高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

東京のとまどい・・・

2006-07-14 21:50:16 | 日記
 今日は、北海道も暑かったそうですが、日中の東京・千葉は、猛暑でした。でも気温は30度くらいらしい。しかし、アスファルトの上やビルの谷間は、そんなもんではないな。 昔、インドに行ったとき、40度以上あり、太陽に焼かれているような感じでしたが、東京や千葉は、蒸し焼きにされているみたいでした。 これからもっと暑くなり、それが続くなんて・・・。 千葉出身なのに、体は完全に北国仕様になっている自分を感じました。

そんな中、いろんなことにとまどいました・・。すっかり田舎仕様でもあります。

・JRの発券機の初期画面がSICAと大きく書いてあって、どうしたらいいのかととまどった。画面の右下に小さく「現金」のクリックがあった。わかんねぇべさ!

・ともかく追い抜かれる。歩くスピードが速い。私は暑くてデレデレしてた。
・山手線に、貨車車両がある。(椅子がない。前は通勤時間だけだった?)
・あんなにまずかった水がうまくなっている・・ なにか混ぜてんの?
・相変わらず、混んだ車内でイヤホーンからうるさい音楽がもれる人多し。
・ともかくも、野外に座るところがない。駅も・・・
・飲み屋が狭い!!!

北海道は、なまら涼しくて、快適だべさぁ!!

もっと、「クールな大地」を売り込むべきだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祖母・・・・

2006-07-14 21:35:58 | 日記
 祖母のお参りができた・・。 霊安室の大きな冷蔵の棺に安置されていました。93歳。長く療養していたからか・・、小さな体を見るとちょっと切なかった。その後、叔父の家に弔問へ。

 19歳まで私は、千葉の船橋におりました。祖母の家は、実家から歩いて15分ほど。住宅が密集している地では、今でも大きな敷地の家ですが、子どもの頃の思いでは、それはそれは、遊び回るには広すぎるくらいのたいそう大きな家だったように記憶しています。 

 お袋が亡くなったのは、19歳の時(実際は20歳でしたが、8ヶ月、意識がありませんでした・・)。 その時期に、祖母はお袋の実母でないことを親戚から知らされました。 つまり、私とは血のつながりがない。 それはそれは、ショックでした。その言葉を受けた場所と場面が今でも思い出せます。 そんなことは、まったく知らぬまま成人まで過ごしていたのです。

 考えてみると・・、父方のおばあさんも私が生まれた時には、すでに他界したいたので、血のつながった祖母に私はあったことがないんだなあ・・・。お袋もおばあさんになるまえに、私よりずっと若くして死んだのだなあ・・・。 と妙な干渉にふけりました。

 でも、義祖母は、とてもやさしい人でした・・・。

***
実家も近くなので、80を越えた おやじ殿にも ちょっと会ってきた。
体の心配もあるけど・・・とりあえずは元気そうでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする