熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

社員再教育、日本は最低だと言う

2018年01月10日 | 経営・ビジネス
   今日の日経夕刊トップに、「社員再教育 日本は最下位と言う記事が掲載されていた。
   勤務先は費用負担するのは4割で、男女格差が著しいと言う。

   今でも、私の友人の中には、日本の労働者は最高の知識や技術を持っており、日本の経済力は世界屈指の実力を維持しているなどと思っている者がいるのだが、これ程時代錯誤が甚だしいことはないと思っている。
   
   まず、真っ先に感じているのは、海外留学制度の退潮である。
   以前にも、米国の知日知識人が、ハーバードの日本人留学生が5人だと嘆いていたと書いたことがあるが、いくら何でも5人だとは思えないが、雲霞のごとく押し寄せている中国人留学生と比べれば、雲泥の差で今昔の感がある。
   冒頭の社員教育の貧弱さにも呼応するが、Japan as Np.1の頃、日本経済が破竹の勢いで快進撃する少し前頃から、日本の主な大企業は、社員の海外留学制度を設けて、若い社員を、欧米のトップクラスの大学院や高等教育機関、あるいは、MNCなどの先進的大企業や国際組織に、留学生を送り込んで、社員を教育していた。

   私も、その恩恵に預かって、トランプと同窓のウォートン・スクールでMBAを取得して、欧米などで仕事をしてきており、ヨーロッパでの事業で私と一緒に働いたスタッフの主な者は、欧米のMBA取得者やスタンフォードなどで学んだエンジニアや、欧米企業での研修留学を経た者たちであったので、欧米ビジネスマンたちと互角に渡り合って、仕事が出来たし、何の怖気も不安もなかった。

   海外留学には、賛否両論あって、これ以上の議論は止めるが、今でも、欧米、特に、アメリカのトップ大学や高等教育機関の実力とその凄さは、想像を絶するほどのものであることは疑いの余地のない事実であって、ここで学び、世界に雄飛してグローバルに通用するコスモポリタン社員を育成しない手はないと思う。
   ところが、貧しくなって成長意欲の萎えた日本企業は、殆ど、この虎の子の海外留学制度を止めてしまって、また、日本の若者たちも、海外へ出ようとしない。
   現在、日本人留学生の大半が、語学留学であったり短期間だと言うのだが、これではほとんど意味がなく、欧米のトップ高等教育機関で、世界の優秀な若者たちと、丁々発止のバトルを繰り広げて、切磋琢磨しなければならないと思う。
   今、アメリカのトップ大学のMBAを取得するためには、少なくとも、2~3000万円掛かると聞くが、個人では、費用のみならずキャリア上も無理で、キャリア・ディベロップメントの一環として組み込まれた企業なり政府機関なりが、海外留学制度を整備することが、一番良いように思う。

   尤も、冒頭に書いたように、「社員再教育 日本は最下位」と言うことで、勤務先が費用負担するのは4割だと言うのでは、海外留学制度などは、夢の夢かも知れない。
   それに、名だたる大企業でさえ、社員をこき使ってブラック企業リストにランクされるような日本の現状であるから、植木等の時代とは雲泥の差で、サラリーマンとは、気楽なもんではないのであろう。

   もう一つ、社員教育における日本の企業の良さは、オン・ザ・ジョブ・トレイニング(OJT)にあった。
   アメリカでは、プロフェッショナルを育成するためには、プロフェッショナル・スクール、すなわち、ビジネス・スクールやロー・スクール、エンジニアリング・スクールやメディカル・スクールと言った大学院制度が整っていて、ここでマスターやドクターを取得した者が、即、プロとして役に立った。

   ところが、日本では、大学はあくまで基礎学力をつけるだけの基礎機関であって、その企業に役立つ一人前のプロは、企業での仕事を通じて教育訓練されると言う、いわば、企業がプロを育成するプロフェッショナル・スクールの役割を果たした。
   エンジニアでも10年くらい徒弟奉公しなければ一人前のエンジニアにはなれなかったし、文科系でも、どこの学部卒かは関係なく、色々な部門を回りながら勉強して、すなわち、OJTで事務屋として一人前になって、専門業務に就くと言うのが一般的であった。
   ところが、バブルが崩壊した頃からであろうか、企業に余裕がなくなって、OJTが作用しなくなって、大学が旧態依然の体たらくであるから、研修や教育の機会を失った社員の質がどんどん劣化して行ったという。
   このあたりも、日本企業の国際競争力の低下原因ではないかと思う。

   さて、本題に戻るが、今や、ICT革命が時代の潮流を激変させてしまって、並の生き方をして居れば、時代の流れについていけないし、どんどん、新しい仕事の流れに取り残されて、アメリカのトランプを熱烈に支持したラストベルトの低学歴のプアーホワイトのように、経済社会から排除されてしまう。
   しからば、社員の再教育は、企業生き残りのためには、絶対に必要な最重要課題である筈で、このままでは、益々、日本経済が沈んで行く。
   AIやIOT全盛の時代であって、高度に専門化が進んでいるので、OJTは勿論、貧弱な企業内教育では、キャッチアップ不能であって、特別な専門機関へ社員を送り込むなど、益々、社員教育にコストをかける必要がある。
   日本企業の大半は、社員の知的武装や技術武装への教育費用を、避けたいコストだと考えているようだが、ドラッカーが口を酸っぱくして説き続けていたように、これを投資だと考えられないところに悲劇がある。
   どうするか、日本企業。教育投資如何が、その企業の命運を分けよう。
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