日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「コジコジは、コジコジだよ」

2018-09-02 20:39:14 | 徒然

先日亡くなられたさくらももこさんの作品に「コジコジ」という、マンガがある。
ご存じの方も、多いと思う。
代表作「ちびまる子ちゃん」よりも、シュールで哲学的マンガといわれているそうだが、確かにそのような気がする名言が数々あるようだ。

ライブドアニュース Peachy:名言の宝庫「コジコジ」からハッとさせられる言葉たちをピックアップ

冒頭で取り上げられる「コジコジは、コジコジだよ」と言う言葉は、いつどんな時も、どこでも「自分は自分なのだ」ということだろう。
この「コジコジは、コジコジだよ」の言葉の後には、「遊んで、食べて、寝てちゃダメなの?盗みや殺しやサギなんかしていないよ」と続いている。
設定が「メルヘンの国」のはずなのだが、「盗みや殺しやサギ」と言う言葉には「メルヘンの国」ではない、私たちの現実の社会の一部のようだし、言葉そのものがとても直接的で、大人のほうがハッとさせられる。

公式さくらももこ劇場 コジコジ」の第一話では、コジコジの家族も家も登場しない。
学校の3年生という設定から考えれば、ちびまる子ちゃんと同じくらいの年齢設定のはずだ。
クラスメイトは「家に帰る」という台詞があるが、コジコジは「家に帰る」という台詞が無い。
そう考えると、コジコジはメルヘンの国で一人で生きている、ということになる。
コジコジの自由さは、独りぼっちだからこそ勝ち得た力強さのようにも思えてくる。

もしかしたら、「今も、これからも自分は自分であり続ける」ということは、自由を勝ち取るだけの強さが必要なのかもしれない。
とはいうものの、いきなりそのような強さを勝ち取ることは大人であっても難しい。
だからこそ、時には道から外れ、傍観し、考える時間が必要なのだと思う。

今、明日からの(学校)のことで、思い悩んでる子供たちがいるとすれば、一度「コジコジ」を見てはどうだろう?
youtube:公式コジコジチャンネル


障害者も立派な働き手

2018-09-01 22:12:07 | ビジネス

今日、知人たちと久しぶりに食事をした。
帰り、ファッションビルに立ち寄ったとき、期間限定のチョコレートショップが目に付いた。
目に付いた理由は「障害者がショコラティエ(作り手)となり、妥協のないモノづくり」という文が、看板といっしょにあったからだ。

これまで障害者の就労というと「福祉事業所(で作業を覚えるという理由で)、安価な賃金で働く」というのが、一般的だったような気がする。
就労といっても、仕事全体を任せるというよりも、補助的作業の補助のような単純な仕事で、障害者が自立するほどの収入を得ることは、最初から考えていないような印象を持っている。
もちろん、そのような福祉事業所ばかりではないと思うが、最初から障害者の自立は難しい、という思い込み(?)があり、仕事そのものを限定的な仕事をさせていたような気がする。

もちろん、障害者全てが自立できるような仕事ができるのか?ということはあると思うが、「障害者だから・・・」という狭い視野で見ている部分はあると思う。
だからこそ、この「障害者がショコラティエとなる」という文言には、少し驚いたのだ。
そしてショップに置かれたチョコレートは、一つ一つ丁寧にパッケージをされていて、試食で食べさせていただいたチョコレートはとても美味しかった。
街中にあるチョコレート専門店と遜色がない、と感じた。

ここ数日、官公庁の障害者就労の人数が水増しされていた、ということが連日のように報道されている。
中小企業を含め、一般企業は障害者就労に対して厳しい目標と採用記録となるような資料、ペナルティーが課せられているにもかかわらず、官公庁は報告のみであったために、このような「水増し就労報告」がされていたようだ。

しかし考え方を変えると、障害者を立派な働き手として採用し、適材適所の人材を見極め、人材育成をする、ということができるのは、官公庁よりも一般企業のほうが得意のような気がする。
確かに障害者といっても、その障害は様々だろう。
収益を求められる一般企業だからこそ、適材適所の人材を見極める必要があり、人材として育成をする覚悟(というと大げさかもしれないが)を必要があるだろう。
それに比べ、官公庁は障害者雇用に関して、そこまでの覚悟をしているのだろうか?

もう一つ言えることは、今の生活者は提供される商品やサービスだけではなく、企業の環境意識や社会参加意識の高さなども重要な消費動機の一つとなっている。
企業にとって、障碍者就労の支援というのは決して、マイナス面ばかりではないのだ。
生活者の意識変化などを気にする必要のない官公庁だからこそ、「障害者就労」の意味や重要性が分からないのでは?という、気がしている。