先週の土曜日にあった安倍さんの「新型コロナウイルス」に対する会見。
その会見を見た方の中には、「何故、台湾でできた対策を日本はできないのか?」という、疑問を持たれた方も少なくなかったと思う。
今回世界が注目している「新型コロナウイルス」に対する台湾の対応は、迅速かつ的確であった、と言われている。
その理由の一つが、SARSが流行した時の対応の遅れなどによって「感染症対策の失敗」を経験したことで、感染症対策の初期対応の重要性を認識していた、と言われている。
であれば、日本はSARSの時の対応はどうだったのか?という疑問が出てくる。
既に記憶の遠い彼方にあるのだが、政府がまず行ったことは「空港などでの熱感知器などを使った発熱者の発見」だったような気がする。
その後、高校生の感染が発覚したため、その地域の高校が休校になったが、休校になった高校生が逆に街中に出かける、ということがあった。
ただ、その後具体的にどのような対策をし、収束に向かったのか?ということが、思い出せずにいる。
政府から「安全宣言」のような発表があったのかも、定かではない。
なんとなく「ウヤムヤの内に収束した」という印象なのだ。
これまでの経過を見てみると、台湾が活かした「SARSの経験」というのは、「国民に不安を与えない対応策」という一点だったのでは?という、気がしているのだ。
それが分かるのが、日本でも騒動となった「マスクの販売」だ。
台湾では、いち早くマスクの購入に制限をかけ、購入時には身分証明の提示を求めるなど、相当厳しい対応を国民にしていた。
もちろん、転売などはさせないようにしていたようだ。
それだけではなく、「今どこにどれくらい在庫がある」という情報を、ネット上に公開するなど「現実に在庫はあり、買い溜めをしなくても大丈夫ですよ」という情報発信を積極的にしていた。
一方日本の政府の対応は、連日感染者数と感染地域、死亡者の発表が中心で、むしろ不安を煽るような情報発信が中心だったのではないだろうか?
確かに、「ダイヤモンド・プリンセス号」のような客船が停泊していた、ということもあり、一般市民への対策が遅れたのは仕方ないのかもしれないが、それでもモヤモヤした気分になってしまうのだ。
メディアが大々的に「マスク売り切れ(トイレットペーパー売り切れなども含む)」を画像付きで、報道したためにマスクのパニック買い」に拍車をかけた、という指摘もあながち間違ってはいないと思うのだが、このような状況になっても政府からのアナウンスは、ほぼ皆無だった。
いくら「在庫はあるから大丈夫」と国がアナウンスしても、現実に生活圏内のドラッグストアーにはマスク(やトイレットペーパーなど)は無く、「無い」という事実が余計に不安を与えるような結果となってしまったように思うのだ。
「マスク(やトイレットペーパー)が無い」と言って、パニック衝動買いをするのは、個人の問題かもしれないが、国や政府が「生活者の不安を取り除く」という、努力をしていたのか?というと、甚だ疑問だ。
そこへ、安倍さんの唐突思いつきの「小中高校の全国一斉臨時休校要請」だ。
生徒たちも学校側も準備ができていない状況では、「どうしたらよいのか?」という不安ばかりが先立ってしまうのは、当然のことだろうし、後付けのような政策を言われても、信頼度は低くなる。
多くの関係者は「今更、思いつきの正当化は、止めてほしい」という気がしているのでは?
結局のところ、日本と台湾の大きな違いは「国が国民に向いているのか?いないのか?」ということだろう。