9年目の3.11がやってきた。 あの時は次女の結婚式だった。式を待つ控え室では揺れはほとんど感じなかった。 ニセコの教会での式を終えてホテルでの披露宴が始まったが、私はまったく事態に気づくことがなかった・・・。親族との二次会を終えて宿の部屋にはいったのは深夜、TVをつけて・・・驚愕した。いったい何が起こったのだ・・と。
翌3月12日、自然学校に戻るとスタッフはTVに釘付けになっていた。 釜石出身のスタッフのKMKがいるからだ。 被災地のニュース映像は次々に入ってくるが、釜石の状況はわからない・・・。リアス式海岸地形だから津波は回避されたのだろうか・?? 悶々とした時間がすぎた。 そしてお昼頃だったろうか。釜石のアーケード商店街に津波が押し寄せる映像が流された。
どうするか・・、しばし、逡巡したが、KMKの実家親族が無事か?! 連絡もつかない・・。 これは「行くしかない」 その時、青函連絡船も止まっており北海道は孤島になっていたのだ・・。函館の仲間になんとかフェリーの乗船券を確保するように指示を出し、15時過ぎには、KMKと私に星山さんとワゴン車に載せられるだけの食糧、毛布などを満タンに積み込んで、ともかく函館に向けて出発した。
その夜、再開したフェリーの一番船になんとか乗り込み、13日には現地に入ったのでした。 以来、旧ねおすあげての救援支援の活動が開始されたのでした・・・。