高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

続 なぜ山に登るのか・・

2022-01-15 10:32:25 | 主義・主張

昨日のFacebookにブログと同じ文章をアップしたところ、色々とコメントを頂き、さらに思い出すことあったので、続けます。

私が山登りを始めたのは、子どもの頃に両親がたまにハイキングに連れ出してくれたことにあります。覚えている最初の思い出は京都の鞍馬山です。大阪に住んでいた頃ですから小学5年生くらいだったかな。 天狗が出てきそうな恐ろしさを感じた深淵な大木の茂る急な登山道で、かなりキツかった。 その後、中学の担任が近所の低山歩きにも連れて行ってくれて、中2で地元千葉に戻ると、高尾山やらひとりででかけるようにもなりました。人がいない場所に地図を頼りに知らない場所に出かけるのが性にあっていたんでしょうな。 そして、高校では山岳部に入りました。高校山岳部というと夏山合宿に北アルプスをめざすというのが定番でしたが、うちの山岳部は大学のワンダーフォーゲル部が行くような関東北部の県境の藪山歩きを伝統的に続けているちょっと他とは毛色の異なる部でした。そこでますます登山にのめり込み、大学では毎週の山登りのためにアルバイトをして山へ行くというような学生でした。 なぜ、山に登るのかなんて、あまり考えなかったなあ・・、が、無心になれることは感じていたと思う。

雪山は雪崩に慄きながら渓谷をゆき、日高の稜線で吹かれ、実際に利尻では雪崩にもあったし、岩壁から滑落して大怪我をしたこともありました。 連れが長男を身ごもっていた年末年始にも冬山芦別岳に山行し、雨に打たれてビショビショになり、その後の寒冷前線通過で猛烈に気温が下がった細い稜線(たしか、本谷の第3稜だったかな・・)で暴風でテントポールが折れた中でビバークして凍傷になったこともあった。 なんであんなことをしていたんだろうと今振り返ると思うなあ・・。 厳しい山登りは、芦別から帰った直後に長男が産まれたことが契機になって、その春山合宿から岩壁登りはやめて、翌冬山も行かなくなりました・・。 あれから・・、もう40数年もたつのだなあ・・と感慨。生きていてよかったなどとの深い感慨ではないけれど、しなくてもいいことをして、切り抜けて来たもんだとは思うな。

で、昨日の続きで・・「悟り」のことなのですが、思えば悟った時が一度だけありました。(以下、ここからも長いです・・)

大学に入り、山スキー部という学生団体に入部したのですが、その五月にオフクロガくも膜下出血で倒れました。今ほど医療も進んでいませんでしたから、一度の開頭手術の後は意識のないまま人工呼吸をつけることになり、看病が必要となり私は休学することになりました。しかし、8ヶ月後には帰らぬ人となりました。 その焦燥感はとても大きくて復学する気持ちも失せてしまいましたが、周りの説得もありなんとか北海道に戻りました。が、部の同期新人連中は1年間、山にもまれてみなたくましく成長しており、ふたたび1年目からやり直す気がおこりませんでした。で、岩登りにも興味があったので、当時社会人山岳会として、名のある札幌山岳会に入会しました。しかし、私の挫折感はなかなか回復できないままでした。 そんな時、ネパールの山のことを知りました。知り合い友人学生がけっこう東南アジア、インド、ネパールに旅をしておりそれに触発されました。 アルバイトに精を出し資金をためて、翌年のポストモンスーン(秋から初冬)に友人とふたりでネパールトレッキングを敢行しました。 これはこれで、いろいろな気づきや今の人生に影響を受けたことが多々あるのですが・・、悟りというのは・・

ともかくも山が想像以上にでかかった。8000m峰ダウラギリの北壁に対峙する小さな峠(5000m台)で、見た壁の大きさ・・「世の中にはこんなにも大きなものがあるのだ!」と驚愕し、カリガンダキ川の川原横断では正面にそびえるニルギル峰の大岸壁を目指して一日歩いても、はるか遠くに大きいままで、その大きさはちっとも変わらなかった!!

