熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

シェイクスピア観劇の思い出

2024年09月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   ぼつぼつ、倉庫のガラクタを整理しようと思って、段ボール3箱の封を開いたら、ぎっしりと詰まった劇場関係のパンフレットなどが出てきた。
   一箱目は、ロイヤルオペラ関係のパンフレット類で、何度か開けているのだが、ほかの2箱は、1993年にロンドンで箱詰めして日本に持ち帰ったままなので、30年ぶりである。
   まず、出てきたのは、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の公演パンフレットなどヨーロッパでの観劇関係の資料である。

   まず、何冊かRSCのパンフレットを書斎に持ち込んで読み始めたら、懐かしくなって前に進まず、まだ、2箱目の半分をチェックしただけで、後は手つかずで玄関に広げたままである。

   シェイクスピアについては、ロイヤル・ナショナル・シアターなどほかの劇場にも出かけたが、大半はRSCで、ほぼ5年間、ロンドンのバービカン・シェイクスピア劇場とストラトフォード・アポン・エイボンの大劇場とスワン座に通ったので、相当の回数である。
   ロメオとジュリエット、リア王、冬物語、アントニーとクレオパトラ、テンペスト、お気に召すままに、ハムレット・・・等々、シェイクスピア戯曲の半分以上は鑑賞したであろうか。
   イギリス人ではないので、パンフレットを読んだくらいでは良く分からないし、それに、古語で独特のシェイクスピアの長セリフの理解にも難渋して、最初は楽しめなかった。
   しかし、小田島雄志先生の翻訳本を友にして何十回も劇場に通っていると、不思議にも、シェイクスピアに魅せられ始めてきたのである。

   この口絵写真は、ハムレットのパンフレットの一部で、ケネス・ブラナーである。
   迂闊にも、チケットを買うまでは、ケネス・ブラナーが東西超一流のシェイクスピア役者であることを知らずに、何時でもチケットが買えるので、しばらくほっておいて買おうとしたら、ソールドアウトもあって、ようよう手に入れたのを覚えている。
   それ以降、ファンになって、著書を読んだり映画を見たりしているが、劇場では、この時(93年1月27日夜)の1回きりであった。

   シェイクスピア戯曲では、ロンドンで蜷川幸雄の「マクベス」と「テンペスト」を観ている。
   「恋に落ちたシェイクスピア」の劇場によく似たグローブ座は、帰国してから完成したので、この劇場でのシェイクスピア観劇は、その後のロンドンへの旅行の度ごとである。シアター舞台のRSCと、シェイクスピア時代の青天井の舞台のグローブ座とでは、相当雰囲気が違っていて、興味深い。

   もう一つ思い出深いのは、1991年のJAPAN FESTIVAL 。 
   

   このロンドンで、日本の古典芸能に感激して、帰国してからは、鑑賞三昧に明け暮れていたオペラやクラシックへの機会が減るので、乗り換えようと思ったことである。
   歌舞伎は、この口絵写真の”染五郎(現幸四郎)と澤村田之助のハムレット(葉武列土倭錦絵)”と、”玉三郎と勘三郎(当時、勘九郎)の鳴神、鏡獅子、鷺娘、ロイヤル・ナショナル・シアターでの公演”
   文楽は、竹本住大夫、吉田玉男、吉田文雀の「曽根崎心中」
   狂言は、野村万作萬斎父子の「ファルスタッフ 法螺侍」
 
   結局、東京行きが苦痛になり始めた最近まで、20年近く、これも、劇場に通い続けたことになる。 
   ゴルフやスポーツには縁が遠かった分、観劇と旅行で文化鑑賞に勤しんできたと言うことであろうか。
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