西陽を背中に一杯浴びて、少し傾いてしまったポンプ。
私が小さかった頃、さすがに大阪の難波では殆ど見かけませんでしたが、少し郊外に出ると現役で働いているこの手動ポンプを、結構目にしましたね。 奈良では、今でも現役のポンプを市内で時折見かけますね。 ところで、ポンプはオランダ語なんですね、機械的エネルギーを圧力に変えて液体を移動させる装置なんですね。 この写真のポンプも少し前までは結構お役に立ったんでしょうが、今は使われずに放置されています。 傾いたまま、撤去もされずに見捨てられたように空き地に放置された姿を見ていると、なぜか少し物悲しくなってきます。 決して擬人化して見るわけではないんですが、それでも空き地に見捨てられ、放置されたまま傾いてしまったポンプの独り言が聞こえてきそうです。
前に回ると、年老いた職人のように感じます。
「そりゃーもー 一生懸命働いたもんや。 朝から晩まで、ぎっこ・ぎっこ・ぎっこ…と、パッキンの擦り切れるのも忘れて、一生懸命働いたんや…」
大正8年5月17日創業の川本ポンプ社製の井戸用ポンプ。 殆どこのポンプですね。
私が小さかった頃、さすがに大阪の難波では殆ど見かけませんでしたが、少し郊外に出ると現役で働いているこの手動ポンプを、結構目にしましたね。 奈良では、今でも現役のポンプを市内で時折見かけますね。 ところで、ポンプはオランダ語なんですね、機械的エネルギーを圧力に変えて液体を移動させる装置なんですね。 この写真のポンプも少し前までは結構お役に立ったんでしょうが、今は使われずに放置されています。 傾いたまま、撤去もされずに見捨てられたように空き地に放置された姿を見ていると、なぜか少し物悲しくなってきます。 決して擬人化して見るわけではないんですが、それでも空き地に見捨てられ、放置されたまま傾いてしまったポンプの独り言が聞こえてきそうです。
前に回ると、年老いた職人のように感じます。
「そりゃーもー 一生懸命働いたもんや。 朝から晩まで、ぎっこ・ぎっこ・ぎっこ…と、パッキンの擦り切れるのも忘れて、一生懸命働いたんや…」
大正8年5月17日創業の川本ポンプ社製の井戸用ポンプ。 殆どこのポンプですね。
頑張りを感じさせてくれますね。
我が家の近所の農家の横にもこんなポンプがあります
がやはり退役してます。フォトジェニックな被写体だ
と思って写真を撮ったことがありますが、満足な写真
はなかなか撮れません。
何でもかんで擬人化してみるわけではないんですが。
普段の生活に密着したっ工具や機械類など身近に感じ、
擬人化してしまう時がありますね。
愛着のあるものでしたら、「ご苦労さん、長い間有難う」なんてつぶやいたりしてしまっていますね。
こんな道具や機械の一つづつがなくなっていきますね。
和文タイプや、英文タイプライターなんかももう
殆ど見なくなりましたね。
こんな道具や機械の一つづつを大切に残していきたいな
なんて思いますね。
懐かしいですね・・
子供時代、随分とお世話になったポンプです(笑)
こういう年代物のコレクターにとっては、喉から手が出る程
欲しがる人もいるのでは(笑)
私はほとんどこのポンプは使った覚えがありません。
蛇口をひねれば水が出てくる、ありがたい生活ですね。
一度何処かで試しにキコキコやりましたが、コツがわからず上手くいきませんでした。
ノスタルジックな朽ち果てたポンプ、フォトジェニックですね。
使った事が有ります。
御苦労さまって感じですね。
井戸のポンプは結構てこずるか判りませんが
年代物の、トラディショナルな道具や機械類は
見ていて楽しいですね。
鋳物系の製品てそんなところがありますね。
たぶん集めたくなるでしょうね。
白毫寺町に現役の井戸ポンプがありましたね。
其の時にもありましたが、小さな手桶で
ポンプ内に呼び水を入れるようになっていました。
呼び水を入れてからでないとなかなか水が上がってくれませんでしたね。
さすがに難波にはなかったですが、
(私の生家は難波でしたが、中水用の電動ポンプの井戸がありました。)
田舎に行くとよく見ましたね。
洗面や洗いものなどなど、結構お世話になりました。