熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

中高一貫校の入試に思うこと

2024年02月04日 | 学問・文化・芸術
   神奈川県の中学校入試が、2月1日から始まった。
   我が孫息子も、中高一貫校の入試を受けたので、緊張の2月の幕開けであって、節分の豆まきどころではない。
   義務教育なので、地元の市立の中学校に行けるので、心配はないのだが、4年生から学習塾に通って勉強してきたので、出来れば、志望校に合格して、そこで学ばせたい。

   結果としては、入試に合格したので、第一次志望の中高一貫校に通うことになったので、ホッとしている。
   しかし、側で見ていて、この受験勉強の厳しさについて、色々考えさせられた。

   まず、受験勉強の教材というか、塾で学んでいる勉強の程度が、我々の常識の域を超えていて、並大抵の努力では簡単に乗り越えられないほど難しくなっていることである。
   当然、入試問題も、容易に解けないほど難しい。
   
   塾生は、学校の授業を終えて塾に通って夜遅くまで勉強して、夏休みも冬休みもなく、勉強を続けるのだが、この授業だけでは十分ではないので、更に、家庭において徹底的に復習してマスターしなければならない。
   色々な理由で父兄が面倒を見られないので、二次の塾に通ったり、家庭教師を付けてフォローするケースもあると聞く。

   ところで、我が家の場合、無為無職で遊んでいる私に、お鉢が回ってきた。
   京大を出たんでしょ、と言うわけである。
   しかし、その後のアメリカでの大学院の勉強を含めても、もう、半世紀以上も前のことで、80歳を超えている。
   いずれにしろ、毎日、大学や大学院で学んでいた程度の経済や経営学の専門書を読んでおり、認知症の気はなく、まだ、頭は正常だと思っているので、引き下がるわけには行かない。
   
   私が、フォローしたのは、主に算数であった。
   我々が知っている加減乗除主体で、旅人算や鶴亀算程度の算数とは雲泥の差で、見たことも聞いたこともないような問題ばかりで、文章題や論理的推論問題などが多くて、問題の解釈や回答の仕方も、全く斬新かつ仮定仮定で、頭をそっくり切り替えないと太刀打ちできない。
   塾の算数担当の先生に聞いたら、自分も、担当になったときには良く分からなかったと述懐していた。

   しかし、高校までは文理両道というか、数理に弱いわけでもなかったし、昔取った杵柄というか、解説の助けを借りて勉強し始めると、いくら難しいと言っても、慣れてくると殆ど問題は氷解して、孫息子に解説しながら教えられるようになって来た。
   とにかく、すべての問題を、一所懸命勉強している孫息子以上に理解して、教え続けなければならない。と言う使命感である。

   ところで、気になったのは、孫息子が通っている市立の小学校の教育程度と、この塾なり受験勉強の教育程度の差が、あまりにも大きすぎて、そのギャップをどう埋めるのか、それに、義務教育である小学校の教育をスキューしないかと言うことである。
   高校や大学の入試に絡む教育程度の差は、いくら大きくても、義務教育以外の問題なので認められるとしても、この差は将来で、更に、公立の普通中学と、私立の受験主体の中高一貫校との学力差が、益々拡大することになる。学校によっては、高校1年で、大学受験用の勉強を終えるというのである。
   大学に大きな格差があるように、中高当たりからも、学校の階層化というか差別化を図って、欧米のようにエリート教育に軸足を移すべきではなかろうか。

   私自身は、今の日本人の若者は、勉強不足だと思っているので、もっともっと勉強すべきで、勉強のハードルを更に高くして教育水準を引き上げて、勉強の機会を増幅すべきだと思っている。
   幼稚園や小学生と言った幼い段階から、子供たちを厳しい受験戦争に、巻き込むべきかどうかについては、議論のある所だが、良い学校に入れて良い教育を受けさせたいという親の希いと努力は当然かも知れない。
   しかし、何処の国でもそうだが、良い教育を受けさせるためには高額の教育費が必要であり、深刻な経済格差が障害となっているので、少なくとも教育の無償化を実現して機会均等を策すべきであろう。

   良い学校を出たからと言って、子供の将来が明るいかどうかは、また別問題ではあろう。
   私の場合、大学とアメリカのトップビジネススクールのMBAのキャリアが、国際事業でパスポートとなって役に立ち、世界中で見るべきものを魅せてくれたことは事実である。
   知が豊かになれば、見えないものが見えてきて、世界が広がる。感動しきりであった。

   蛇足だが、途中下車で乗り換えが必要な高校受験は無駄だと思っているので、貴重な十代の6年間を自由に絵が描ける中高一貫校システムは非常に良いことだと思っていることを付記しておきたい。
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