TPP参加是非への動きが、活発になってきた。
新聞などにも反対派と思われる側から、「TPPに参加すると、日本の農業はダメになる」と言った論調が目立つ。
その多くは「日本の自給率が下がる」というコトを根拠にした、試算のように見える。
「自給率」については、カロリーベースでの試算では現実的ではない、という指摘が以前からあった。
実際、「週に1回しか卵が食べられなくなる」と言っても、多くの鶏卵は国内で生産されていて、価格の問題は別にして、スーパーなどの店頭から鶏卵がなくなる、というわけではない。
牛乳なども同様で、問題となるのは「飼料の輸入」という点。
それがTPP参加すると、どうなるのか?という具体的な話という意見広告などは、見たことが無い。
同様に、TPP参加推進派にしても、参加をするメリットとデメリットの説明というモノが、ほとんどされていない印象がある。
こちらの意見は「グローバル化に対応」というコトの様だ。
しかし、今の経済そのものは「グローバル化されてしまった状態」で、当然のことながら「グローバル化に対応」せざる得ない状況の中で、様々な業種が知恵を凝らして「対応真っ最中」のはずだ。
その中には、「TPP反対」の中心となっているはずの農業関係者もいる。
この「TPP参加の是非」を見ていると、最初から「○か×か」というコトばかりを世間に問うばかりで、「○か×か」の判断材料となるモノの提示がほとんどないような気がする。
この問題が、生活者レベルで盛り上がらないのは、その点なのではないだろうか?
「飼料の輸入」で国内の農家さんたちが、大打撃を受けるほどの飼料生産をしているのか?とか、そもそも日本で飼料を作らない理由は何か?という、もっと根本的な問題を含め、今の農業の問題をもっとわかりやすく伝える必要があるのでは?
なぜなら、鶏卵一つ取ってみても「価格ではなく、国内産の有機飼料の鶏卵が欲しい」という生活者だっているはずだし、その数は決して少なくないと思う。
そのような視点で考えれば、TPPを切り口に日本の農業の実態と将来像を、生活者を巻き込んで考えるというチャンスだと思うし、それは他の産業についても同じなのでは?
確かに「○か×か」という問いは、シンプルでわかりやすい。
わかりやすいというよりも、選択肢が無さ過ぎて選ぶ基準の中に「熟考する」という要素がなくなってしまう。
この手法で小泉さんは成功したわけだが、その手法には様々な問題があるのでは?という認識を多くの生活者は既に持ってしまっている。
だからこそ「○か×か」を問う前に、その議論の材料となるモノを示しながら、「どう考えますか?」という問いかけが必要なのでは?
今週、新聞に掲載された「TPP反対」の広告を見ながら、そんなことを考えた週末だ。
新聞などにも反対派と思われる側から、「TPPに参加すると、日本の農業はダメになる」と言った論調が目立つ。
その多くは「日本の自給率が下がる」というコトを根拠にした、試算のように見える。
「自給率」については、カロリーベースでの試算では現実的ではない、という指摘が以前からあった。
実際、「週に1回しか卵が食べられなくなる」と言っても、多くの鶏卵は国内で生産されていて、価格の問題は別にして、スーパーなどの店頭から鶏卵がなくなる、というわけではない。
牛乳なども同様で、問題となるのは「飼料の輸入」という点。
それがTPP参加すると、どうなるのか?という具体的な話という意見広告などは、見たことが無い。
同様に、TPP参加推進派にしても、参加をするメリットとデメリットの説明というモノが、ほとんどされていない印象がある。
こちらの意見は「グローバル化に対応」というコトの様だ。
しかし、今の経済そのものは「グローバル化されてしまった状態」で、当然のことながら「グローバル化に対応」せざる得ない状況の中で、様々な業種が知恵を凝らして「対応真っ最中」のはずだ。
その中には、「TPP反対」の中心となっているはずの農業関係者もいる。
この「TPP参加の是非」を見ていると、最初から「○か×か」というコトばかりを世間に問うばかりで、「○か×か」の判断材料となるモノの提示がほとんどないような気がする。
この問題が、生活者レベルで盛り上がらないのは、その点なのではないだろうか?
「飼料の輸入」で国内の農家さんたちが、大打撃を受けるほどの飼料生産をしているのか?とか、そもそも日本で飼料を作らない理由は何か?という、もっと根本的な問題を含め、今の農業の問題をもっとわかりやすく伝える必要があるのでは?
なぜなら、鶏卵一つ取ってみても「価格ではなく、国内産の有機飼料の鶏卵が欲しい」という生活者だっているはずだし、その数は決して少なくないと思う。
そのような視点で考えれば、TPPを切り口に日本の農業の実態と将来像を、生活者を巻き込んで考えるというチャンスだと思うし、それは他の産業についても同じなのでは?
確かに「○か×か」という問いは、シンプルでわかりやすい。
わかりやすいというよりも、選択肢が無さ過ぎて選ぶ基準の中に「熟考する」という要素がなくなってしまう。
この手法で小泉さんは成功したわけだが、その手法には様々な問題があるのでは?という認識を多くの生活者は既に持ってしまっている。
だからこそ「○か×か」を問う前に、その議論の材料となるモノを示しながら、「どう考えますか?」という問いかけが必要なのでは?
今週、新聞に掲載された「TPP反対」の広告を見ながら、そんなことを考えた週末だ。