昨日唐突に発表された「一家に2枚のマスク配布」。
当然のことながら、与野党から批難の声が上がっている。
ところが、この発表をした安倍さんは、自信満々らしい。
よほど「エイプリルフールの冗談」のような、政策に自信を持っているのだろう。
時事通信:布マスク1枚200円 全戸配布「スピード感重視」と菅官房長官 新型コロナ
個人的には、ツッコミどころ満載の記者会見だが、総理女房役としては、このような記者会見は仕方ないのかもしれない(と、一応菅さんに同情をしておく)。
この「アベノマスク」に関連する、安倍さんの行動と発言を見ていて、思い出したコトがある。
それは40年くらい前、ハーバード大学の東アジア研究所の所長をされていた、エズラ・ヴォ―ゲル氏の著書「ジャパン・アズNo.1」が、ベストセラーになっていた頃だ。
当時は、日本の自動車産業、家電などは輸出産業の柱となっていた。
今のように「現地法人」による、生産体制が出来上がる前だ。
その頃言われていたことの一つに「日本の経済は一流、政治は三流」という言葉がある。
「経済一流」と言われていたのは、GDPが米国に迫る勢いがある世界第2位だった。
お分かりだと思うのだが、この「経済一流」というのは、上述したような製造業や商社などの日本企業の頑張りがあったからだ。
決して政治家の経済政策によって、GDPが世界第2位という発展を遂げていたわけではない。
その後のバブル経済の崩壊と共に、日本経済は大きく低迷してしまい、30年経った今でも、完全回復とは程遠いのが現状だろう。
そして、その40年くらい前から変わっていないのが、「政治は三流」という点かもしれない。
むしろ40年くらい前よりも、酷くなっているかもしれない。
何故なら、40年くらい前の政治家は今の政治家に比べ、「覚悟」のようなモノを感じさせてくれたからだ。
「金権政治」の代名詞のように言われた、金丸信さんであっても政治家として周囲をたじろがせるような、迫力があった。
決して、「お友達」感覚で政治をしていなかったように思うのだ。
それは安倍さんの御尊父である、安倍晋太郎さんも同じだった。
元々日本人の国民性として、「お上(=政治)をあまり信用していない」という、ところがあると思う。
その一例が、「老後資金、2000万円必要」というニュースだろう。
国が国民の老後の生活を保障するはずの「年金」そのものを信用していないので、「自分で老後の生活費を捻出しなくては!」と考え、今のようなマイナス金利時代にどうやって貯蓄をすれば良いのか?と、頭を悩ませることになるのだ。
かくいう私も「年金」に関しては、まったく信用してはいない。
とても信用できるような話を、一度たりとも聞いた記憶がないからだ。
「利権が絡めば政治家を利用する」ことはあっても、「政治家を信用しているわけではない」というのが、本当のところだとすると、「国民のことを真剣に考える政治家」など育つはずはない。
今の安倍さんのような政治家をつくってしまったのは、国民にも責任があるのかもしれない。