気がつくともう、9月。ついこの間、大雪の中の正月だったのに・・・。 今年もあと120日・・・。
地球は24時間で回ると誰が決めたんだろう? 60進法がかなり都合よく宇宙の動きを説明しやすかった?
いずれにしても、時は人が決めた人が暮らすには便利な基準だ。
その長さ「時間」の感覚は、ある人には早く、ある人にはゆっくりと感じることがある。子どもと年寄でもその流れ感は異なる。
最近では、あっという間に誕生日がやって来てしまう。ついこの間、50歳になったばかりなのに、えっ、100日後は58歳だ!
以前よりも年齢を意識するようになったかもしれない。
こう書くと、いかにも忙しそうに聞こえるかもしれないが、あたしは1年を3年、5年分生きているような気がしているので、5分を15分、25分でゆっくりと生きているかもしれない・・・。
これまで、複数のスタッフが、「もっとゆっくりとした生活をしたとい」と、職場を離れていった。 私の一見忙しそうな生き方、突っ走りに伴奏していて、息が切れそうになったからかもしれない。
先日、その元スタッフと、ほろ酔い加減で話す機会があった。
「ねえ、ゆっくりしたいとやめたけどさあ、俺はさぁ、いつも忙しく見えるかもしれないけどさあ、実は、けっこうゆっくりと生きているんだなあ。」
「・・・・・」
「わからないよなあ、俺の言っていること。 でもね、この仕事を続けていれば・・、40代、50代になったらわかるよ」
「・・・・・」
「あー、高木が言っていたことは、こういうことだったんか、正しかったって、そう思う時がくるよ、絶対に!」
と、酔眼で見つめて、おじさんは、言い切ってしまいました。
時間って、感覚的なものですから、日常の生活サイクルだけに、自分を合わせていては、忙しいと感じてしまいます。
時には、季節というサイクルに、時には宇宙というもっと大きなサイクルに、時間感覚をチューニングできると、別の時間軸に、「自分」を乗せることができるようになります。 すると、通常時間で計る一日が、別の時間軸で何日、何十日分も生きたと感じられるんだなあ。これは、初めての体験の密度にもよると思います。 子どもの頃は、学校が終わって、遊びまわって夕食までの時間が、随分とあったと感じますよね。
ちょっと、お月さんを見上げた時、30秒くらいかもしれないけれど、1時間くらい見ていた位の時間密度が凝縮している時があります。
だから、あたしがこれまで生きてきた「時間」を 人間時間だけに換算すると・・・、
たぶん、もう300年分くらいは生きているなあ・・・とも思います。
時の流れに任せるんでなくて、意識的に、いろいろな「時」を流すのです。
だから、ゆっくりなんだなあ。
これって、わかるかなあ・・・・・
なぜなら、今日みたいに「なるほど~」とか、「そうだよな~」と、気付きや共感を与えてくださるから、です。
また、自然や子どもたちの写真で和ませてくださったり・・もね?
誰かが、時間の観念は時間を年齢で割ると分かりやすい、と言ってました。
10才の子どもは、365日÷10=36.5日
…1年を1ヶ月チョッとに感じる。
61才の私は、365日÷61=6.0日
…1年を1週間より短く感じる。
そんな気もしないではない算数ですね?
しかし、「1年を3年、5年分生きているような」高木さんなら、
365日÷58×(3~5)=18.8~31.5日
…ん~、中高生の時間感覚でしょうか?
時間って、考えているとき、行動しているとき、何かに没頭しているとき、漫然とテレビを見ているとき、・・たとえ同じ1時間でも、その感覚がぜんぜん違いますね?
高木さんのように、「300年分くらいは生きている」感覚で生きれたら・・、と願っています。