目標は、カリガンダキの源流、チベット高原に近いティリッツオ湖という幻の湖だったのですが、そこは予想以上に遠く、重装備をポーターなしで担いで登っていたので、力尽きて結局断念をしたのでしたが・・、 その折も5000mを超えるくらいまで登山をしました。息も絶え絶えになり、1000位登っては降りてキャンプするという高度順化しながら数日を山中で過ごしました。 眼前にはもう平たくなったチベット高原も見渡せました。

風もなく無音の世界、ただただ大きくて広い世界・・。その時に悟ったのです・・・

なんて、俺はちっぽけなことで悩んでいるんだぁ!!

人の生き死にやひとりの人生なんて、この地球にくらべたら、宇宙に比べたら、なんと小さなものなんだ。その小さなものものが幾重にも重なりつながりあって、いのちというものがある。色即是空 空即是色な概念がわかり、オフクロの死をすんなりと受け入れることができたのです。

これは、瞬間的な悟りであったな・・、

今でも私の人生観、生命観は、色即是空 空即是色 であります。

 

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なぜ山にのぼるのか?

2022-01-15 02:04:52 | 主義・主張

「なぜ、山に登るのか」という質問に、高名な登山家マロリーは、「そこに山があるから」と答えたというのは有名な話しです。 大学を卒業して最初の就職先でも休暇に山登りにでかける新人社員に社長が、ワタシに同じことを聞きました。そして、そんなもの止めちまえというような説教が続きました・・。 今は、吹雪の雪稜や岩壁クライムをすることはなくなり、長い距離を歩くこともなくなりましたが、今でも山岳小説やノンフィクション物語を読んだりはしています。 今振り返ると、どうして、あんな危険な登山をしていたんだろうと思うこともあります。

とある山岳小説というか、山岳信仰を題材とした小説を読んでいて、この問いの応えとして、ちょっとしっくりとした文章をみつけたので、写し書きしTおこうと、深夜二時過ぎなので起きてきて、キーボードを打っています。

そのくだりは・・こうです。

「山に登ることは瞑想に(精神統一に)近づくことができる、もっとも容易な道のように思われました。山の頂に向かって汗を流しながら一歩一歩を踏みしめていくときには、ただ山へ登ること以外は考えなくなります。心が澄み切って参ります。登山と禅定とは同じようなものです。それは高い山に登ってみれば自然と分かってくることです。なにかしら、自分というものが山の気に解け込んでいって、自分が何であるか、人間がなんであるか、なぜ人間は死なねばならないのか、そういう難しい問題さえ自然と山の気が教えてくれるようにさえ思えて来るのです。そのような境地は登山によって身を苦しめられて得られるのではありません、登山はけっして苦行ではなく、それは悟りへの道程だと思います。」

なんも悟ってはいないけどさ・・・。

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風車林立か・・・

2021-11-10 15:27:57 | 主義・主張

自然学校の道路をはさんだ向かいの丸山に風車計画が持ち上がった!!   その向こう側の月越峠にも別会社の建設計画があり、合計で40基近い計画が黒松内町にあるのだ!!

今日、自然学校近くで計画している会社が来て、決まったわけではないが、建設するとしたらこの辺りという地図に落とした写真と、ここに建設したら・・、こう見えるようになるという合成写真を持ってきた。もちろん、風景が変わるし、山の中には建設道路もできるので、私としては反対である・・が、反対運動をするほどのエネルギーは持ち合わせてはいない・・。

お二人の若い社員が来て説明をされた。「地域の人の理解を得て、地域の人と一緒に・・」などと誠意を持って真摯に対応し、「会社の立場を離れれば、ここに風車を林立させるのは、景観を変えてしまうなあと個人的には危惧している・・」ようなことも言うし姿には好感が持てましたが・・、結局、建設するために社命を持って来ている人たちなんだしな・・。

実は、自然学校の裏手の山麓の使われていない広大な農場(牧草地)には、メガソーラー基地の話も来ているらしい・・。いったい20年後のこのあたりはどういう風景になってしまうのだろう。

