日々是マーケティング

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「自動運転」が目指すことは、何だろう?

2016-07-01 19:32:51 | マーケティング

米国のEV車メーカー・テスラが「自動運転車」で死亡事故を起こした。
日経新聞:「自動運転」で死亡事故、テスラ車が発した警告
記事を読むと「まぶしすぎて前の車を認識できず、追突事故を起こした」ようだ。

このような事故は、痛ましい事故だと思うのだがその前に「車を運転する」意味とは何だろう?と、考えることがある。
「車を運転する」ということは、「自動運転が目指すことは何か?」ということにもつながる問題だと思うのだが、どうなのだろう?

例えば、自動運転装置があって良かった!と思う場面は、どのような場面なのだろ
急に運転者が、病気になり運転するコトができなくなった時?
ペダル操作を誤った時、自動的に制御し事故を防ぐ?
運転者の疲労を車が察知し、自動運転に自動的に切り替えられること?
いずれにしても「事故を起こさない」ということが、「自動運転の目的」という気がする。

では「運転をする」ということは、このような「危険要素」が含まれていても、違う目的があるのでは?という気がする。
「ドライビングが趣味」という方にとっては、クルマを運転するコトそのものが楽しいことだと思う。
実際トヨタの企業キャッチコピーは長い間「FUN TO DRIVE(,AGIN).」だ。
「ドライブ*を(また)楽しもう」という意味だ。
ここ数年元気の良い、マツダも「人馬一体」というキャッチコピーを使って、「クルマに乗る楽しさ」を打ち出している。

そう考えると、「自動運転ありき」の発想ではないのでは?という気がしてくる。
特に、日本の自動車メーカーの発想は、「運転をする人のサポートをする」という気がするのだ。
その背景にあるのは、車を運転する人の「高齢化」ということもあるだろう。
「生活の足」としての車というのであれば、それこそ「生活活動範囲」を地図上に登録し、GPSなどにより自動運転をする、ということも十分考えられる。
おそらく目的が、それだけであれば「自動運転システム」は、とても有効だと思う。
高齢化が深刻になりつつある、地方においては特に望まれるシステムかもしれない。

ただ上述した通り、車を運転する人の目的は、それだけではない。
「運転をする楽しみ」があるはずなのだ。
たとえ「生活の足」であっても、「まだ、運転できる」ということで自信を持っている高齢者もいらっしゃるかもしれない。

そう考えると、Googleなどが開発し公開している映像のように「車に運転をまかせっきりにして、後部座席の人たちとお茶を一緒に楽しむ」ということを、ユーザーは望んではいないのではないだろうか?
「自動運転」という技術やそれに伴う様々な通信技術の発展は、新しい産業を創りだすだろう。
しかし、その前に「自動運転の目的や目指すこと」を、きちんと考える必要があると思う。