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「伝える」ことの難しさ

2019-05-10 21:20:52 | アラカルト

GW明けに大津市で起きた、保育園児を巻き込んだ交通事故。
この交通事故で2人の子どもが亡くなった。
それは、見通しの良い交差点で保育園のお散歩途中、園児たちが保育士さんといっしょに信号待ちをしていた時だった。
この状況をだけを見れば、保育園側の落ち度はないのでは?という気がするのだが、テレビなどを中心としたマスコミは容赦なくこの保育園と保育士さんに何等かの落ち度があったのでは?という、追求が保育園側が開いた記者会見であった。

このやり取りの場面をテレビなどで見ていない状況なので、私自身は実際どのような質問があったのか知る由もない。
ただ、断片的にネット上で報じられる画像や言葉を読むと、報道する側の態度や言葉に違和感を感じたのも確かだ。
結果、ネット上ではこの時のマスコミに対する批判が相当起きている。
ネット上だけではなく、同じマスコミの仲間であるはずのワイドショーのコメンテーターなどからも批判が起きている。

これまでマスコミ全体がどこかしら「伝えるプロ」として、上から目線で伝えてきた「(マスコミから見た)正義」というモノに、疑問を呈した事件でもあったのでは?という気がしている。
SNSなどが無かった時代は、そのような「マスコミから見た正義」の報道も、なんとなく世間的に容認されてきた部分はあったように思う。
しかし今は、マスコミそのものも社会の一つとして「晒される」という、時代になってきている。
Huffpost:大津・園児死亡事故でのマスコミ批判。

昭和から平成になって感じたことなのだが、マスコミというメディアが以前よりもまして、「マスコミから見た正義」というスクープを取りたがっているのでは?という気がしている。
保育園側の記者会見が遅くなれば遅くなったで、「保育園側は、(亡くなった園児のことを含め)事故にあった園児のことをなんとも思っていないのか?」という、マスコミの追求があったのでは?と、想像できる。
まだまだ事故直後で動揺を隠せず、事故の状況などもはっきりしていない時点でのメディア対応というのは、保育園側にとってとても難しいものだっただろう。
何よりも事故で無くなった園児と遺族のことを考えると、軽々な記者会見などは行えるはずもない。
しかし、メディアを通して(一部の)人たちが、そのような記者会見を望んでおり、会見を行わないコトで起きるであろう保育園叩きのようなモノを危惧したのではないだろうか?
そのような社会的風潮があることは、実感として否めないように感じるのだ。

そしてもう一つこのようなマスコミ不信の原因となっているのは、4月19日に起きた池袋での事故報道だろう。
この事故を起こした加害者は、「容疑者」という報道はされてはいない。
若いお母さんとお子さんが亡くなった事故であるにもかかわらず、事故を引き起こした加害者が怪我の為に入院中だとしても、マスコミの扱いは及び腰ではないか?という、社会的不満が渦巻いていたように感じている。
そのためこの事故を引き起こした加害者が、官僚出身で大手企業や関連団体に天下っていた為に「上級国民」だから、マスコミは忖度したような報道しかしてない、という論調がSNSを中心に渦巻いている。
讀賣新聞:容疑者ではなく元院長、加害者の呼び方を決めた理由

保育園側は被害者にもかかわらず、記者会見でのマスコミの追求の厳しさに対して、池袋の事件での事故を起こした加害者に対する忖度をしたような表現の違いなど、マスコミ側の言い分はあるにせよ、世間的な理解は「マスコミは信用できない」ということになるのだろう。

「伝える」ということは、スクープを取ることでも、被害者をセカンドレイプのように晒すことでもない。
だからこそ「幅広いコミュニケーション手段」という意味を持つ、マスコミは「伝える」ということに、配慮と苦慮をしなくてはならないと思う。
それはマスコミだけではなくSNSでも同じだが、社会的影響力というモノをマスコミそのものが考え、その報道に責任を取る覚悟のある「伝え方」を要求される時代になってきている、という自覚が必要だという気がしている。


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