高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

馬と暮らす

2021-11-08 13:05:43 | 日記
「馬と暮らし」始めたのではないのですが・・、ご縁つながりで、黒松内の添別ブナ林のビジターセンターと自然学校の二箇所で11月6-7日とイベントを開催しました。 隣町の豊浦町で馬と暮らす農耕生活をしている BIG鈴木さんが息子のHKTの音楽仲間であり、何か馬のイベントが開催できないかということになり、一日目は黒松内教育委員会が事実上管理しているビジターセンターで協働開催。二日目は自然学校で独自開催をしました。

馬に畳を引かせて、その上に立ち乗る、BIGさん曰く ユーエムエー(UMA/うま)ライディング、馬との綱引き、裸馬乗馬などをしました。 二日目は、会場を自然学校に移して、音楽ライブや息子の嫁のネパール人RADHKAのネパールカレー販売もしてひと時をすごしました。

前日は秋晴れで当暖かくさわやかでしたが、二日目は曇空でちょっと肌寒くもありましたが、焚き火も焚いて、地域のお年寄りもお招きしました。
 
お年寄りは参加してくれるのですが、自然学校周りの子育て世代がなかなか参加してくれないのが、ちょっとさびしいなぁ。 街中の親子づれは来るんだけで、なぜなんだろう。 なんとなく、自然学校が開催する催事は、年寄り向けみたいな雰囲気が定着してしまっているような気がします・・・。
 
 
北海道では昭和30年代までは、どの農家でも農耕馬として2,3頭の馬を飼って一緒に暮らしていました。トラクターにとって代わる前は5-60万頭の馬が農業や林業で活躍をしていました。 旧ねおす出身者にも馬を飼っている人が実は多くいます。 馬耕も馬搬も技術であり、馬方さんは一緒に暮らしていました。
 
「生産性や効率が悪いだろう・・、この青年等はどうやって稼いでいるのだ??」なんて疑問符が、ちょっと私の上の世代・同世代(60-70代)からの感想が聞こえてきますが、その上の世代は懐かしさもあるでしょうが、そんな言葉は出てきません。 馬を生活の相棒として一緒に暮らしてきた爺ちゃん・婆ちゃん世代は、その大変さを知っているがゆえに、わざわざ今の時代に農耕・馬搬技術を継承しようとする若者に「暮らす・生きる」ことへの実感が共有できて、共感があるのかもしれないなあ・・と、新旧の馬の飼い主さんの会話を横で聞いていました。
 
15年ほど前に道北中頓別で、地域のお年寄りからの聞き取りをし、文章づくりをする仕事をしたことがあったのですが、その生活の苦労話を90代のお年寄りから聞きました。やれ「ストーブに乗せていた湯を沸かしていた鉄瓶が、朝の冷え込みで水が凍り、鉄瓶が割れた」とか、草木葺きの屋根から星が見えたり、雪が舞い散って来たとか、冬の川を馬そりを引いて渡るために、川に小枝を敷き詰め凍らせた「しばれ橋」を作った、馬搬から落ちて大怪我をした・・、山の水源へ毎日水汲みに行かされた・・などなど、 有島武郎さんの小説「カインの末裔」に描かれているような生活が実際にあったのだと、実感しました。
 
今は高断熱な立派なおうちの居間でお話を聞きました。そして、最期に質問をしました・・。
「昔と比べて、今の生活はどうですか・・」と、アホな質問。
 
そしたら、その100歳近いお爺さんは・・・、
「うんだな・・、もいっぺん、やってみたいわな。」 と、応えたのでした!!
 
 
 
 
 
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