Photo and Occasional Thoughts

アウトドアが好きで写真が好きで 時々想ったことをお伝えできればと思います。

夏の終わり

2011-08-28 | 風景
                         天理の郊外にて(Nikon COOLPIX300使用)

 
 夏休みの子供たちの歓声にあふれた八月もあと数日となりました。 先週末に長男夫婦と孫1号・3号が横浜の自宅へ帰り、昨日は娘と孫2号が上海に向けて帰って行きました。 今日は朝から孫君達が残して行ったおもちゃの片づけや、家内の洗濯を手伝いながら、火の消えたような我が家に少しさびしくなっています。 
 ところで、まだまだ残暑が厳しい毎日ですが、少しずつ秋が近付いているようですね。 写真の稲田はまだまだ夏の青さを残していますが、夕刻や夜半に時折吹きこむ風に涼しさを感じ、虫たちの声も少しずつ変わって来たようです。






OLDIESミナミ 其の2

2011-08-21 | 風景
          たこ焼き屋さんの広告マン、最近はあまり見かけなくなったと思っていましたがミナミでは当たり前に健在なんですね。
          右 吉本興業、昔は見世物小屋や芝居小屋がありました。 その後ボウリング場になって、今は吉本興業です。


 梅田近辺のキタに対してミナミと言われますが、さてミナミてどの辺りまでなんでしょうか。 私の個人的な意見ですが、キタの場合ですと西梅田から東梅田にかけて、中崎町・扇町辺りから肥後橋・淀屋橋あたりでしょうか。 北浜は少し違うように思うんですね、三越百貨店があったからでしょうか、北浜はやはり北浜なんですね。 そうするとミナミは心斎橋・長堀橋あたりから日本橋・大国町・湊町あたりでしょうか。 上六や阿倍野・天王寺はそれぞれ独立した存在だったように思います。 それぞれの地区には百貨店や中心となる商店街・繁華街があって一つの地域を形成しているようですね。 ところで、もう少し涼しくなったらデジ一眼持ってミナミをもう少し歩きこんでみたいなと思っています。 森山大道さんのオンザ・ロードに刺激されて、〝DEEP・SOUTH〟なんて思っています。
(Nikon coolpix P300 使用)



千日前・道具屋筋。 今はどういうのでしょうか、吉本興業の奥辺り母親は道具屋筋と呼んでいましたね。




千日前、道具屋筋の真ん中に猫の額のような公園があります。 
当時は公園内の集会場(河原町集会場?)でそろばん教室や書道教室が日替わりで開かれていました。 
どちらにも行かされていましたが、どちらも中途半端に終わってしまいました。




千日前の道具屋筋、さまざまな飲食店の商売道具が並んでいます。お好み焼きの業務用のこてですね。




こちらはよくご存じのたこ焼き器ですね。




招き猫に提灯、ビリケンさんまで商売繁盛の飾り物ですね。




裏通りの校門から、私が通いました左 精華幼稚園と正面 精華小学校。 




正門は戎橋商店街に面したこちら側です。1929(昭和4)年に竣工し、1995年に廃校となりました。




本当に繁華街のど真ん中にあるでしょ。 この正門から右へ二軒目に私の生家のお店がありました。




精華小学校辺りを散策してからミナミの看板スポット法善寺横丁に回りました。
石畳の道はそのままですが、平成14年9月に起きた「旧中座」の火災により、一部の飲食店街が類焼して新しくなってしまいました。



祈り…。




法善寺横丁まで足をのばしましたのは、インディアンカレー創業のお店がまだ残っていればと思ったからです。
1947年創業のこのお店はまだまだ健在で、甘さの中に辛さが広がる伝統の味を楽しんできました。






OLDIESミナミ 其の1

2011-08-17 | 風景
           高速道路の右手、向かい側の街路樹の辺りに私の生家がありました。


 久しぶりに生まれ故郷の大阪なんばに出かけてみました。 ほとんどが変わってしまい、私が住んでいたころの思い出はほんの少ししか残っていません。 それでもやはり自分が生まれ育った地、落ち穂拾いのように旧浪速区新川町辺りをうろついていると、ほんの少しですがその頃の面影が残っています。 いずれ、時とともにほとんどがうつり変わってしまうんでしょうが、ここはやっぱり生まれ育った地〝なんば〟なんですね。



難波高島屋のロータリー。昔はもっと大きな交差点だったように思うんですが、周りのビルが大きくなったからでしょうか、何か小さくなってしまいました。
戎橋の交差点、高島屋の正面玄関の前に街頭テレビが設置されていました。日中は鉄製のケースに収まっているんですですが夕刻になると電源が入れられ、力道山対ブラッシー戦や大相撲に黒山の人だかりが出来ていました。
(Nikon coolpix P300 使用)



