒になったようなOJTが最も「人」を育てるのに良い方法だと。 つまり、人が育つ「場」づくりが大切だと。そして、「学び方を学ぶ」という姿勢と態度づくりが重要だと。

なので、「人を育てている」というより、「人が自ら育つ環境」づくりに熱心に取り組んで来たと言えるかな。

昨今、21世紀型スキルとして、コンピテンシーなる概念が提唱されている、次の教育指導方針を決める教育審議会でも話題にあがっており、その評価方法としてルーブリック評価という概念もあるらしい。

思えば、ねおすのスタッフの目標設定では、稚拙ながらもこのコンペテンシーとルーブリック評価に近いものを10数年前から創り、それを指標にしていたことに、最近気づいた。

コンピテンシーの概念については、こちらのブログをどうぞ⇒http://blog.goo.ne.jp/haruneos/e/ec31a025fcbc7640bfc40f37092c991d

 実際に多くの(当時?)若者達が、ねおすの仕組みを通過して社会で活躍していること、あの大混乱の東日本大震災の初期の現地支援に次から次にスタッフを波状的におくりこんで短期間で支援体制を構築できたこと等を鑑みれば、この手法は間違っていなかったと思えるなあ・・・、と手前味噌なことに思いを馳せる師走なり。

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お菓子か玩具か。

2016-12-26 13:02:41 | 日記

只今、ぶなの森自然学校には私達夫婦以外に4人の20代と20代にみえる若者がスタッフでいます。 夕食は私の連れ合いが作った料理を土日以外は一緒に食べています。土日に催事・プログラムが入りゲストがいれば、その時も一緒に食べています。俗にいう夕食の団欒があります。考えてみれば、これはたいへん幸せなことであります。 本日はクリスマス、なんとなくクリスマス風の夕食となりました。 一段落ついて、クリスマスだから???、TTMが(試しに)買ってきたお菓子づくりのおもちゃ製作となりました。

その名は、たのしいおすしやさん と たのしいおべんとう。 粉を水で溶いてゼラチン質のお菓子のグミのような食感の食べ物を作ります。化学合成物は入っていないというふれこみには一応なっています。にしても、本物そっくりの色合いになるので、合成着色料は入っていると思えるなあ。 理科の実験のようで材料の状態が変化させてゆくおもしろさはあるのですが、説明書き通りの手順でやらねばできあがらない。つまり創造性がない。本当の料理にもレシピという手順はありますが・・・、調味料の多少の加減でも味が大いに変化します。しかし、この材料は水の加減はありますが、同じ味にしかならない。 どうもこの手の玩具?は、私は好きになれない。 

イクラやマグロはかなりリアルな形状と質感となるが、味は甘いグミ系のお菓子。すしのネタもシャリも本物ではない。しかし、これらは食べられるものでもある・・・。 ままごとと、いえばままごと遊びなのだから目くじらをたてる必要もないのでしょうが、ままごと遊びは食べられないものを食べられるようにゴッコ遊びをするという空想性がある。

やっぱり、これは子どもにとって、良い遊びとは言えないのではだろうかと、爺さんは懐疑的に考えてします。

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