熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

横浜能楽堂・・・能「羽衣」・組踊「銘苅子」

2016年01月17日 | 能・狂言
   横浜能楽堂で、「能の五番・朝薫の五番」と言う初めての公演を鑑賞する機会を得た。
   実際に演じられたのは、能「羽衣」と、沖縄の古典芸能・組踊の「銘苅子」(めかるし)」なのだが、この「銘苅子」は、18世紀の琉球王朝の踊奉行の王城朝薫によって、能の物語を取り入れて作曲された「朝薫の五番」の作品群の一曲で、羽衣伝説をテーマにした組踊であるので、能「羽衣」と一緒に鑑賞しようと言うわけである。

   能は、観世流で、シテ(天人)浅見真州、ワキ(漁夫白龍)は宝生閑であったが、宝生閑は病休で、工藤和哉が代演。
   宝生閑師は、11月の野村四郎の「俊寛」の時には出演されていたが、12月の梅若玄祥の「木賊」の時に休演して、子息の宝生欣哉が代演していた。
   お早いご回復をお祈りいたしたい。

   「羽衣」を鑑賞したのは、5回くらいで、3回は国立能楽堂なので、記録を調べたら、金剛流、宝生流、喜多流なので、夫々、違った演出で興味深かったのであろうが、殆ど記憶はない。他で見たのは、式能と都民劇場能。
   微かに記憶があるのは、あの羽衣について、後見が松の立木を正先に置き長絹を架けるのと、一ノ松の勾欄に架けるのとがあったように思う。
  
   かなり印象に残っているのは、最も最近に観た喜多流の人間国宝友枝昭世の優雅な舞と綺麗な謡、それに、終末の三保の松原から浮島が原へ、更に愛鷹山から富士の高嶺へ舞い上がり春霞に消えて行くシーンの美しさに感激した。
   勾欄に体を預けて舞台を仰ぎ見る姿の神々しさなどは、正に、天空から去り行く天女の優雅さで、ヨーロッパで観たティエポロなどの天井画の天国の情景を思い出していた。

   今回の浅見真州の終幕は、舞台での優雅な舞で表現して、橋懸りで一度舞うくらいで、揚幕に消えて行ったのだが、序の舞など舞い姿の優雅さ美しさは感動的であった。
   富士を仰ぎ見る白砂清祥の三保の松原を舞台にした極めて美しい羽衣伝説をテーマにした能であるから、私など能初歩の人間にとっても想像し易いので楽しめる。
   上演時間がどのくらいか知らないのだが、予定70分が10分ちかく延びた熱演であった。

   さて、組踊だが、中国皇帝の使者である冊封使を歓待するための琉球王朝きっての最高のもてなしとして生まれた古典芸能であるから、美しくて優雅なのは当然であろう。
   それに、組踊とは、能に嗜みのある朝薫が、能のテーマを模して創作した、せりふ、音楽、所作、舞踊によって構成される歌舞劇として生まれた、いわば、総合芸術であるから、奥が深いのであろう。
   形式は能や歌舞伎に近いが、せりふに昔の沖縄の言葉、音楽に琉球音楽、舞踊に琉球舞踊を用いるのが特徴だと言うことで、今回鑑賞した「銘苅子」も、せりふは、全く理解できなかった。  

   羽衣伝説にはいくらかバリエーションがあって、この「銘苅子」の羽衣伝説は、能「羽衣」とも違っていて、天女が男に羽衣を取られて天に帰れなくなるところまでは同じであるが、妻になれと言い寄られて仕方なく夫婦になり、二人の子供を産んで幸せに暮らすことになる。
   しかし、ある日子供の謡う子守歌で、羽衣が米蔵に隠されていることを知って、羽衣を見つけた天女は、子供たちを寝かせつけて、気付いた子供たちを振り切って天に帰って行く。
   銘苅子と子供たちの悲しみを聞いた王府が、役人を送って、銘苅子に衣冠を、姉に城内での養育を、弟に成人後役人に取り立てを伝えたので、親子は喜ぶと言う結末である。

   冒頭、能と同じで、銘苅子が揚幕から登場して正中からやや目付柱よりに着座し、続いて、天女が登場して、囃子座の笛の場で羽衣を脱ぎ、音曲に乗って舞台を踊りながら回り、その間に、銘苅子が、衣を奪って、妻約束をさせて、手を引いて揚幕に消えて行く。
   その後は、セリフは良く分からないけれど、ストーリーがほぼ分かっているので、舞台を観ておれば、理解できて、楽しめる。
   能舞台であるので、何のセットも道具もないのだが、舞台写真を見ると、実際の沖縄の舞台では、歌舞伎のようにセットなどが使われているようである。
   後の口絵写真を見れば分かるが、天女が、子供たちを置いて天へ帰って行く名残のシーンは、今回は、天女は、橋掛かりの揚幕前に立って名残を惜しんでいたが、写真では、セットの高みに立っている。
   今回の舞台のチラシの写真を借りるが、最初の長い衣の裾を引いた写真は、天女を演じた人間国宝宮城能鳳で、その後の写真は、国立劇場おきなわのパンフレットから転写させてもらっている。
   
   
   
   
      

   さて、能の囃子と地謡を合わせたような役割を果たすのが、組踊音楽歌三線で、三線を真ん中にして、箏、太鼓、笛、胡弓で構成されており、今回は、地謡座に、奥から、たいこ、琴、三線、胡弓、笛の順に一列に並んでおり、謡は、3人の三線が担当していた。
   組踊音楽歌三線は、三線の演奏にのせて組踊各場面の背景や登場人物の心情などを繊細に歌い出すものである。演技者の台詞の最後にかかるように歌い出したり、動作に応じて微妙な緩急をつけるなど、組踊の筋の展開や演技、台詞との関わりなどに配慮して表現され、芸術上特に価値が高く、芸能史上特に重要な地位を占め、かつ地方的特色が顕著である。と言うことである。
   
   
   舞台は、歌舞伎と言うよりは、能舞台に近く、非常に、静かで、登場人物の歩き方や演技なども非常にスローテンポでシンプルであり、神性を帯びたような雰囲気を醸し出していた。
   そして、非常に優雅で美しい舞台なのだが、この曲だけなのかも知れないし、気の所為かも知れないのだが、何となく、哀調を帯びて物悲しい感じがした。

   私の場合、同じテーマの主題を、違った形態の舞台芸術では、どのように上演されているのかに非常に興味を持っており、今回の観劇の楽しみもその延長線上なのだが、また、一つ、ジャンルが増えたことになる。
   来月、国立劇場で、沖縄の村の組踊公演があるようだが、これよりも、茅ヶ崎市民文化ホールで、国立劇場おきなわの県外公演で、朝薫の五番の「執心鐘入」が行われるようで、これは、能「道成寺」の脚色曲なので、これに行くことにしている。

   人生大詰めに近づきつつありながら、趣味を広げてどうするのかと言うことだが、殆どの伝統古典芸術は勿論、オペラなど多くのパーフォーマンス・アーツに対する卓越した見識と鑑賞眼を備えて、正装して劇場に通う素晴らしい方がおられるのを見ていると、足元にも及ばないし、今まで、何をしていたのだと言う気にもなっている。
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