Photo and Occasional Thoughts

アウトドアが好きで写真が好きで 時々想ったことをお伝えできればと思います。

Pomp Man

2012-02-27 | 風景
         西陽を背中に一杯浴びて、少し傾いてしまったポンプ。


 私が小さかった頃、さすがに大阪の難波では殆ど見かけませんでしたが、少し郊外に出ると現役で働いているこの手動ポンプを、結構目にしましたね。 奈良では、今でも現役のポンプを市内で時折見かけますね。 ところで、ポンプはオランダ語なんですね、機械的エネルギーを圧力に変えて液体を移動させる装置なんですね。 この写真のポンプも少し前までは結構お役に立ったんでしょうが、今は使われずに放置されています。 傾いたまま、撤去もされずに見捨てられたように空き地に放置された姿を見ていると、なぜか少し物悲しくなってきます。 決して擬人化して見るわけではないんですが、それでも空き地に見捨てられ、放置されたまま傾いてしまったポンプの独り言が聞こえてきそうです。




前に回ると、年老いた職人のように感じます。 
「そりゃーもー 一生懸命働いたもんや。 朝から晩まで、ぎっこ・ぎっこ・ぎっこ…と、パッキンの擦り切れるのも忘れて、一生懸命働いたんや…」




大正8年5月17日創業の川本ポンプ社製の井戸用ポンプ。 殆どこのポンプですね。






御所まち訪問 其の2

2012-02-24 | 風景
   中本町辺りの四つ辻。 辻に向かって昔ながらの町屋が軒を連ねています、電信柱がなければなーと思いますね。


 御所まちに向かう道中は結構晴れていたんですが、葛城山や金剛山にはどんよりと雪雲かかっていました。 五條から峠(風の森)を越えて降りてくる車は、フロント部分が真っ白に雪をつけて走ってきます。 御所まちにもその後雪雲が降りてきて、小雪がちらつきだしました。 結構寒くもなってきましたので、ついつい足早になってしまいます。 そう言えば何年前だったでしょうか、大和郡山の古い城下町を訪ねた時も横殴りの雪に出合いました。 このあと、東御所を少し回ってから遅くなってしまったお昼をとるために御所まちを後にしました。
(12.02.19 撮影)



西久保町辺りですね。 まだ雪がちらついています。




西久保町の先の四つ辻を曲がると、民家の中に大きなタンクが…お酒のタンクでした。




200年あまり続く地元の造り酒屋、油長酒造さん。 酒樽はは銘酒「風の森」ですね。




油長酒造さんのある辻は中本町でした。




ことばの意味を聞けなかったんですが、魚の棚(うだつのある町並み)あたりです。




時折お日様が顔を出すと、すこし暖かくなったように思います。 左奥に葛城山が見えていますね。




昔、大阪市内にもこんなタバコ屋さんがありましたが、今日はお休みのようです。




かまどの煙出しのある町屋、吉野郡ではよく見かけますが、町中では珍しいですね。




先ほどまでお日様が顔を出していたんですが、また雪が降り出してきました。 おなかも空いてきましたね。






御所まち訪問 其の1

2012-02-21 | 風景
     高札場。 江戸時代には、幕府のもっとも重要な法令を木の板に(高札)に書いてあげることが義務付けられていました。
 


 御所市には仕事でよく出かけるんですが、ほとんどが限られた場所で、以前から御所まちと言う名前を耳にしていましたので気になっていました。 奈良県下には、これまで何度もご紹介いたしましたならまちや今井町、大宇陀の宇陀松山地区、高取町の土佐街道沿いなど、江戸時代初期辺りからの古の町並みが今も現役で残る地区が沢山あります。 御所まちも、江戸時代初期に形成された陣屋町で、その後も奈良中南部の中心地として繁栄を誇ってきました。 御所まちは、一つの川をはさんで西岸には商業都市の西御所、東岸は寺内町の東御所と、二つの町が形成され、江戸時代の検地絵図がいまでも使えるほど、町のかたちはよく残っています。 家々の間を流れる水路(背割り下水)まで、ほぼ当時の姿をとどめており、伝統的な建物がたくさん並ぶ風情ある町並みです。 江戸時代から明治・大正・昭和、そして平成へと、連綿と今も生活の息吹が続く御所まちを二度に分けてご紹介します。
(12.02.18 撮影)

御所まち詳細はこちら。



市役所の駐車場に車を止めて御所の街を歩きだしました。 昔ながらの青果市場の木製の看板にゴセ
377番の電話番号が。



まず初めに西御所の町並みを。 先ほどまで晴れていたんですが、葛城山から雪雲が降りて来ました。




西川医院さん、これもまた古い看板ですね。




T地路にて。




今でも当時の環濠が現役で使われています。 雪も少しちらついてきました。




この辺りの環濠はすこし整備されていますね。




春の田おこしが終わったんでしょうか、右手の四地蔵踏切を越えて帰ってこられました。




瓦屋根が続きます。




昔ながらの燃料屋さんが残る辻。 右は鴨口町です。




浄土宗 正福寺さん、ここも結構古そうですね。





休みの日は出来るだけ歩きましょう!

