Photo and Occasional Thoughts

アウトドアが好きで写真が好きで 時々想ったことをお伝えできればと思います。

御所まち訪問 其の1

2012-02-21 | 風景
     高札場。 江戸時代には、幕府のもっとも重要な法令を木の板に(高札)に書いてあげることが義務付けられていました。
 


 御所市には仕事でよく出かけるんですが、ほとんどが限られた場所で、以前から御所まちと言う名前を耳にしていましたので気になっていました。 奈良県下には、これまで何度もご紹介いたしましたならまちや今井町、大宇陀の宇陀松山地区、高取町の土佐街道沿いなど、江戸時代初期辺りからの古の町並みが今も現役で残る地区が沢山あります。 御所まちも、江戸時代初期に形成された陣屋町で、その後も奈良中南部の中心地として繁栄を誇ってきました。 御所まちは、一つの川をはさんで西岸には商業都市の西御所、東岸は寺内町の東御所と、二つの町が形成され、江戸時代の検地絵図がいまでも使えるほど、町のかたちはよく残っています。 家々の間を流れる水路(背割り下水)まで、ほぼ当時の姿をとどめており、伝統的な建物がたくさん並ぶ風情ある町並みです。 江戸時代から明治・大正・昭和、そして平成へと、連綿と今も生活の息吹が続く御所まちを二度に分けてご紹介します。
(12.02.18 撮影)

御所まち詳細はこちら。



市役所の駐車場に車を止めて御所の街を歩きだしました。 昔ながらの青果市場の木製の看板にゴセ
377番の電話番号が。



まず初めに西御所の町並みを。 先ほどまで晴れていたんですが、葛城山から雪雲が降りて来ました。




西川医院さん、これもまた古い看板ですね。




T地路にて。




今でも当時の環濠が現役で使われています。 雪も少しちらついてきました。




この辺りの環濠はすこし整備されていますね。




春の田おこしが終わったんでしょうか、右手の四地蔵踏切を越えて帰ってこられました。




瓦屋根が続きます。




昔ながらの燃料屋さんが残る辻。 右は鴨口町です。




浄土宗 正福寺さん、ここも結構古そうですね。