旧大阪球場、大国町方面へと別れるロータリーの交差点。 
何台風の時だったか忘れてしまいましたが、御堂筋を南下してきたダイハツミゼット(三輪トラック)がこのロータリーのカーブで台風の風にあおられて転倒していました。




ロータリーから御堂筋と平行に北へ延びる旧難波歌舞伎座の裏通り。 毎月2日・12日・22日と2の付く日に屋台が並びます。
お祭りとは何の関係もないんですが、その日には裏通りに所狭しと様々な屋台が並びます。
夕方から小銭を握りしめて気もそぞろ、たこ焼きにイカ焼き、洋食焼きに飴細工・輪投げに射撃に当てものとそれはそれは楽しい時間でした。



生家のあった辺り、今はコンビニになっています。 隣の焼き鳥の秋吉は駄菓子屋さんの後に店を出されました。
弥七屋さんと言う洋服屋さんの後はコインパーキングになっています。 




ちょうど我が家があった裏通り辺り、当時は木賃宿がありましたが、今はビジネスホテルになっています。
この裏路地の三叉路辺りには、いつも決まった時間に紙芝居のおっちゃんが来ます。 
水あめや抜き飴をなめながら、近所の悪ガキ達は紙芝居に熱中したものです。



旧大阪球場方面へと抜ける裏道。 ホルモン焼きや一杯飲み屋さんが多かったですね。





裏道を抜けてくると旧大阪球場前の交差点に出て来ます。





大阪球場があったところですね。 長兄は南海ホークスの応援、ちびっこの私は外野席を走り回っていました。





小学校も高学年になってくると活動範囲も広がってきます。
当時はラジオ少年でしたので、ゲルマニウムラジオから真空管のラジオへと、部品を求めて良く日本橋には出かけました。 
この角の店も今はdocomoを扱っていますが、奥は昔のままの部品屋さんでした。




電器屋街から日本橋筋を少し北へ、一杯飲み屋の多い止まれの裏路地。





時間が止まってしまったような路地道。





白いニガウリ

2011-08-13 | 

〝白いブランコ〟(ちょっと古いか!) では無く〝白いニガウリ〟が出来ました。 もともと我が家のグリーンカーテンの主人公では無かったんですが、コーナンで真っ白な実がなるニガウリの苗を見つけて思わず買ってしまいました。 グリーンカーテンにはこれまでのニガウリ3鉢、胡瓜2鉢で作っていましたが、更に白いニガウリの苗2鉢が追加になりました。 少し遅れての参加でしたので育ちが遅かったんですが、気がつくと白いニガウリが2つ出来ていました。 本当に真っ白なニガウリなんですね、まだ食べてはいませんが苦みが少なく食べやすいらしいです。

(11.08.13 撮影)

 

フツーのニガウリと比べて本当に真っ白でしょ、それに少し太めです。

  

 

 


オン・ザ・ロード

2011-08-05 | 風景

              国立国際美術館は、ちょうど関電本社ビルの西隣でした。

 先日仕事で大阪に行きましたが、お昼の時間を利用して、渡辺橋の国立国際美術館で開催されています「森山大道 写真展 オン・ザ・ロード」を見て来ました。
 森山大道氏は現代日本を代表する写真家で、半世紀にわたって都市の路上を撮り続けています。 残念ながら勉強不足の私には、これまで全く知らなかった方ですが、以前にhirosiさんから森山大道氏のことをお聞きしていました。 はからずも先月に朝日新聞の夕刊で、改めてこの写真展のことが紹介されており、あわせて1971年発表された作品「野良犬」が掲載されていました。 非常にインパクトの強い作品で、9月19日まで開催されていますので機会があれば是非と思っていましたが、早々に機会を得ることが出来ました。(Nikon coolpix P300 使用)

この作品「野良犬」は1971年冬、青森県三沢市で撮影された作品で、それを森山氏はこう記しています。(朝日新聞21年4月30日夕刊) "その目付きから全身に至るまで、野良犬の、内奥にひそめた敵意と相対する哀感が、あたかも見るものに挑発を送ってくるがごとき気配で伝わってきた"

 作品の前で釘づけになるような凄みのある写真ですね。  限られた時間での訪問でしたが、大変刺激を受けて会場を後にしました。


 「野良犬」 http://fotonoma.jp/photographer/2002_09moriyama/mor04.swf 




当日のチケット半券です。

 

 


国立国際美術館 地下1階から3階が展示室になっています。









お向かいは大阪市立科学館なんですね。




左がご存じ関西電力の本社ビルです。




ビルの谷間のおしゃれな喫茶店にも。




お昼休み、ビジネスマンやOLさんがそぞろ歩いています。




ビルの谷間を伊丹へと抜けていく阪神高速道路。