高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

探検・巡検

2022-03-11 11:22:46 | 黒松内・寿都
3月10日
国道229の岩内から寿都の海岸線沿いに雷電温泉がありますが、随分前に閉鎖されて廃屋になっています。大きなガラス張りの展望大浴場があります。今も国道から見上げることができるのですが、その「内部が植物が繁茂していてジャングルのようになっている」との噂情報があるので、三木師匠と確認にゆきました。

が・・・。


大きな展望ガラスは、割れていて(心無い輩が破壊したのだろう)て、廃墟化しているだけで植物はなかった。 隣接する加藤旅館の露天風呂も同様にガラスが破壊されていて、露店風呂は凍っていました。でも、内風呂には地下水にしてはちょっと温かいかなと感じる冷泉がまだ吹き出していましたが、植物はありませんでした。  あとあと友人のINR情報によると、この加藤温泉の廃業後と思われる写真がツイッターに出されており、それは苔らしき緑が繁茂していた幻想的な写真だったらしいとのこと。 ガラスが割れて冬の寒風極寒のためにコケ類さえ消滅してしまったのかもしれないな。 夏に覗きにゆけば緑もあるかもしれない。
 
そして、もう一箇所、伝聞情報だけだった、岩内にあるという大仏さんを拝みに足を延ばした。 観光協会へまず行って聞くと、それは 帰厚院というお寺であるそうで、さっそく探しにゆきました。 バカナビに振り回されてクルクルと市街地を徘徊しましたが、そのお寺を見つけました。
 
あった!!
なかなか立派なお大仏様でした。 なんでも鎌倉以北で最大であるらしいです。 御本尊のお釈迦様はこの大仏様のおなかのなかに奉納されているとのことでした。 このお寺さんは今でもコミュニティ性が高く、地域向けのいろいろなイベントを定期的に、たとえば、カレーライスの日、駄菓子屋の日など、開催をしているとのことです。
 
夏目漱石が岩内に戸籍をおいたという話も聞きました。(1892年・明治25年4月5日~1914年・大正3年6月2日までの22年間も岩内郡民であった) このお寺ではないのですが、当時の北海道はまだまだ和人が押し寄せていた開拓時代で、北海道戸籍の若者は徴兵を逃れることができたらしい。(食糧生産、資源開発のため)・・、そのためという説もあるらしい・・、しかし、実際には移住し住んだことはなくて、東京で新聞社に勤めたり、ヨーロッパへ留学もしていたという事実があります。徴兵制度が解除されて再び戸籍を東京に戻しました。 常時戦時下みたいな時代に簡単に戸籍の移動はできなかっただろうに、岩内在住の三井財閥系の御用商人に紹介を繋げてもらったらしい。 著名な誠実文豪というイメージがくずれてしまうようなエピソードだなあ・・。
 
その戸籍を作った港に近いその地番には、近年の建立であるが記念碑が建っているらしいので、これも伝聞ではなくて、この目で確かめに行ってこようと思う。
 
 
 
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