高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

小林さん逝く

2021-06-19 11:44:46 | コラム風味

人伝で小林さんがなくなっていたことを今日、知りました。 合掌。

 小林董信さんは、私にとっては勝手に兄貴分のような方でした。特定非営利活動法人の先導役、つまり日本のNPO活動の広がりを生み出した方のお一人です。 特に情報が本州に比べて遅れがちであった北海道において、全国の先駆者、先駆けの方々とネットワークを張り、一度はかつての自民党政権下で「市民活動法案」として上程され否決された法案を全国運動を持って日の目をみさせた立役者でもあります。

NPO(Non Profitable Organization)は、1995年の阪神淡路大震災の支援に大勢の民間支援団体がかけつけ活躍したことによってその存在に脚光が当たりました。しかし、それらの団体をカバーする法人法律がまだ日本には存在をしていませんでした。これをきっかけにして、海外事例も調査研究し、改めて「特定非営利活動法人/NPO」に関する法律が1998年にできあがりました。 北海道では、「NPO推進北海道会議」という道内ネットワークが立ち上がり、その推進役として小林さん等がいました。

その頃の私は、社会体育(具体的にはスポーツクラブのインストラクター養成)を仕事とする民間会社に所属しており、専門学校経営に携わっていました。そのひとつのコースとしてアウトドアインストラクター養成コースをつくり、その実践を行う北海道自然体験学校NEOSを立ち上げ任意団体として子供向けの自然体験活動や山岳や自然へのガイド事業を始めていました。 

震災支援へは日本各地の自然体験活動をしている団体が駆けつけましたが、私達の事業はいち会社の付属事業のような位置づけだったので、会社の理解が得られずに、現場には駆けつけることはできませんでした。なので支援募金集めをしました。(この前後のエピソードもいろいろとありますが、それはまた別の機会に記します・・)

このことは、自分達の活動が単なる自然愛好を促進するような趣味的なものだけではなく、もっと社会的な活動意義へ目覚めさせることにもなりました。 そんなもんもんとしている時期に、小林さん等が私を見つけ出してくださいました。

NPO活動を推進広げようとする北海道のネットワーク団体「北海道NPO推進会議」の集まりにお声がけを頂きました。(直接のお声がけは、シアターキノ・・当時のエルフィンランドの中島さんからだったと記憶しています) 札幌にあった炭労会館という名の社会労働運動の拠点のような(ちょっと薄暗いアジトのような・・)建物で開催されていて、私より年長の兄貴姉御格の方々がたくさん居て、気後れして最初はちょっと場違いなところへ来てしまった感があったのが正直なところでしたが、市民による市民のための社会活動の機運を高めようという人たちの熱い思いにとても感化されました。

そして、私がやっている活動も「より良い社会を造るための意義」があるものにすべきなんだと背中を押されました。

NPO法案が国会を通過し、活動団体の法人化への道が開かれました。 会議からはNPO活動を中間支援する「北海道NPOサポートセンター」が生まれ、小林さんは初代事務局長に就任をしました。

北海道でのNPO法人申請が始まり、その最初の申請を このサポートセンター、富良野演劇工房と、ねおす(北海道自然体験学校NEOSは、アルファベットでの法人登記ができないという、変な規則があったので、あきらめて・・私達も新生することを念じて、登記名は、ねおす と、なんか気をてらって新しそうな名前へと安易に決めちゃいましたが)の三団体で同時に行い記者会見もしました。

当時、北海道が全国的にも登記申請受付が早かったので、我々は全国でも1,2番目の認定を受けるはずでした・・。はずでしたというのは、ちょっとした申請書類上のミスがあって即受理されたのは、演劇工房だけでした。それを修正してねおすは二番目に、サポートセンターは三番目に受理されたのでした。受理されればあとは認定は時間だけの問題だったので、結果的には、演劇工房、ねおす、サポセンの順番で北海道初のNPO法人が誕生したのでした。

自然体験活動の業界においても 「えっと? なんでNPOなの?」と言われる時代でしたから自然体験、環境教育の分野においても日本初のNPOであったと自負しています。

ともあれ、小林さんや北海道会議の先輩方に出会うことがなかったら、ねおすの社会的な立ち位置を持っての発展はなかっただろうし、今のワタシも「今のよう」ではなかっただろうと思えます。小林さんは人生の恩人であります。

慎んで心からお悔やみ申し上げます。  合掌・・・。

コロナ禍もあり、また、人が大勢集まるような大ごと催事はあまり得手ではなかったお人柄だったようなので・・、ご葬儀はごく近親者でされたようです。さりとは言え、お世話になった多くの人達にとっては、このまま遠隔のままでサヨウナラではあまりにも寂しいので、なにかしら計画はしたいと思っています。 良く行わるような「偲ぶ会」というよりも、「追悼フォーラム」として未来につながること、 あるいは、NPO貢献小林賞みたいなNPO活動奨励賞みたいなものを創設して1年に1,2団体を表彰する制度などはいかがかなと残された仲間に提案したいと考えています。

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