2012-02-18 | 風景
         住宅地の南外れ、ここから矢田丘陵の端っこに入っていきます。 写真は歩いて来た道を振り返って。 


 本当に普段は運動不足ですね。 毎日の通勤は車ですし、仕事の移動も車、資料作りや打ち合わせなどなどほとんどがデスクワーク、普段1日どのくらい歩いているんでしょうか。 一日1万歩ほど歩ければ健康に良いらしいんですが、仕事柄?あまり歩けていませんね。 デスクワークが続いた日などでしたら数千歩どまりで終わってしまいます。 せめて休みの日ぐらいはと意識はしているんですが、何やかやと用事があったり、ここ最近の寒さですとついつい億劫になってしまっています…いかんですね。 この日は朝からまずまずの晴天に恵まれ、午前中に用事も片づきましたので、午後から歩くことにしました。 我が家からスタートして住宅地を抜け、矢田丘陵の端っこにとり付いて霊山寺の奥の院に入り、霊山寺から富雄川沿いに歩いて、又 自宅まで帰ってくることにしました。 携帯電話についている万歩計で約6,900歩あまり、午前中もごそごそと動いていましたのでまずまずの運動でしょうか、それにしても少し寒かったですが、気持ちの良い午後でした。
(12.02.12 撮影)



霊山寺奥の院へと続く道。 カサコソと足元で落ち葉がささやいています。




結構寒かったんですが、見上げると少し春の空でした。




キイチゴ?なんでしょうか、真っ赤な実がたくさんついています。




頭のはるか上、冬枯れの枝先を揺らしながら、風が通り過ぎて行きました。




弁財天をお祀りする霊山寺の奥の院。 この日は誰にも会いませんでした。




本坊にて蠟梅を見つけました。 本当に蝋細工のようですね。




本堂前の鐘楼。




表参道より本堂に登る階段。




開山大師堂へ。



三重塔、補修工事が行われていましたが、無事終了したようです。




霊山寺正面、入山口です。 正面参道を登ると本堂を経由して奥の院へ。 右手は薔薇園です。




いつもの富雄川へ降りて来ました。 運が良ければカワセミに出合うこともありますよ。




冬枯れの風景。 ススキの穂も種子が風に飛ばされ、細い糸のようになっていま。






ならまち散策 其の2

2012-02-16 | 風景
           今西家書院入り口、重要文化財で内部を見学できますが、食事や喫茶も出来るようです。

 南都御霊神社から外国のご夫妻と前後しながら十輪院の方に足をのばしました。 十輪院に来ると、ついつい向かいの路地裏に目が行ってしまいます↓。 ならまちにはここだけではなく、民家の軒下を通って路地が続く構造の建屋に出合います。 民家の軒下が門のような役割をしていますので、私の勝手な解釈ですが、門のようになった軒下にはやはり門扉が付いていたんではないでしょうか。 唐招提寺に向かう尼辻町辺りでも、軒下の格子状の門扉(引き違い)を抜けて路地沿いの住まいが続く建屋が残っていますので。 住居の区割りや警護、鹿除けなどなどの目的があったのではと考えています。 機会があれば是非、町家の家並みや町づくりに詳しい専門家の方にお聞きしてみたいですね。
(12.02.11 撮影)



何度もご紹介していますので、またか!の画像ですが、十輪院まで足を延ばすとついつい写真を撮っています。




十輪院横の細い路地を抜けていくとここに出て来ます。 
時間も良かったので、突き当たりの蕎麦処「玄」でお蕎麦でもと思いましたが、この日はもう予約分だけで売り切れてしまったようです。




公納堂町か芝突抜町辺りでしょうか、猫カフェ「寧估庵」を見つけました。 窓際で日向ぼっこをする猫君と目があってしまいました。
寧估庵の看板の木、龍の頭のように見えますね。



良くご存じの奈良町物語館と漢方薬のお店 菊岡さん。



軒先に観音様…合掌!(東大寺ミュージアムの不空絹索観音立像さま)。




奈良市橋本町(三条通り)で都道府県の街道の起点を示す里程元標(りていげんぴょう)が復元されています。




相も変わらず路地裏には気をひかれますね(ここも軒下のようなところを抜けて行きます)。
路地裏道とトタン板は私の少年時代の原点なんでしょうか。




この日三条通りの商店街で面白い商品を目にしました。 
おしゃれでカラフルな地下足袋屋さんなんですが、5本指スニーカーは初めて見ました。




鹿のビニールのお土産、60年あまりも前からあるんですよ。 
私がまだ幼児だったころだと思うんですが、奈良公園に連れて来てくれた両親がこの鹿くんを買ってくれたのを覚えています。 
いつまでもご機嫌で、ごろごろと引っ張って歩いていましたね(ぐずらずに…)。