高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

なぜにして自然活動を仕事にしたのか? その1

2023-01-04 15:36:26 | コラム風味
自然体験活動を仕事に30年以上してきて、レジェンドなどとたまに言われたりしていますが・・、そんな爺さん等の半生を書き起こして冊子にしてあげようというスペシャルな企画がありまして、年末に数回、インタビューを受けました。なかなかよい機会であり、あれ、あんなことが今のアタシの人生に影響があったんだと自分でも気がつけました。

そして、若い頃、子どもの頃の写真を送って欲しいと編集者に頼まれていたのですが、高校時代や山岳ガイドをしていた頃の写真なんぞ残っているかなあ・・と、探すのを後回しにしていましたが、今日さっき、古い写真アルバムをひっぱり出してきたら、意外とありました。
 
どうして、自然活動を仕事にしようと思い実現してきたかと思うと、幼少期から中学・高校と私を自然に連れ出してくれた身近なおとな達がそれぞれの時期にいたことを思い起こしました。
 
まずは、幼少期
生まれは千葉県船橋市西船にある浅間神社の境内に隣接した生家でした。鎮守の森があり遊び場所にことかきませんでした。小学校時代は学校から帰ってくれば暗くなるまで、その森の中を駈けずりまわっていました。神社の石段の横にある松ノ木に登り枝が折れてみごとに転落し、2,3日寝込んだことがあったなあ。飼い犬が死んだときは、親父と森の中に穴を掘って埋めた。 幼児期は海神保育園 ここは徒歩15分くらいでその地にしては商店街の中にありましたが、保育士さんが課外に近所の沼地や林に小人数で連れて行ってくれました。 ここでミズカマキリを捕まえたことは今でも感動した思い出として記憶に張り付いています。 先生もきっと、「すごいねー、よくやったねー」と存分に褒めてくれて、私の自己肯定感をおおいに育んでくださったんだな・・・。
 
幼児、小学低学年の頃は、高台から東京湾や富士山も見え、田んぼや畑ばかりだった。が、首都の衛星都市だったので、どんどんと開発されて住宅地となり駅周辺にはビルが建っていきました。 そんな環境の変化をまざまざと体験した世代です。
 
 
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