熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

安田登著「能」650年続いた仕掛けとは

2018年01月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「能」と言うシンプルなタイトルに惹かれて読んでみたが、面白かった。
   「百番」を目標に「観倒す」ことも一つの導入の方法です。と言うのだが、私の場合は、まだ、そこまでは多少距離があるのだけれど、能が良く分からないのは、相変わらずである。

   著者は、最初に観た「松風」で、須磨の浦の水面に浮かぶ月の風景がはっきりと見えた、「幻視」を経験した。集中して舞台やパフォーマンスを見て何かを読み取ろうとすると、フィクションの情景が思い浮かぶものだ。と言う。
   能にハマる多くの人は、役者の姿に感覚が刺激されるのか、面が感覚を喚起するのか、囃子の音が脳内ARを発動させるのか、時々「見える」感覚がある。能が、「ここまで来い」と待っているラインを何かの拍子で超えた時に、見えないものが見えてくる。と言うのである。
   その観点から言えば、私など、消費の対象として能に接している不熱心な鑑賞者で、妄想力に欠けるために、ラインを越えられないので脳内ARが働かず、能を観ていても、何も見えていないと言うことになる。

   さて、そのことは、ともかく、著者の説く能楽論と言うか、文化論で興味を感じた点を列記すると、
   まず、能楽の歴史についてだが、幕府や武家の後ろ盾がなくなって、能が史上最大の危機に直面した時に、支えたのは、岩倉具視、そして、1965年の能の大ブームを引き起こしたのは、立原正秋の小説「薪能」、そして、三島由紀夫の「豊饒の海」、
   「翁」の「あらたらたらりたらりら」の詞章は、チベットの「ケサル王伝説の最初に謡う神降ろしの歌」だと言うこと、
   能面の目的は、「変身」。神懸り、憑依であり、それを可能にする装置、
   謡の言葉の文体は「候文」であり、口語で互いに通じなかった江戸時代には、この候文が武士間の公用語として使われていた。
   
   世阿弥が完成させた「夢幻能」は、「念が残る」「思いが残っている」と言った残念、特に敗者の無念を昇華させた物語構造になっている。
   幕府と言う勝者が、わざわざ非業の死を遂げた敗者をテーマにする能を認めたのは、敗者を鎮魂する、敗者たちの恐れを厄落としをしたと考えられる。
   これを前提に、松尾芭蕉、そして、奥の細道を考えているところが興味深い。

   芭蕉が奥の細道の旅に出発したのは、源義経の500年忌にあたり、その目的地平泉こそ、義経終焉の地である。
   さて、代々の天皇が恐れたのは崇徳院だが、当時の徳川将軍の一番恐れたのは、武家で怨念を抱いて死んだ義経の怨霊であった。その義経の鎮魂と言う大事業を任されたのが、柳沢吉保の歌の先生北村季吟が推薦した弟子の松尾芭蕉であった。
   こうして、芭蕉は、門人曽良を伴って、深川を発ったと言うのである。
   以前から、芭蕉の隠者スパイ説が囁かれていたのだが、面白い仮説である。
   更に、著者は、芭蕉が、ワキ僧の役割を果たしたとして、「遊行柳」や「殺生石」を絡ませながら語っているのが興味深い。
   
   もう一つ面白いと思ったのは、能は、花鳥諷詠の俳句と同様に、「極楽の芸術」だと言っていることである。
   能では、どんな悲惨な人生を描いたものでも、その主人公の多くが舞を舞う。舞によって、「今までの障害が救われ、極楽世界に安住することを示す」、つまり、舞は救いを齎すもので、舞い謡い遊ぶ芸術である能は、極楽の芸術だと言うのである。
   
   この本では、他に、家元制度と能の継承、プロプリオセプター、「申し合わせ」だけのぶっつけ本番公演、等々興味深い話や、如何に、能が素晴らしくて日本文化芸術の根幹なのかなど、我田引水も含めて、一寸毛色の変わった能楽解説書で、面白い。
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