熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

人類文明論を考える(1)~エコロジカル・フットプリント

2010年03月19日 | 学問・文化・芸術
   今回、手術入院中に読もうと思って病院に持ち込んだ本の内の二冊は、講談社の「興亡の世界史」シリーズの、初巻00「人類文明の黎明と暮れ方」と最終巻20「人類はどこへ行くのか」であった。
   01から19までの巻は、世界史を彩った国や地域、あるいは、文化文明に焦点をあてた個別の世界史を扱っているのだが、この初巻と最終巻の二冊は、総論的に、人類の文化文明とは一体何なのか、その本質と課題などを真正面から取り上げた非常に興味深い本であり、改めて勉強して見ようと思ったのである。

   学説や論点などについては、必ずしも同意出来るものばかりではなかったが、グローバリゼーション時代の人類の未来を考える場合に、非常に役に立つと言うか、私にとってかなりインパクトの強かった印象的な論点がいくつかあったので、感想を残しておきたいと思った。

   まず、20巻の大塚柳太郎東大名誉教授の『「100億人時代」をどう迎えるか』で指摘されているエコロジカル・フットプリント問題だが、これは、地球温暖化・環境問題でも広く議論されており常識問題だが、人口論学者から正面切ってその危機的な状況を指摘されると非常にインパクトが強くなる。
   「人口ゼロ成長」の社会を目指すべきだと言うのが著者の見解だが、先進国のエコロジカル・フットプリントの観点から地球を見れば、もう、既に、地球は限界に達していると言うことである。

   そのエコロジカル・フットプリント(生態系負荷度)とは、一体何かと言うことだが、早く言えば、世界中のすべての人々が、特定の国の(例えば日本)人と同じ水準の生活を送ろうとすれば、地球が何個必要かと言うことである。
   これは、化石燃料の消費から排出される二酸化炭素の吸収に必要な森林面積、道路や建物に使用される土地面積、食糧生産に必要な土地面積、紙や木材などの生産に必要な土地面積など生物的生産量を合計したもので、必要とされる地球の数に換算されて表示されるのである。

   欧州環境機構の2002年数値によると、日本は2.44、アメリカは5.55、イギリスは3.18で、あの中国でさえ0.91と言うことである。
   結論から言うと、既に、先進国だけで、地球の負荷能力を大きく上回っており、自然を食い尽くし地球環境を破壊してしまっていると言うことなのである。
   すなわち、中国やインドなどの新興国が、アメリカ並みの生活水準に達すれば、地球環境の破壊は必定だと言った議論がなされているのだが、それどころか、現実には、もう既に、アメリカは勿論、日本もイギリスもフランスもドイツも、先進国のすべてが、発展成長を良いことに、中国やインドは勿論のこと、発展途上国など遅れた国の人々の分まで、地球を食い尽くして破壊しつくしているのである。
   
   私は、以前にこのブログの地球温暖化・環境問題の項で、問題の解決には、日本など先進国の生活水準を大幅に切り下げなければならないと書いたことがある。
   宇宙船地球号がただ一つしかないとするなら、極論すれば、現在の日本人の生活水準を2.44分の1に切り下げなければ、地球環境をサステイナブルに維持できないと言うことなのである。(年間500万円で生活している人は、その水準を200万円に下げろと言うことである。)
   このことは、日本の成長発展による現在の生活水準の確保が、勝ち得と考えるのか、遅れた国を犠牲にした既得利権と考えるのかは別にして、兎に角、新興国や発展途上国に対して、地球温暖化や環境基準において、先進国の論理を押し付けることは、先進国の傲慢であり、やり過ぎれば、深刻な新南北問題を惹起し、文明の衝突を引き起こすのは必定である。

   さて、地球環境が維持可能な元に戻れないチッピングポイントである帰らざる川を越えて破壊に突き進むまで頬被りをするにしても、環境への負荷(I)は、ポール・エーリックの次の等式で考えざるを得ない。
   I=P×A×T
   Pは、人口(population)
   Aは、一人当たりの資源・エネルギーの消費量(affluence)
   Tは、消費財を生産・消費する際の消費単位当たりの資源・エネルギーの消費量の技術改善による削減の程度(technology)
   宇宙船地球号を維持するために、環境負荷(I)を下げることが必須である。
   人口が100億を目指して増加の一途を辿っている以上、残された道は、AとTの低下以外に方法はない。
   グローバルベースでのドラスティックな、エコ効率をアップするための生産システム・ライフスタイルへの大転換やイノベーションを果敢に遂行する以外に、人類の将来はないと言うことなのである。

   鳩山首相の25%削減案を叩き潰そうと経済界は必死だが、そんな悠長なことを言っていると自らの墓穴を掘ることになる。
   生き残りを賭けるためにも、必死になって世界最先端を行くエコ商品やエコサービスの開発は勿論、地球全体のエコシステムをサステイナブルにするためのシステム開発に邁進することにビジネスチャンスを見つけない限り、日本企業の未来はないことを認識すべきであろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 市川海老蔵主演の松本清張「... | トップ | 人類文明論を考える(2)~... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

学問・文化・芸術」カテゴリの最新記事