それらの発電で得られた電力は売電されてそのほとんどは本州送りとなり、直接的な電力の地域還元はない。社命を持ってお仕事として地域住民と対峙する若いおふたりには、いろいろ個人的な心痛もあろうが・・。

地域へも徐々に説明範囲を広げてゆくのだろうが・・、推測するに大きな反対はないだろう・・。「いやだけれど、仕方がない・・」という大方であろう・・。 電源問題は日本国民的問題であるのに、その開発はすべて都会ではなく田舎で行われる。この構造は変えられんもんか・・。

「地域とともに・・」とは、例えばどういうこと?と、聞いても回答はない。 若いおふたりにを前にして、例えば・・というようなことを応えてしまうアタシ・・。

・地域と共にというのならば、もっと電力の地産地消をして欲しい。 地域へ発電された電力をお安く供給する。電気自動車社会に移行するのだから、充電スタンドくらいを無償か安価に設置する。

・小水力発電もしてらっしゃる会社だということなので、この地域には川の小さな支流がたくさんあるので、小水力発電を地元に設置することに補助する。

・ウィンドパークみたいに、風車立地地域を公園開発する。 管理道路を自転車で巡れる、スケートボードパーク設置、展望休憩所・・

・動植物のアセス調査を市民参加で実施する・・

・町内の公共移動手段として、電気バス(ワゴン車くらいでよい)事業を提案する

とかね・・。

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人新世の「資本論」

2021-06-27 05:34:58 | 主義・主張

SDGsは大衆のアヘンだ!という衝撃的な一文で始まる斎藤幸平氏の経済論。脱経済成長をしっかりと論じる若手経済学者がやっと現れた!!と、思う。

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いまこそ心に自然をとりもどそう。

2021-03-19 15:22:34 | 主義・主張

せんだってに開催された 日本環境教育学会北海道支部と北海道自然体験活動推進協議会による合同フォーラムにおいて、次のような宣言をしました。

*****

コロナ禍の自然体験の推進について
〜いまこそ心に自然をとりもどそう!〜


2020 年は、新型コロナウィルスによるパンデミックにより私たちの日常が一変しました。この間被害を受けた皆様には謹んでお見舞いと哀悼の意を表します。
私たちは環境教育や自然体験をベースに、自然と人が共生する持続可能な未来を作るべく研究や実践に取り組んでまいりました。今般のパンデミックも一種の自然災害かと思われますが、このような自然の脅威の前では、私たちの持つ力が蟷螂の斧であることを感じざるを得ません。「3密を避ける」「マスクを着用する」「不要不急の外出の自粛」「殺菌消毒」などを徹底することは、これまで普通に行ってきた人や自然とのコミュニケーションを非常にやりづらいものにしました。そして、学校での遠隔授業や企業のリモートワークなどを始めとする多くの取り組みが「新しい日常」としてあわただしく実施されてきました。その中には、むしろ従前より効果の高いものも散見され、このコロナ禍の経験は私たちの社会から全てを奪い去ったわけではなく、いくつかは得られたものもあると感じさせます。


一方で、緊急事態宣言中の“総引きこもり状態”時には多くの場から様々なストレス症状が報告されました。自然と人とのコミュニケーションが希薄化することによって発生するこのようなマイナス面は、今や私たちのような専門家集団以外にも共有されるようになってきています。廃業の危機に瀕した全国の多くの自然学校(こどもたちなどに自然体験活動を提供する社会教育事業を行っている団体)の支援のためのクラウドファウンディングが短期間で 1000 万円を超える支援を集めたことも、この問題の社会的な関心の高さを表しているといえるでしょう。

