熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

銀座ブロッサム・・・桂米團治独演会

2018年01月15日 | 落語・講談等演芸
   昨年秋の上方落語が面白かったので、このブロッサムの「桂米團治独演会」のチケットを予約していた。
   国立演芸場へは、何十回と通っているが、他の劇場や寄席で落語を聞く機会は殆どないので、このような大衆化した古い中劇場での高座は、何となく異質であった。
   桂慶治朗の「みかん屋」と桂ひろばの「狸の化け寺」があったが、米團治が、「七段目」「花筏」「天王寺詣り」の3席を、今年は年男で、年末には還暦を迎えると言いながら、愉快に語り続けた。

   いつもは、マクラに、偉大な大先輩の父親を持ったバカボンの悲哀を語るのだが、この日は、まず、近くの歌舞伎座の前を通ってきて、高麗屋三代の襲名披露公演の賑わいを見たと言って、落語界では、三代続くのは珍しいと、正蔵三平を話題にした。
   親が偉いと、その息子は、エエカッコしいで、自分も、人には大盤振る舞いしながらも、裏では牛丼を食べていたと言う。
   話が、不倫騒ぎで、開き直ればよいのにと、逃げ隠れしている会長の文枝の話になり、上方落語協会の理事会が、開かれる筈なのに開かれない、副会長の自分としては困っている、相撲協会と落語協会とどっちが問題なのか、などと語って、笑いを誘う。
   トランプと同じで、普通なら、知られずに済む話でも、有名になれば、マスコミの餌食になって揶揄されるのだが、世間は、それ程気にしているようには思えない。

   昭和33年12月20日が誕生日で、今年は還暦、
   この年建ったのが、333mの東京タワー、長嶋茂雄が巨人に入団して背番号が33、
   天王寺の聖バルナバ病院に、入院した産気づいた母が、一週間しても出産せず、その上逆子、本来なら帝王切開なのだが、すべては神の思し召し・・・
   生まれた赤子は泣かないので吊り下げたら、かすかにフギャー、
   8割は育たないと言われたのだが・・・
   父親は、米朝らしい・・・とにっこり。

   あの偉大な日野原重明先生でさえ、京大在学中に結核にかかり休学して、約1年間闘病生活を送ったと言うのであるから、人生、分からないものである。
   
   さて、米團治の高座だが、
   「七段目」は、以前に聴いている。
   しかし、同じ歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の「七段目」だが、ところどころ場面やシーンを変えて語っており、身振り手振り、芝居や声音の上手さ巧みさ、丁稚定吉との平右衛門とお軽兄妹の会話が秀逸である。

   「花筏」は、国立能楽堂で、桂南光の高座を聴いていて面白かったので、よく覚えているのだが、同じルーツの語りなので、反芻の面白さと、南光の庶民性土俗性と米團治のスマートさと言ったキャラクターの差が出ていて、楽しませて貰った。

   「天王寺詣り」は、初めて聞く落語だが、去年、この天王寺に行って、あのあたりを散策して、このブログにも書いているので、土地勘なり雰囲気がよく分かる。
   能「弱法師」の舞台だが、正式名は「四天王寺」で、JRの天王寺駅にはないので、天王寺さんとして親しまれている寺ながら、大阪人でも、良く知らない人が多いと、米團治は語り始める。
   愛犬を供養するために、連れ立って四天王寺に行き、犬の引導鐘をつく噺である。
   四天王寺界隈の賑わいや露店や庶民の声、西門あたりから石の鳥居、五重塔、亀の池などの境内ガイド、僧侶の読経等々、内容のそれ程ある話ではないのだが、非常にバリエーションに飛んだ語り口の豊かさ落差の激しさなど、正に、聞かせて笑わせる噺で、還暦とは言えども壮年期のエネルギッシュなパワー充満の米團治の面目躍如たる高座で、面白かった。
   残念ながら、米朝の高座を聴いたことがないのだが、やはり、親子なのであろう、米團治の語り口が、ビデオやYoutubeで観ている米朝とダブるのを感じて、まだまだ、2~30年は続くであろう米團治の更なる飛躍成長を実感して興味深かった。

   サゲの後、改まった米團治が、一丁じめと米朝じめで、観客の手を拝借して幕が下りた。
コメント
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