Photo and Occasional Thoughts

アウトドアが好きで写真が好きで 時々想ったことをお伝えできればと思います。

とりとめのない一日

2008-02-25 | 風景
 
 昨日は、家から出るのが嫌になるような寒さと風です。 時折屋根の上を轟音を立てて風が通り過ぎていきます。 日当たりのいい窓際で珈琲を飲みながら新聞に目を通していると、居間に置かれたコタツが、余り無理をせず休んでいったらと誘います。 ここしばらくの運動不足を考えると、この誘惑に負けず思い切り着膨れして矢田山から追分梅林へと出かけてみました。
 なかなかその気になれず自宅でグズグズしていましたので、矢田山を歩き出したのが11時をとっくに過ぎていました。 山道には溶けそびれた朝の雪がまだ少し残っています。 うまく写真に撮れなかったんですが、湿地の水溜りはガラスのように凍りつき、朽ちた倒木の上にはまだ雪が残っていました。
(08.02.24 撮影)



しっかりと凍りついています。



日当たりのよい峠池では、なんていう名前でしょうか、可愛い小鳥が行く先を道案内してくれました。



矢田山からの帰路、追分梅林も訪ねてみました。蕾が膨らみ始めた梅の木に、可愛らしい小鳥がお出迎えです。 この小鳥もなんという名前なんでしょうか?



可愛い小鳥の後に突然のダチョウです。 つつかれないように注意しながらアップで!



以前にもご紹介しましたが、追分梅林の下の部分で、いつからかダチョウが4羽飼われています。


         
         まだまだ追分梅林は蕾です。



青空がかなり広がってきましたが、冷たい風が吹き抜けていきます。



比較的日当たりのよい斜面で、ほころび始めた白梅。



寒い朝

2008-02-24 | 風景
 
 昨日から寒波が戻ってきていましたが、今朝はうっすらと又雪化粧です。
ここ数日来、少し温かかっただけに今朝の寒さは結構身にしみます。 風が相変わらず強いので、池は凍結していませんが、5分も外に出ていると指先が痛くなってきます。 少しほころびかけた梅の蕾も、この寒さでは縮こまっているでしょうね、花壇のラナンキュラスも雪に覆われて戸惑っているようです。
まだ少し春までには時間がかかりそうです。



私の足跡。



ガレージの屋根に積もった雪も、朝日を浴びて少し溶け出してきました。


         
         雪に覆われて震えているようです。



大和郡山市の町家

2008-02-19 | 風景
 
 空模様が少し怪しくなってきましたが、お城を後にして大和郡山市内に点在する歴史的な町家を訪ねてみました。
 大和郡山は城下町として栄え、町域のおよそ4分の3は侍屋敷で残りの4分の1に町人が住み商工業を発展させました。 豊臣秀長は、商工業種別を基本とした箱本十三町を造り、その運営は十三町の当番制の自治で、当番の町は、特許状の入った朱印箱を置き、旗を立て一ヶ月町全体の治安・消火・伝馬の世話をしました。 
 本町・魚町・塩町・雑穀町・茶町・錦町・紺屋町・車町・材木町・鍛冶町・大工町・洞泉寺町等など、今も市内の町名に当時の面影を残す名前が多く残っています。
一枚目の写真は紺屋町にある箱本館。元紺屋で享保時代(1720年から1730年ごろ)の建物と言われています。
(08.02.17 撮影)



本家 菊屋。城主の御用菓子司として大手門の入り口にあたる今の地に店舗を構え、以来400有余年の歴史を持ちます。



紺屋町の町並み、通りに石組みの水路が走り、紺屋がこの水路で藍染を晒していました。



洞泉寺町に残る三階建ての特徴のある遊郭の建物。


        
         楼閣のような特徴的な3階部分。



源九郎稲荷神社前の建物(大正時代)。



明治時代に建設された杉山小児科の建物、今も現役です。道路の整備工事中のため
架設の電線がうっとうしいです。



雑穀町にある天明時代(1780年代)の造り酒屋、中村邸。



中村邸の並び吉岡邸。



大和郡山市が指導しているのでしょうか、道路整備に伴う新しい住宅や、建て替えられた住宅は昔の町屋の面影を斬新に取り入れた、景観を配慮した建物が多く見受けられました。