人は自然とのコミュニケーションにより多くのことを学ぶことができます。身近なものとして自然を感じることができないままでは、自然を大切に思う心を持ったり、自分が自然の一部であることに気づいたりすることは難しいでしょう。そして、自然から切り離された状況が生み出すストレス状態は、誰しもが持っていた「人が自然と切り離された生活をすることの“不自然さ”」や「実は心の中で少なからず自然を求めていること」を私たちに改めて気づかせてくれました。このように、はからずも今回のパンデミックは、「人は自然の一部である(もともと自然の中で生きてきた生物である)」ということを私たちに実感させることとなりました。


私たちは、特にこどもたちがこのような“不自然さ”のなかで、自然に対する気づきを失ったままで成長していくことについてとても憂慮しています。みなさまにおかれましては、以下の提言などをご参考にされ、ぜひ自然とのコミュニケーションを取り戻す機会を作ることで、こどもたちの重要な育ちの場を提供することにお力をお貸しいただけるようお願いいたします。


1. 自然の中での活動は「3密」を容易に回避できます。
たくさんの人が集まる場所での活動を除き、野外での活動は密閉・密集・密接のいずれにもなりづらく、ソーシャルディスタンスも確保しやすいため安心して楽しめます。


2. 遠くの大自然に出かけなくても自然体験できます。
ウィルスは人が媒介するので、感染を広げないために人の移動がある程度制限されるのはやむを得ません。しかし、「人との接触を避ける」「居住する地域から離れた場所に移動しない」など、感染や拡散のリスクが高まる行為を避けることができれば、自然と触れ合うことに関して問題は発生しません。遠くに出かけなくても、季節を感じたり、鳥の声に耳を澄ませてみたり、雪や氷で遊んでみたりすることで、ヒトが本来持っている感覚器(いわゆる五官)を使って自然と触れ合うことは十分に促進されます。環境教育や自然体験教育の視座からは、むしろ身近な自然への気づきを高めることが重要だといわれています。人工的な公園でも季節は巡りますし虫や鳥は寄ってきます。遠くの大自然に出かけるチャンスがあればなおいいかもしれませんが、そういう状況にない時でもあなたの周りにはかならず自然(現象)があるのです。
遠くに行けない時は、こどもたちと一緒にふだん見過ごしがちな身近な自然に目を向けるチャンスです。


3. プログラムよりもまず気持ちから。
登山や川下りなど、ガイドと一緒の活動はとても充実した時間を過ごせますし、自然学校や自然ガイドでの活動は安全なだけでなく、ほとんどの団体は3密防止の中での活動に留意していますので、そういった活動に参加することについては問題ないと思われます。
しかし、そうした活動に行けなかったとしても大丈夫。近所の散歩でもいいのです。あなたの周りにも自然はたくさんあります。ガイドしてくれる人がいなくても、まずは自然と付き合ってみる気持ちを形にしてみるところから始めてみませんか?雨の日や雪の日など、普段は家にこもりがちな天気の時のお散歩は、ただ歩くだけでも新しい発見があることで
しょう。普段はあまりしないことでしょうから。


4. 遊びのヒントがたくさんの団体から出されています。
たとえば、日本シェアリングネイチャー協会は外遊びの様子を動画で紹介するなど、人と自然をつな ぐプロジ ェクトを行っています
( https://www.naturegame.or.jp/about_us/action/happylucky/ )。日本環境教育学会は、あちこちの団体が公開している自然体験・自然観察・自然遊びのヒントをホームページ上でまとめて紹介しています(https://www.jsfee.jp/general/145-covid-19/411-inforesponse-covid-19-ee)。これらの情報を活用するなどして、「コロナ禍だからなにもできない」ではなく、「今だからできる素敵なこともある」という発想で、楽しみながら心の中に
自然を取り戻していただけたらと思います。


2021 年 3 月 7 日現在
日本環境教育学会 北海道支部 支部長 能條 歩
(北海道教育大学岩見沢校 教授)
北海道自然体験活動推進協議会 代 表 高木晴光
(NPO 法人黒松内ぶなの森自然学校 代表)
賛同者 田中邦明(北海道教育大学 名誉教授)・
野村 卓(北海道教育大学 釧路校)・
田中住幸(NPO 法人あそベンチャースクール 代表)・中本貴規・
居崎時江・酒井史明・峯岸由美子(一般社団法人遊心 代表)・
河村幸子(東京農工大学)・鈴木敏正(北海道大学 名誉教授)・
山中康裕(北海道大学 教授)・三木 昇(北ノ森自然伝習所)
受付順

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コロナワクチンは安全なのか???

