日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

軽すぎることば-社会的責任への鈍感さ-

2007-12-17 10:03:57 | 徒然
以前にも拙ブログで書いてきたと思う「政治家のことば」だが、最近ますます軽くなってきているような気がする。
今日発表された、内閣支持率にも反映されているようだ。

「ことばの軽さ」は政治家だけではなく、官僚、企業のトップのことばも同じだ。
企業の不祥事が起きるたびに、「申し訳ございませんでした」と言って頭を下げるシーンを、今年何度見たのだろう。
そのようなシーンを見るたびに、「またか・・・」と言う感覚がある。
食品偽装などの不祥事を起こした会社だけではなく、視聴率至上のテレビ局のデータ捏造発覚などでの謝罪会見でも同じだ。
「とりあえず謝って、ほとぼりが冷めるのを待つ」と言う感じなのだ。

では、「何故、政治家や社会的立場のある人たちのことばが、軽くなってしまったのだろう?」と言うコトが、気になってきた。
おそらく「責任」と言うコトなのではないだろうか?
「ことばに対する責任」と言うコトだけではなく、「社会的行動に対する責任」であったり、「政治や企業の『公器』としての責任」だ。

「責任を感じないことば」と言えば、最近では福田総理の数々のことばだろう。
「薬害C型肝炎訴訟」だけではなく、「年金問題」などについても、常に他人事というか、「私は当事者じゃないんで、わかりません」と言う本音が見えてくる。
確かに福田さんにとって、「年金問題」は関係ないだろう。
サラリーマン時代の厚生年金などを当てにせずとも、高額な議員年金が支払われるのだから。
「薬害C型肝炎訴訟」にしても、この問題が発覚した時厚生労働省の関係の職についていなかったとすれば、関係ないといえば関係ない。
先の参院選の選挙公約にしても、当時は安倍さんが自民党総裁だったのだから、「そんなこと、公約していました?」となるのかもしれない。
その後の福田さんの言ったことなどは、「国民に約束した」のではなく「答弁や所信表明の一つ」で、その場限りの「目標」とか「実施したい」と言う意味だった、と言うコトなのだろう。

昨日、「薬害C型肝炎」原告団は政府からの和解案を断った。
「全員救済」と言う、強い意思(意志)があったからだろう。
拉致被害者・横田めぐみさんのお母様・横田早紀江さんにも、同じような強い意思(意志)を感じる。
そこには「生きる責任」があるからなのではないだろうか?
彼女たちほど「重みのあることば」を、今の政治家や事なかれ主義の官僚、利益至上主義的企業には期待をしない。
だが、彼女たちの1/10でも「社会的責任」を感じることばを発して欲しいのだ。