熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「難波」狂言「松楪」

2018年01月06日 | 能・狂言
   今年の私にとっての初芝居は、国立能楽堂の「定期公演」であった。
   演目は、新春の目出度さを祝して、能 難波(金春 安明(金春流))、狂言 松楪(山本 則孝(大蔵流))であった。

   能「難波」は、2時間に及ぶ長舞台で、金春新旧宗家が、華麗な舞を見せる素晴らしい舞台であった。
   この能「難波」は、世阿弥の真作の脇能で、自作本が残る由緒正しい春の名曲だと言う。
   「難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花」と言う古歌を引用して、天皇への即位を遠慮していた仁徳天皇を促すように咲いた難波の名花梅の花の目出度さを称えた、祝祭の能だと言うことで、後場では、
   梅花の薫る早春の夜、木花開耶姫(後ツレ/金春憲和宗家)の精魂が現れて華麗な序の舞を舞い、続いて、仁徳天皇をサポートした王仁(後シテ/金春安明)が、荘厳な舞楽を披露して天下泰平を祝福する。
   前シテは、小尉の面の老人姿だが、後シテの王仁では、鷲鼻悪尉の面に厳めしい兜のような冠をつけた、中国の武将のような出立で舞う姿には、威厳と荘厳さが漂っていて素晴らしい。
   安明師の朗々と美しく響く謡にいつも感動している。
   前ツレ/女も後ツレ/木花開耶姫も、憲和宗家は、増の面で舞っていたが、実に優雅で美しい。

   狂言「松楪」は、祝福を主題とする脇狂言なので、今回は、能「難波」の後に上演された。
  摂津の百姓(山本則孝)が松を 丹波の百姓(山本則重)が楪を、、年貢として持って上洛する途中道連れになって領主の館に行く。奏者(山本東次郎)の取次で収めた後、年貢によそえた和歌を詠まされたのだが、出来が良かったのでほめられて盃を頂戴する。洛中を舞下がりせよと言われた二人は、喜びの気持ちを込めて松と楪の目出度さを謡いながら、三段の舞を舞って帰って行く。
   大長老東次郎のサポートよろしく、若い二人が達者な芸を披露する素晴らしい狂言で、フルアテンドの囃子方の演奏する楽に乗って、三段の舞を舞い続ける。

   一つ、馬鹿らしい疑問だが、丹波は、京都や兵庫の北方、摂津は、兵庫の南方・大阪の北方であり、逆方向であるから、京都に行くのに、二人が合流する地点がどこなのか、分からない。淀川沿いの山崎や三川合流地帯ででも出くわすのか、関西は故郷であるので、つまらないことを気にしながら観ているのも、狂言なのかも知れないと思っている。
 
   ところで、これは、大蔵流だが、和泉流になると、おほめにあずかった後、二人に対して一つの烏帽子を貰い、最初は、交互に着けて出るのだが、二人一緒に出よと言われて、烏帽子を三方に載せて、夫々片手で捧げて、二人の頭上に頂いた形にして出ると言う。
   「二人袴」の発想であろうか、面白い。

   綺麗な正月飾りだが、伊勢エビなど作り物なのが、少し寂しい。
   
   
   
コメント
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