2021-03-16 16:23:23 | 主義・主張

 

 

コロナワクチンは安全なのか??  以下のような情報があるジャーナリストから送られて来ました。 私のFacebookに投稿してしまうと、フェイクであった場合でも拡散されてしまいかねないので、私の備忘録を兼ねて、ブログに貼り付けておきます。 インフルエンザワクチンとは異なる手法で製造されているもので、人間の遺伝子そのモノに影響を与えると推測?している研究者もいるようです。 その情報抜粋ですが、読まれる方は ご自身でその真偽をご判断ください。

*****(以下、転載情報)*****

「このワクチンは、人間の遺伝子に影響を与えるかもしれない」

「それは自分の身体に数年後、数十年後に現れるかもしれない」

「あるいは世代を超えて、子供や孫の代で影響が出るかもしれない」



つまり、一言で言えば、
新型コロナワクチンは
私たちの遺伝子を壊す可能性が
あるというのです。
これは一体どういうことなのでしょうか?

そもそも、
インフルエンザワクチンのような従来品と
新型コロナワクチンでは、
どんな違いがあるかご存知ですか?

まず、インフルエンザワクチンのような従来品は、
「ワクチンの遺伝子情報」をもとに、研究所で育成。

最終的にワクチンとして
完成体になったものを
ヒトの身体に打っています。

一方、今回の新型コロナワクチンは、
研究所では育成をしません。

「ワクチンの遺伝子情報」そのものを、
直接ヒトの体に打ち込み、
身体の中でワクチンを
完成体にしているのです。

専門的な話なので、
まだ分かりにくいとは思いますが、

言い換えるのであれば、
調理したきのこを食べるのか、
きのこになる前の種菌を食べるのか
くらいの違いがあります。

コロナという未知の遺伝子
人間の身体に接種することで、
理論上は上手く免疫ができるそうですが、、

場合によっては、「人間の遺伝子組み換え」が
行われてしまう可能性もあるそうなのです。

徳島大学医学部の
大橋真名誉教授(免疫生物学)はこう言います。

「新型コロナウイルスのDNAの代謝経路は不明です。摂取したワクチンのDNAが長期間、
体内に残留したら何が起こるか?というのは、やってみないとわからないのです。」

自然にないDNAを
人間の細胞に入れ込むことは、
自然の摂理を超えています。

こんな危険なもの(DNAワクチン)を使わないといけないほど、
コロナは有害なのでしょうか」

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環境教育の意義

2020-11-01 08:55:10 | 主義・主張

寿都弁慶岬。 美しいなあ・・。 

こんな美しい海がある寿都町で、今、高レベル放射性廃棄物の最終処分場(地下地層処分地)の立地文献調査への応募が決まった。それも、町の協議会(議会ではない、法的根拠はない)で通したこととは言え、町長独断の形で・・。 町長が独自独善で応募しても法律上はなんの問題がない町長専決事項でもあるのだ。寿都町には住民投票の規定すらない・・・。(なので、今、条例制定への請願を出している) このこと自体が法律の建て付けとして、核リサイクル国策事業の焦りを現している。

しかし、この問題に対して賛成する‍人と反対する人がどうして現れてしまうのだろう・・・。 放射能のことだけを考えれば、そんなものを近くに置きたくない、危険であると、ちょっとだけ知識があれば生理的にも受け付け難いことだと思うのだが・・・。

問題の本質は、やはり「お金」「経済の成長」への信奉があるかなしなのだろう。

自然体験型環境教育を自分の仕事としてきた私だが、その教育的大きな目標に、「空間的視野の拡大」と「時間的視野の拡大」というお題目・ベースコンセプトがある。 この視野の拡大がなされていない人々がイコール推進派なのだろうと感じること多大である。

