熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

中村吉右衛門著「夢見鳥」

2020年04月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   中村吉右衛門の日経の私の履歴書を主体にして、ほかに、自演の舞台についての芸論と舞台上演記録を集大成した本である。
   手元に松本幸四郎(白鴎)の著書「私の履歴書」があるのだが、同じ兄弟の歌舞伎役者でありながら、随分、違いがあるのが興味深い。

   25年以上、歌舞伎座に通っているし、国立劇場にも行って歌舞伎を観ているので、吉右衛門の舞台は、随分観ている。
   この本の後半第3章の「芝居への想いを語る」で、吉右衛門が演じたキャラクター俊寛から忠臣蔵までの18編にわたってその想いを綴っているのだが、その殆どは観ている。
   また、「半ズボンをはいた播磨屋」など吉右衛門の著作も何冊か読んでおり、この履歴書も、日経掲載時に読んでいるので、結構、吉右衛門のことは分かっているつもりだったが、改めて読んでみると面白い。

   ただ、今回、意外に感じたのは、吉右衛門は、この履歴書を、非常に分かりやすい語り口で、淡々と書いているので、偉大な吉右衛門の名跡を継ぐという重圧に耐えながら非常に波乱に富んだ大変な半生だあったはずなのに、そのように深刻には感じられないほど、すらりと読めたことである。

   例えば、東宝に移籍してから、二代目中村吉右衛門襲名披露興行を行ったのだが、歌舞伎よりも現代劇に多く出演し、女優を相手に脇役で出ることが殆どであった頃、これでいいのか、このままでは吉右衛門の名跡を汚してしまうのではないか、それならやめてしまった方がいい―――ガス管をくわえたこともありました、といい、
   「歌舞伎役者の吉右衛門」とかたくなに思っていて、歌舞伎として二代目として立派にならなければ、初代をおとしめることになり、ここには居られないと思って、菊田一夫に「やめさせてください」と言って、一度飛び出した松竹に、初代の弟子共々と一緒に松竹へ戻った。
   やはり、すんなりとは行かず、時間をかけて何とか戻ることが出来たが、今思っても奇跡だとしか思えないと言う。
   同じ東宝に入っても、兄の幸四郎の方は、「王様と私」「ラ・マンチャの男」などのミュージカルや、蜷川とのシェイクスピア劇や「アマデウス」などの異分野のパーフォーマンス・アーツに芸域を広げて活躍したのとは違って、歌舞伎にこだわり続けたというところが吉右衛門の真骨頂であろうか。
   歌舞伎では、実父幸四郎を通して、外祖父の初代吉右衛門と祖父の七代目松本幸四郎の両者の芸を継承するという大変な使命を感じて、その重圧に苦しめられ続けたと言う、その葛藤も大変だったのであろう。

   「佐倉義民伝」で、初代と一緒に舞台に立ち、吉右衛門を継がなければならないと何とか意識して、跡取りとしての道を歩み始めたつかの間、初代が亡くなった。
   初代が亡くなると、吉右衛門を取り巻く環境は急変・・・慣れ親しんだ初代の楽屋からは追い出され、ちやほやしてくれた周りの人々の態度も冷たくなり、「若旦那」と呼ばれていたのが「馬鹿旦那」に変っってしまったが、本人はつとめて気楽にしていたという。
   親が亡くなって後ろ盾をなくした名門歌舞伎役者が、一気に、このような悲運に遭遇するという話は、何度も、聞いたり読んだりしてしてはいるのだが、吉右衛門の場合には、実父の八代目 松本 幸四郎と言う最高峰の歌舞伎役者が存在していても、そうだったとは驚きであった。

   もう一つの転機は、20歳で、山本周五郎の「さぶ」の舞台に立ったとき、客には受けたが、いらいらを抑えきれず、ついに精神安定剤をジンで飲むようになって、夜中に吐血して救急車に運ばれる事態になって、舞台に穴を空けて代役を立てて周囲に多大の迷惑をかけた時。
   悩み続けて翌年父に、「役者を止めて、フランス文学を勉強しに留学したい」と言ったら、「何にでもなっちまいな」と、背中を向けたので、その寂しげな背中を見たとき、はっとして、実父は、双肩に、播磨屋(吉右衛門家)と高麗屋(幸四郎家)の芸を担って、それぞれを幸四郎と吉右衛門に継がせるために頑張って来たのだと、初めて気づかされたのだと言う。
   いずれにしろ、このような話も、吉右衛門は、すらりと流すだけで、尾を引かないところが爽やかで良い。

   実母の正子は、初代吉右衛門の一人娘だったが、男の子を二人産み、一人を実家の養子にして吉右衛門を継がせますと言って実父八代目幸四郎に嫁いだので、その次男の吉右衛門は、生まれながらにして運命が決まっていた。
   その実母の厳しいスパルタ教育は熾烈で、大人になっても初日の舞台を観ていて、楽屋でダメだし、
   初代の芝居は分かっていても実際に舞台でやっていないじゃないか、と反抗的であったが、もっと真剣に聞いておけば良かったと後悔しているという。
   
   この本、興味深い芸論や歌舞伎の話のみならず、早大での仏文勉強、スピード狂、絵心、音楽の感動等々、個人的な趣味なども語っていて面白い。
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