熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

石原慎太郎著「私」という男の生涯

2022年07月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   著者の原作映画「太陽の季節」は、高校生の時に見た記憶はあるが、小説など著作については、まだ、読んだことはない。
   したがって、この本が初めての石原慎太郎への出逢いだが、流石にたいした男で、実に興味深く読ませて貰った。

   一度だけ、石原夫妻を見かけた。半世紀近く前のことで、サンパウロのレストランキョウエイで、日系コロニアトップとのランチで、嫌に緊張して畏まっている姿が新鮮であった。

   まず、面白いと思ったのは、著者が京大の文学部仏文を目指していたのを、父の逝去などで経済的な理由もあって、説得されて、「公認会計士」になるべく一橋に転身したという話である。
   京大に入って京都で大学生活を送っていたら、石原慎太郎文學が、どの様に発展し展開していたかと思うと興味津々である。
   それに、一橋で、会計学を学んだことが、都知事時代に役だって、単式簿記で年度予算に呪縛されていた都の会計制度を複式簿記に大改革をして、財政再建を図ったと言うのが面白い。会計学の知識に欠けるので分からないのだが、日本の公会計は単式簿記的のようであり、良いのか悪いのか、世界に冠たる巨大な債務超過国でもあり、会計制度が不備だとすれば、心配ではある。

   この本は、65歳を前に書き始めているので、20年以上過ぎて完結した石原慎太郎の自伝であり備忘録であり遺書でもある貴重な作品だが、波瀾万丈の2世代以上に亘る人生の軌跡を克明に描いており、それぞれの小説よりも奇なる多くの挿話など感動的である。
   その間には、命をかけた危険、初島ヨットレースの途次、寒冷前線が相模湾でズタズタに裂けて突風が四方八方から吹きすさび、巨大な三角波をかき立てて多くの船が航行不能となり沢山の選手が死亡したり、北マリアナへの冒険ダイビング航海の事故で肋骨にひびが入り、苦痛に耐えながら火山の爆発で無人となったパガンの廃絶された飛行場で奇跡的に救出されてサイパン経由でグアムの病院に運び込まれたり、南米をスクーターで縦断した際、チリからアルゼンチンへの国境の湖を越えるとき、キャラバンを乗せたフェリーが事故で沈みかかけた時など、まさに進退窮まりそうになった時には、「死」について予感することなどあり得なかったが、
   高齢に達して、脳梗塞を患って弱ってくると、「死」を予感し始めて、今までに味わったことのない一種投げやりの感情で、しきりに思うのは、自分にとっての「最後の未知」「最後の未来」たる己の「死」のことばかりである。とトーンが暗くなってくる。

   さて、逸話の中には、当然、石原裕次郎が登場する。
   裕次郎の放蕩生活や壮絶な死との戦いなど、流石に、兄弟としての描写だが、石原慎太郎の小説の題材を提供したのは裕次郎であったし、面白かったのは、裕次郎の入れ知恵で、昼の新橋の「フロリダ」を借り切って、パーティを開いて、津田塾や東京女子大生たちにパー券を売って儲けて、極貧の寮生活を潤したという話である。そう言われれば、我々も、京都女子大や同志社女子大などと、合同ダンスパーティをやっていたのを思い出した。

   知らなかったのだが、日比谷にある立派な日生劇場は、五島昇に勧められて、27歳であった石原慎太郎がプロディユースして出来上がった劇場だという。
   カール・ベーム指揮のドイツオペラで杮落としをしたことは知っていた。浅利慶太が出来上がる場ともなった。

   25年表彰を受けた国会議員でありながら大臣経験は、たったの2回。
   興味深いのは、沖縄返還に関わる核問題に関する佐藤総理との未曾有の体験を語っていることである。
   佐藤総理と、アメリカの核戦略の警備体制の基点であるコロラドのNORAD「ノースアメリカン・エア・ディフェンス」を訪れた時に、核有事の際の日本への攻撃を察知する能力はアメリカにはなく、日本は、アメリカの核の傘の下には入っていないと知らされて、現地の司令官から、「不安なら、日本は、核開発をして自分で自分を守る努力をせよ」と言われた。
   佐藤総理は、非核三原則を唱えながら、アメリカの核の傘など当てに出来ないことを熟知しており、ドイツと組んでの核開発をオファーしたり、自らの核開発を密かに画策するなど、政治の見事な二枚舌には端倪すべからざるものがある。 いまでも、なお、日本は、核開発を行い核兵器を保有すべきだと信じている。と言う。

   環境大臣の時水俣病との遭遇で、報告書などひた隠し拒絶する役人を払いのけて現地を視察して調査、生まれて初めて体験した環境汚染たる現代文明に関わる本質論の実体験は忘れることの出来ぬもので、以来、自身の文明批判の本質的論拠となった。
   これが、後の都知事の時代に、ディーゼルカーによる排気ガスのもたらしている惨状への挑戦、対処として行政に反映されている。

   さて、この本には、好色だと自任する石原慎太郎の女性遍歴が、結構、あけすけに書かれていて面白い。
   私の妻やNやSやYにせよ、私が強いたわけではないが、わたしのために多くの犠牲に耐えてくれたお陰で、私に人生はかなり深く彩られたものとして在ることができたとは言えるに違いない。あの一人を除けば私が関わった女達を私は真剣に愛したし、彼女たちも愛してくれた。その華やかな至福さを私は彼女たちへの感謝と共に他の男達に向かっても誇れる思いでいるが。と言う。
   あの一人というのは、懇願を押し切って婚外子を生んでしまった女性である。
   奥方とは、高校生であった彼女との出逢いを親戚に見つかり、芥川賞に入賞したので結婚を申し込んだのだという。
   ラブシーンの指導にかまけて、高峰三枝子に迫られたのだが、男が女を口説くのが順だと身を引いたのを、慚愧に堪えぬと述懐している。
   都知事時代に、45歳若い彼女と逢瀬を続けていたと言うから、強いのである。

   とにかく、興味深い話がフンダンにある、実に面白い本である。
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