空間的視野とは、そもそも環境とはいち限定されているものではなく、つながりがあるものである。今ここに、目の前にある事象はその隣にも繋がっているという視野・感覚だ。 地下には水脈もある、地質断層もある・・、放射能は管理が行き届かなければ拡散するものである・・・・・、目に見えない微生物もプランクトンも存在している・・、何万Kmも離れた地域で紛争が起こっている・・、障がいのある人には使えない場所である・・・、アパートの中に引きこもっている老人も若者がいる・・・。 森と海はつながっている・・。 これらが感覚的に理解できることが空間的視野の拡大だ。

時間的視野とは、何百年、何千年、何万年、何千万年前から命は脈々と繋がってきたかけがえのない存在である。ここがわずか100年前は森であった、湿原であったことを想像できるか、人口減社会を想像できるか・・、これらが感覚的に理解できるようになるためには時間的視野の拡大が必要だ。

これらが備わっていないと、とうてい、「世代間の公平性」など理解はできない。

寿都町長は、最終処分場建設を前提とした概要調査終了の段階で、町民の皆さんに、その先に進むか否かを判断していただくと説明する。 それは20年後らしい・・。今の子どもが働き盛りな頃だ・・。そんな重大な問題を先送りする神経が理解できない。。。

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要望書

2020-06-18 10:59:02 | 主義・主張

新型コロナウィルスの感染拡大による行動自粛のため、北海道に限らず全国全世界の観光・人の動きが制約されて経済縮小をしているところです。 この時期の緊急迅速な北海道の施策で「どうみん割」なるものが始まります。 観光需要喚起のために北海道民、北海道の事業者に限ってですが、旅行金額に補助をしようという施策です。

私の仕事は、観光ではないですが、人の移動・交流を生み出す仕事なので広い意味での観光業でもあります。 特にアウトドアガイドは、自然に限らず地域全体を資源として行なっています。ので、当然にこの補助制度の対象としてほしいところですが、 この対象となるためには、北海道アウトドアガイド資格を有していることがMustとなっています。私は、この制度設計側にはいたのですが、実は資格は持っていないのです・・・。 また宿泊施設も対象となりますが、ひとり一泊6000円以上が前提で、うちは・・、なんと5000円なので対象とはなりません・・。 拙速な施策実行なので、やれロープウエイ料金はどうなのか、旅行パッケージに入ってるガイドも有資格者がガイドすることが条件なのかと、すでに多くの照会が北海道の事務局に押し寄せているらしいです。

制度の大枠や予算はすでに道議会で議決されているので、変えることは至難ですが、その運用においては柔軟に対応し、現状に合わせてゆくとのことなので・・、 子どもの自然体験活動キャンプや低額宿泊施設も対象として欲しいなど、要望書を北海道へあげようと企んでおります。 以下、その要望書です。 ご賛同いただき、連名にご承諾をくださる方は、ぜひともご連絡ください。 

***

新型コロナウィルス感染不安期における交流・観光に対応するための

              要望書

~ 豊かな観光地域づくり、北海道の豊かな自然と地域との交流ある社会をめざして ~

 私たちは自然体験活動やエコツアー等体験型観光・環境自然教育の実施や多様な宿泊需要に対応する簡易宿泊業(ゲストハウス等)を営む事業体です。

 御承知のように、新型コロナウィルス感染拡大による人々の移動が止まり、影響をまともに受けております。 その対応において迅速に道民による道内旅行喚起の施策「道民わり」をご発布頂いていることに深く敬意を表明致します。

 しかしながら、豊かな地域・自然を有する北海道における来訪者へのサービス・プログラムの提供は多岐多様になっており、「観光」という概念も地域づくりや地域・自然保全の観点からも「交流」や「社会教育」といった側面も複合的に加味された事業・活動も増えております。また、旅行者も旅行代理店を通さずに、個人自らが手配し旅程を組むことも広く一般化しています。

