熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

壽初春大歌舞伎・・・白鷗の「寺子屋」

2018年01月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   高麗屋三代襲名公演の昼の部では、「菅原伝授手習鑑」の「車引」で、幸四郎が松王丸を、そして、白鷗が「寺子屋」で、松王丸を演じた。
   先に観た「夜の部」では、白鷗の歌舞伎を観ることが出来なかったので、やはり、年季の入った高麗屋の伝承の芸を凝縮した白鷗の十八番の寺子屋は、格別である。

   同時に演じる役者たちの布陣も、次の通りで、素晴らしい感動的な舞台を作り上げている。
   松王丸  幸四郎改め白鸚
   武部源蔵 梅玉
   千代 魁春
   戸浪 雀右衛門
   涎くり与太郎 猿之助
   百姓 吾作 東蔵
   春藤玄蕃 左團次
   園生の前 藤十郎
   その他百姓 由次郎、桂三、寿猿、橘三郎、松之助、寿治郎、吉之丞

   悲惨な舞台で、唯一の清涼剤とも言うべき舞台を繰り広げる涎くり与太郎に猿之助、その父親の吾作に東蔵と言う豪華キャストで、スッポンでの寸劇が秀逸であり、観客を喜ばせる。


   私が歌舞伎の「寺子屋」を観たのは、もう20何年も前で、この歌舞伎座で、松王丸が猿之助(猿翁)、千代が菊五郎、源蔵が勘九郎(勘三郎)、戸浪が福助であった。
   また、菅原道真公没後千百年記念の通し狂言で、この時は、松王丸が吉右衛門、千代が玉三郎、源蔵が富十郎、戸浪が松江(魁春)であった。
   その頃、文楽では、元気であった文吾の剛直豪快な松王丸を観ており、それ以降、随分、この寺子屋を観ているが、白鸚の舞台が一番多かったような気がする。
   仁左衛門の松王丸も覚えているが、それ程、私の寺子屋の松王丸は、白鸚の松王丸なのである。

   この「寺子屋」は、白鸚の松王丸を鑑賞する舞台である。
   源蔵が、寛秀才の首を討つ為に首桶を持って奥へ下がると、松王丸は立ち上がって正面に向かうが、首を討つ音が響くと一瞬足がもつれてよろけて棒立ち。吾が子小太郎が討たれた瞬間であり、その苦痛と悲しみを全身に漲らせて後ぶりで慟哭を演じる。 
   振り返った瞬間、居ても立ってもいられなくて走り立った千代とぶつかり、「無礼者めが!」と叫ぶが、目が引きつって正気を失っており、しばし茫然自失。
   恩ある名付け親に忠義を示そうと、自分の子供を身代わりとして差し出したばかりに、遂に首を討たれてしまったと言う絶体絶命の苦痛を噛みしめ、忍従に必死に堪えている松王丸の動揺を、最小限に切り詰めて演じる白鸚の芸の冴えと凄さは、格別である。

   小太郎の亡骸を乗せた籠に向かって奏されるいろは送り。
   文楽は、悲しい程華やかだと言うこともあろうが、悲しさの絶頂である筈の千代は、踊るように舞うように優雅な姿で、サンサーンスの瀕死の白鳥のように、全身で悲しみを表現して、踊ってはいけないと言われている筈の三味線が華麗に爪弾き、悲嘆ドン底の松王丸も、どこか優雅に振舞っていて絵のようなシーンだが、
   この舞台では、義太夫と三味線の哀調を帯びたいろは送りに乗って、悲しみに満ちた松王丸と千代が、静かに慟哭を噛みしめながら焼香を続けて哀れを誘う。

   首実検寸前までの松王丸は、もの凄く髪の盛り上がった五十日鬘に黒地に雪持松の着付羽織と言う実に個性的な敵役めいた凄みを利かせた偉丈夫な姿で通すのだが、
   源蔵宅に立ち戻って真実を語り始めた松王丸は、一変して、血も涙もあり刃を当てれば血がほとばしり出るような人間に戻って、忠義を貫いた使命感の達成と裏腹にわが子を人身御供に送ってしまった苦悩と悔恨が交錯しながら胸を締め付けられて、断腸の悲痛を吐露する。
   松王丸の激しい心情の落差を、白鸚の松王丸は、実に感動的に演じていて、
   小太郎が未練がましくなかったかと聞き、にっこりと笑って首を差し出したと聞いて、「でかしおった・・・千代 喜べ」と言って、豪快に破顔一笑し、その顔が、徐々に崩れて泣き顔に変って行き、
   桜丸の非業の死を悔恨して激しく慟哭して泣き伏すのだが、
   最後まで、千代に対する思いやりと愛情に満ちた眼差しを忘れない優しさ。
   「泣くな、泣くな」とたしなめられても、苦痛に喘ぎ悲嘆に暮れて身悶えする千代の愁嘆場の悲壮も、胸に応えて苦しくなるほどで、それでいて、魁春の、実に美しく優雅に舞うような身のこなしが感動的である。

   この舞台で、有名な台詞は、源蔵の「せまじきものは宮仕へ」
   松王丸の「持つべきものは子でござる」。
   宮仕へについての源蔵の心境は、師匠の子菅秀才の首を差し出せと厳命されて、窮地に立った心情であるから、今の時代でも真実で、誰でも分かる。
   しかし、「持つべきものは子」と言うのは、ことわざ辞典によると、
   「他人ではあてにできない事も、わが子ならばしてくれる。子は持つべきもので、わが子ほどありがたいものはないということ。」と言うことだが、
   松王丸にとっては、自分の菅丞相への忠義心を示すために、一子小太郎を菅秀才の身代わりとして差し出した、すなわち、わが子があったが故に、子供が自分に代わって手柄を立ててくれた、有難い、と言う心であって、あくまで、前時代の価値観である。

   ところで、いつも、引っかかるのだが、この「菅原伝授手習鑑」の重要キャラクターの松王丸などの3人兄弟は、すべて、舎人である。
   舎人とは、ブリタニカによると、 
   「令制で天皇,皇族などに近侍して警固,雑事にあたった下級官人。内舎人 (うどねり) ,大舎人,中宮舎人,東宮舎人,衛府の兵士などの総称。内舎人には身分の高い貴族の子弟が,大舎人以下には下級官人,地方豪族の子弟,白丁 (庶民) が任じられ,課役免除の恩典があった。」とある。
   ところが、この「寺子屋」の松王丸に至っては、下級役人どころか、最高峰の武人貴人と言った風格と威厳を持った存在として、描かれており、実際にもそのような舞台が展開されているのだが、歌舞伎だから、そんなことを考えずに、伝統の芸を楽しめと言うことであろうか。

   最後になったが、梅玉の源蔵、雀右衛門の戸浪の素晴らしさは、正に、襲名披露公演に華を添えている。
   左團次の玄蕃の嫌味の少ない昇華された枯れた芸が好ましい。
   藤十郎の園生の前は、ご祝儀出演と言うところであろう、登場するだけで千両役者の風格である。
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