熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

古い時代の中国文化への憧れ

2022年02月08日 | 学問・文化・芸術
   金文京京大教授の「李白――漂泊の詩人 その夢と現実」を読み始めている。
   冒頭から、李白が、ソグド人またはバクトリア人であってもなんら不思議はないと言う思いもしなかったような叙述。李白の故郷と言われている天山北路の砕葉(スイヤブ)やアフガニスタンの条枝(ガズニ)について語り、一気にシルクロードの故地に話が飛ぶ面白さ。
   先日、NHKの「空旅中国「李白 長江をゆく」」を見て、久しぶりに「李白」の世界に浸りたいと思ったのである。
   この番組は、
   唐代の詩人、李白は大河、長江流域の出身。都で活躍も失敗し長江に戻り、旅が始まる。古都、南京から上流へ。都での活躍ゆえ各地で歓待され…村人から「万の酒屋」の誘い文句で訪れた美しい村、桃花潭。動乱から身を隠し大自然のすごみを詩に著した廬山。やがて反乱の一味として流刑!さらに上流、三峡の断崖へ。言葉を信じ続けた李白の旅をたどる。李白に欠かせぬ“酒”も登場。
   語り・宇崎竜童、小谷直子 音楽・関美奈子が、素晴しい。

   もう一つ、素晴しいと思ったNHKの番組は、「空旅中国「孔明が挑んだ蜀の道」」
   武将たちの攻防と生き様を描き、人気を博してきた中国の歴史大作「三国志」。その歴史舞台を風の如くドローンで飛び偉人たちの足跡をたどる。今回は天才軍師として名高い「諸葛孔明」が、宿敵、魏を倒すため進んだ「蜀の道」を行く。そこは四川省の成都から、大巴山脈、秦嶺山脈を越える約1000kmの道。大絶壁あり、谷にかけられた桟道あり、世界遺産の石窟あり、大自然の絶景溢れる新感覚の歴史紀行だ。
   語り・さだまさし,小谷直子
   この番組は、丁度、日経夕刊の連載小説、宮城谷昌光の「諸葛亮」が始まったところであり、非常に興味を持ってみた。
   それに、偶然にも、今、日経の朝刊の連載小説も、安部龍太郎の「ふりさけみれば」で、阿倍仲麻呂を主人公とした中国の歴史小説。
   玄宗皇帝や楊貴妃、李白も登場する盛唐期の巨大なスケールの絵物語で非常に面白い。

   これに並行して、三国志の「赤壁の戦い」を、名匠ジョン・ウー監督が壮大なスケールとアクションで描き大ヒットしたスペクタクル史劇2部作シネマ「レッドクリフ Part Ⅰ & Part Ⅱ」も一緒に鑑賞した。
   世界史の授業で得た中国史の知識くらいで、まだ、「三国志」さえ読んでいないのだが、諸葛亮孔明については、土井晩翠の「星落秋風五丈原」が強烈な印象として残っている。

   李白と杜甫については、数年前に、宇野 直人 &江原 正士の「李白」「杜甫」を読んで感激したのだが、学生時代に読んだのは、「紅楼夢」と「金瓶梅」くらいで、中国史についても、教養の域を超えていなかった。
   しかし、京大の学生であったお陰で、教養部での宮崎市定教授の中国学に関する感動的な授業を受け、それに、何らかの形で講演などで、貝塚茂樹や吉川幸次郎や小川珠樹と言った最高峰の教授達から中国文学の話を聴くなど、恵まれていた。
   今から思えば、経済学部より、文学部に行くべきだったと思っている。

   中国へ初めて行ったのは、1979年の夏、中国が外国へ門戸を開放した直後で、文革が終って疲弊が極に達していた極貧の中国を見た。今思えば、この40数年の中国の躍進は驚異以外の何ものでもない。
   当時は、北京にある外人用の最高級ホテルの空き室の数に合わせて入国ビザを発給していたので、数が極めて限定されていて随分待たされた。それに、役人との交渉は、役所に接客設備などある筈がないので役人がホテルにやって来て我々の部屋で行うのが常であったし、いつ来るのか分からず、延々と伸ばされて、それに、先方にビジネス感覚がないので、中々埓が開かなかった。
   当時は、紫禁城や頤和園や天壇などには、何の制限もなく自由に入れて、それに、監視の役人も殆ど見かけなかった。紫禁城など丸1日十分に見ることが出来た。映画「ラスト・エンペラー」の撮影後の放置された巨大なセットのような風情で荒れ果ててはいたが、中国史の本質に触れた思いで感動しきりであった。
   いくら待たされて時間を持て余したと言っても、何時役人達が来るのか待機の必要があったので、遠出の万里の長城行きは遠慮した。
   紫禁城や天壇は、昔のままだったと思うが、頤和園の悲惨な状態は、欧米に破壊蹂躙された歴史の傷跡が如何に熾烈悲惨を極めたか、胸が痛くなって長い間佇んでいた。
   残念だったのは、短期間だと思って軍資金を十分に持って行かなかったので、折角、沢山の貴重な骨董に接しながら、景徳鎮の花瓶くらいで、何も買って帰れなかったことである。勿論、クレジットカードなど使えるはずもなく、現地通貨元への交換も、外人用の元は特別な紙幣であったし、外人専用の店舗で買い物をすることになっていた。
   その後、時間を空けて上海や近郊を訪れているので、中国の変貌ぶりは、身近に感じている。最後の中国旅は、このブログの「初春の上海・江南紀行」で書いている。
   その前の旅では、杭州の西湖に行く機会があって、中国文化の美学の一端に触れた感じがして感激した。

   さて、何故、李白に触れながら中国について書いたかと言うことだが、私には、学生時代から、中国の文化文明については、分からないながらも、一種の憧れというかその偉大さに感銘する思いがあった。
   4大文明の発祥地で、紆余曲折や浮沈はあったが、太古から文化文明を途切れることなく維持継承してきた歴史上稀な唯一の大国であり、そのスケールの大きさや質の高さは驚異とも言うべきであろう。
   好き嫌いは別にして、日本の文化文明の発展進化の多くは、中国抜きにしては語れないほど影響を受けてきた。

   尤も、今の中国なり習近平政権の中国が好きかと言われると、尖閣や南沙、ウィグル人権問題など許せないし、大いに違和感があって、スンナリとは承服しかねる。
   しかし、その誇り高い中国が、アヘン戦争を皮切りに、欧米列強に無残にも破壊され蹂躙された屈辱的な100年の歴史に義憤を感じて、2049年の100年マラソン計画で大唐帝国の再興を目指す国是は分からないわけではない。昇り龍状態の中国にとっては、今こそ、歴史転換への千載一遇のチャンスなのである。
   いずれにしろ、中国の歴史が大きく動いたのは、良かれ悪しかれ、絶対的な権力を握った専制的支配者の時代であって、習近平もいわば現代版の皇帝だと言えよう。絶対的権力者の支配体制がビルトインされた中国においては、
   豊かになったら中国が民主主義国家に変貌して行くなどと言った幻想は、欧米の勝手な文化的歴史観であって、豊かな歴史と伝統を築き上げてきた中国が、全く異なった世界観や理想を打ち立てて前進して行くのは歴史の必然であって、新たなグローバル秩序が形成されるのは間違いないであろう。
   米中の冷戦紛いの深刻な対立もそうだが、日本においても、かなり対中関係が悪化しているのだが、私自身は、歴史的な密接な関係に鑑みても、日本としては、もう少し良識のある、寛容かつ冷静な対中関係であるべきだと思っている。

   
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