 それらの健全な発展を願って、道民が豊かな北海道の自然を享受する機会創出・維持にご支援をいただきたく、下記要望を致します。

 

               要望事項

1.アウトドア体験商品において、認定ガイドが実行する活動だけに限らず、また旅行会との提携プログラムでなくとも、幅広く対象することをお願いします。

体験型プログラムにおいては「北海道知事認定アウトドアガイド資格者が提供する商品」と限定されておりますが、それはリスクマネージメントの観点からの安全担保になっていることは重々に承知しておりますが、道内にはさまざまなガイド業やアウトドア活動が発生しております。 例えば、農村地域を案内する「畑のガイド」、地域住民をガイドとした「サイクリング」や「渓流釣」、業としての「パラグライダーなどスカイスポーツ」等があげられます。また、様々な認定資格を持って子ども達への宿泊体験型プログラムを実施する団体も数多く存在します。しかし、これらには知事認定ガイド資格がそもそもにありません。

また、北海道資格ならずとも、全国規模でのネットワークが供与している資格もあります。自然体験活動指導者資格、自然学校運営者資格、山岳・自然ガイド等です。また、地域レベルで、例えば有珠山のジオガイドなど認定制度があります。

これらにおいても、例えば、「各種資格認定制度や安全管理マニュアルの有無」などを安全担保要件として、補助対象として織り込むことをお願い致します。

2.ゲストハウスやロッジ貸出し業など低廉宿泊料金の施設も補助対象とすることをお願い致します。

未定稿の支援金交付要綱によりますと、宿泊単品のひとりあたりの販売額(宿泊料)が6000円以上が対象となっています。 近年では低廉宿泊料のゲストハウスが各地に数多く出現しています。また、旅行者はレンタルキャンピングカーを利用するケースも増えています。

 ゲストハウスにおいては近年、若者の起業が相次いていますが、特に創業直後におけるこのコロナ騒動で喘いでいる経営者もいます。彼らの宿泊料は3000円前後が相場ですから、6000円ほどの宿泊料が定料金のビジネスホテルや旅館が3000円の割引支援を受けてしまえば、客層、業態・サービスが異なるといえども、さらに苦境に陥ることになりかねません。

宿泊単品の対象額を3000円程度まで下げ、対象となる宿泊施設も簡易宿泊業を有していることを前提に多様にすることをお願い致します。

 

3.子ども対象の自然体験キャンププログラムも補助対象とすることをお願い致します。

道内でも多くの自然体験活動事業者が主に子ども達を対象とした宿泊体験プログラムを行っています。キャンプとは必ずしもテント宿泊だけでなく、既存施設を宿泊に使っています。 これは、旅行業法や宿泊業法にも抵触するのでは、という一部の議論もありますが、教育的観点から広く一般化している事業でもあります。 子どもの「生きる力」を育む活動として文部科学省も推奨しています。子ども達が自然や地域とふれあう場や機会の維持継続にもご支援を頂きたく要望致します。

 

4.ボランティア旅行者(ボランティアツーリズム)の旅費も補助対象とすることをお願い致します。

若者が旅を伴いつつ、農山漁村支援や自然保全・地域起こしに参画することを目的としたボランティアツーリズムなる形態も勃興しつつあります。この活動の大きなネックは若者にとっての旅費負担、地域側にとっての宿泊負担にあります。例えば往復交通費10,000円、滞在宿泊経費10,000円の合計20,000円を「交通費付き宿泊プラン」として、半額程度の補助を頂けないものでしょうか。この場合、旅行代理店では、その内容まで計画実行することは不可能なので、実際にプログラムをコーディネイトする団体・組織への補助のご検討をお願い致します。

 以上、「どうみん割」の運用につき、観光からだけの側面だけではなく、道民の移動・交流を伴い、広く地域づくり、環境や自然教育(社会教育)の観点からも補助がなされることを強く望みます。