春を待つ大和郡山城

2008-02-18 | 風景
 
 前日に引き続き、この日も又晴れたり曇ったり、雪が降ったりの不安定な天候ですが、大和郡山城を訪ねて見ました。 大和郡山城は、織田信長の援助を受けて筒井順慶が築城を始め、その後豊臣政権が成立後、天正13年に郡山に入った秀吉の弟秀長が築城を更に大規模に進めました。 徳川の世になってからも畿内の重要な守りの地として歴代有力大名が藩主になり、享保9年(1724年)に柳澤吉保の子吉里が藩主となってその後明治維新を迎えました。 
 城内では盆梅展が開催されていましたが、いまだ3分咲きぐらいで見頃までにはまだ少しかかりそうです。 この時期は何処も同じですがほとんど訪れる人も少なく、ゆっくりとお城を巡りながら、春の息吹を探してみました。
(08.02.17 撮影)


         
         復元された追手向櫓(御弓櫓)と追手門。



右手、追手門をくぐると盆梅展の会場へ。追手門両脇にも見事な枝振りの紅梅・白梅が
飾られていますが、まだまだ蕾です。



最後の藩主柳澤保申(やすのぶ)の跡を継いだ保恵(やすとし)氏が明治35年に邸宅の一部を開放して、
郷土の教育振興のために所蔵する書籍類を公開したことに始まる柳澤文庫。



柳澤文庫前の庭園より追手向櫓、追手東隅櫓を望む。



本丸へと上る石段。



本丸跡より春日の山々を一望に望めます。振り向くと、矢田丘陵から生駒方面、二上山方面など
大和盆地が一望のもとに見渡せます。



明治維新に廃城となり、全ての建物が取り払われてしまいましたが、是非本丸の復元を
望みたいところです。



石材が不足していたんでしょうか、本丸の石垣には多くの墓石や、石仏などが利用されています。
毎年春に、石組みに使われた逆さ地蔵などの石仏を供養する、数珠くり法要が桜花の下で行なわれています。



柳澤神社の白梅がそろそろ咲き始めていました。



五代将軍綱吉の側用人柳澤吉保を祭神に祀る柳澤神社。


桜の大和郡山城はこちらへ!
http://blog.goo.ne.jp/happykota/e/a73fd1f9cc2920ffa6192e6db27d97fc


今井町の町並み

2008-02-17 | 風景
 
 時折激しく雪が降り出す不安定な天候でしたが、タイムスリップしたような町並みに魅せられてしまいます。 称念寺を中心として今井寺内町が天正2年(1574年)には出来上がり、その後文禄4年頃(1595年頃)には南町・新町・今町と広がり慶長12年(1607年)には北辺街地が成立して6町が成立しました。
 自治都市今井は商人の町として栄え、豊臣秀吉も吉野の花見の道中に今井町に立ち寄り、今井の豪商や堺の茶人今井宗久等と茶会を開いたとのことです。 当日テレビ局の取材があり、当時の商人の繁栄をあらわす茶行列が行なわれていました。
 町並みの見事さにひかれ、ファインダーを覗いたまま側溝に足を落としてしまい、恥ずかしい限りですが見事に転倒してしまいました。 さすがに愛機は守ったものの、したたかに右ひじを路面に打ちつけ、今もまだ少しうずいています。
(08.02.16 撮影)


         
         本町筋の町並み。



今井宗久を先頭に茶行列が行なわれていました。



中町筋民家の町並み、白壁にむしこ窓が並びます。



大工町筋の町並み。この辺りの電柱は全て地中化がされてすっきりしていました。



今井郵便局には懐かしい真っ赤なポストがまだ現役でした。



今井まちや館の向かいに、豊富な地下水を使用したお豆腐屋さんがありました。
今井町は地下水が豊かで、造り酒屋も多かったようです。



良く整備された今井町の町並みですが、それでも人が住まなくなった町屋が結構見かけられ、残念ながら手入れのないまま朽ちかけています。