熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

壽初春大歌舞伎・・・幸四郎の「勧進帳」

2018年01月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   白鸚・幸四郎・染五郎の三代にわたる37年ぶりの襲名披露公演が話題を呼んでいて、連日、歌舞伎座は大変な賑わいである。
   まず、私が観たのは、襲名披露口上のある夜の部で、襲名する三代の高麗屋を真ん中にして、22人の威儀を正した名優たちが居並ぶハレの舞台である。
   近年立て続けに多くの名優が逝き、国立劇場や新橋演舞場、大阪松竹座などでの公演が並行して行われているので、多少寂しい感じではあるが、流石に高麗屋の襲名披露公演なので、披露口上は、藤十郎の司会で、非常に華やかに執り行われた。
   
   夜の部の演目は、
   双蝶々曲輪日記 角力場(芝翫、愛之助ほか)
   二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎 襲名披露 口上
   歌舞伎十八番の内 勧進帳
   上 相生獅子 下 三人形(扇雀、孝太郎、および、雀右衛門、鴈治郎、又五郎)

   夫々、襲名披露公演に華を添える素晴らしい舞台ではあるが、襲名披露口上を除けば、高麗屋の登場する舞台は、「勧進帳」だけであり、私の場合は、別の日の昼の部の、菅原伝授手習鑑の寺子屋で、白鸚の松王丸を観られるのだが、何となく、白鸚の出ない襲名披露公演は寂しい感じがした。

   幸四郎の弁慶を観たのは、この歌舞伎座の顔見世公演2014年11月02日で、この時、私は、次のように書いた。
   東西随一の弁慶役者である実父松本幸四郎を富樫に、そして、同じく叔父中村吉右衛門を義経にと言う超豪華なサポートを得て、手負い獅子の如く勇猛果敢に、満を持して檜舞台に躍り出た。
   激しい気迫と気負いはあっても、お小姓弥生のたおやかさも、近松の大坂男の弱さ悲しさも微塵もなく、正に剛直そのものの弁慶染五郎になり切った舞台である。
   頂点を極めた弁慶役者幸四郎と吉右衛門のその目の前で、それも、曽祖父である七代目幸四郎が約千六百回勤めるなど高麗屋ゆかりの弁慶役を、初めて演じると言う、強烈なプレッシャーに抗しながら、不惑を越えたが故にか、
   黒紙の巻物を勧進帳に見立てて天も響けと読み上げる胆力と決死の覚悟、主の義経を杖で打擲する苦渋と悲哀、富樫の振る舞い酒を豪快に煽る豪胆さ、そして、「延年の舞」の巧緻さと「飛び六方」の豪快さ、澱みなく演じ切った。

   今回は、吉右衛門の富樫で、義経は、染五郎を襲名した実子金太郎、そして、四天王は、鴈治郎、芝翫、愛之助、歌六と言う名優揃いで、豪華な舞台を披露した。
   流石に、幸四郎で、お家の芸である「勧進帳」の弁慶を、既に、自分の重要なレパートリーに取り入れての極めて堂に入った豪快でエネルギッシュな舞台を見せてくれて、飛び六方で揚幕に消えるまでの全舞台を、一気に見せて観客を魅了した。

   尤も、この舞台を、非常に格調高く、素晴らしく感動的にしたのは、吉右衛門の絵の様に美しく風格のある富樫あってこそであることは言うまでもない。
   偽の勧進帳を読む弁慶ににじり寄る微妙な挙動、義経主従だと分かっておりながら、一行を通過させる決心をして、じっと運命の不可思議を噛みしめながら意を決して退場して行く武士としての愛情と悲哀、万感胸に迫る義経一行を見送るラストシーン、
   こんな素晴らしい富樫のカウンタベイリングパワーが炸裂した勧進帳の舞台、
   武士の情けに心の底から感謝しながらも、
   ”手束弓の、心許すな。関守の人々。
   暇申して、さらばよ、とて。笈を、おっ取り。肩に打ち懸け。
    虎の尾を踏み、毒蛇の口を、のがれたる、心地して、
   陸奧の国へぞ、下りける。" と、決死の思いで、飛び六方を踏みながら揚幕に消えて行く幸四郎の弁慶の芸が光るのである。

   私は、能を見始めてから、「勧進帳」のオリジナルである能「安宅」に非常に興味を感じて、能と歌舞伎・文楽と見比べており、5年前に、このブログに、「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」を書いたのだが、偉大な名優たちが、最高峰の戯曲の舞台に、大変な思いと辛苦を投入して取り組んでいる姿を感じて、感激しながら鑑賞し続けている。
   これまで、シテ武蔵坊弁慶を、金剛永謹宗家、観世清和宗家の舞台で鑑賞したのだが、中々、観る機会には、恵まれていない。
   歌舞伎・文楽ともに、かなり、能の詞章を踏襲しているのだが、関所通過については、殆ど能では強行突破、歌舞伎文楽では切腹覚悟の富樫の武士の情け、と言った調子で演出に差があって、その違いなどの微妙な差が興味深いのである。

   さて、今回、義経を演じたのは、若くて清新な染五郎。
   これまで、随分、勧進帳を見て来たが、この義経は、最近では、吉右衛門、それ以前には、先代の芝翫、藤十郎、玉三郎、梅玉などと言った座頭級の大役者の舞台が大半であった。
   山川静夫さんが、この舞台の主役は義経だと言うのが良く分かったのだが、正に、染五郎となると、子方の演じる能の世界と相通じる感じがして、それもありかなあ、と新鮮な思いで見ていた。
  
   
   
   
   
コメント
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