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with/after Corona

2020-06-06 06:59:45 | 主義・主張

ここのところZOOM会議が続いています。 最初はどこか照れくさいところもありましたが、慣れてくると便利なものですね。 リモートワークとかいいますが、これが定着してゆけば、わざわざ会議のために東京やら札幌へ出向かなくてもよくなりますが、肌身感は薄れるな・・。

昨夜は日本エコツーリズムセンターの会議という何かを決めるものというか、日本各地でエコツーリズムに関わる現場人間による懇談会でした。 20名ほど参加しました。 このコロナ騒動で、人の移動は制限され自粛が続いています。 私たちの仕事は、交流・観光・教育がコンセプトですから、人と人との生身の対面を自然の中で行われなければ成立しません。だから、各地各人、収入は途絶えて、まさしく瀕死の状況にあります。 お金がないと手に入れられない生活物資や支払わなければならない固定経費もあるわけで、食料さえあれば生きていられるとい環境には人間はいられません・・。 が、我々の仕事はその食料生産の現場にあるわけで、みなさんはさほどの切迫感をまだまだ感じてはいないのだなあという雰囲気ではあります。  当黒松内ぶなの森自然学校も自主事業の催事はすべて中止ですし、来訪者団体もほとんどすべてがキャンセルの状況なので、この状態が続いてゆけば存続の危機に陥ります。 幸いにして地域行政からの通年契約仕事がありますが、これらも実質稼動はストップしていますが、契約は契約なので、グローバルマネーは最低限確保しているので、今のところはなんとかなっております・・・。 ここを耐え忍んだとしての コロナ収束後、あるいは人類に脅威をもたらす新型ウィルスと共に存在する社会はどうなるのか・・・。

エコセンメンバーにほぼ共通する予想は・・・

過密した都会からの脱出(旅行であれ移住であれ)は大きな傾向となって現れてくるだろうから、未来に決して悲観はしていないという気持ちです。 それに焦点をあてて今すべきことは・・・。

自然豊かな地方の暮らし方、その価値をじょうずに訴求してゆくことであろう。 AI社会が都会に押し寄せてくると、都会ほど仕事がなくなる可能性もあるので、ますますと過密都市は暮らしにくくなるだろう。 「新しい日常」とか推奨が盛んに言われているけれど、それはマスクをすることかあ? 居酒屋で対面して座らないことかあ? 学校でもフェースシールドをすることかあ? 時間差出勤をすることかあ?

そうじゃあないだろう、それは本質ではないね・・。  やはり自然とのつながりを意識できる社会にすることだろうと思うな。 免疫力であっても 直感的には都会に住むよりも田舎に住む方が良いに決まっている。

消毒、消毒、除菌、除菌、殺虫、殺虫と言われる社会からの脱出だと思うね。

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外堀を埋める

2020-05-11 10:45:03 | 主義・主張

私のFacebookで、「いいね」がつく投稿記事は、いちに食べ物話題です。政治・社会話題となると私の主張・感想はあまりみなさんの関心を引かないようで、とても少なくなります。 しかし、この問題は看過できない・・・。 ブログにも書き込もう。

日本は言わずと知れた民主主義社会であって三権分立を基盤としていますが、それが形骸化している。この度の検察庁人事に内閣が介入するような特定人物の定年延長・昇進を行なえる閣議決定⇒法改正は目にあまるもので、ツイッターでも抗議投稿が500万を超えたとの報道があります。

内閣府・つまり総理官邸が発信するホームページにこの三権と国民の関係が描かれたチャート図があるのですが、内閣は行政をもって国民にサービスし、国民は内閣へ世論をもって要望・監視するような双方向の矢印があるのが、学校でもならった関係性なのですが・・、

いつの間にやら、 その国民から内閣への矢印がなくなっていたのです!!! これは大問題ですよ!! 内閣は行政をもって国民をコントロールする。 つまり、国民あっての国家ではなくて、「国家あっての国民」の今の政治体質をもろに表しているチャートなります!!

まさしく安倍政権は、国家・内閣を強大化権力にしようとしている現れです!!! 我々は徐々に外堀を埋められています。 民主主義のお城が瓦解してしまいます!!!

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