日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

人には「誇り」と「ユーモア」が必要だ

2008-01-05 22:34:08 | 徒然
年明けから始まったテレビCMの中で、惹かれるCMの一つにキリンのブランドCMがある。
おそらく今年の夏一番聞くであろう、「誇り」と言うことば。
オリンピックなどのスポーツの国際舞台や、サッカーW杯予選と言う場面があるからだ。
だが最近の日本を見ていると、このようなスポーツの場面では頻繁に聞かれることばであっても、日常の中で「誇り」と言うモノを持ちつづけながらことばにする事が無い。
「別にことばにする必要は無いんじゃない?」と言われれば、それまでなのだが、ではこころの中に「誇り」というモノを持って日々を過ごしているだろうか?
一歩間違うと「誇り」は、「高慢」と言う勘違いになってしまいがちなのだが、「誇り」が無くては「卑屈」にもなってしまう。
人には「謙虚と誇りのバランス」を保つことが、大切なのかもしれない。
そんなことを考えさせてくれる、テレビCMだ。

もう一つ最近感じるコトが、「ユーモア」の欠如だ。
お正月のテレビ番組には、「お笑い番組」が目白押しだったが、このような番組を見てどれだけ「笑えた」だろう。
残念ながら私は、番組をチョコッと見ただけで、テレビのスイッチを切ってしまった。
「お笑い番組」を謳いながら、笑えないからだ。
落語や漫談のようなモノだけが「笑い」だとは思わないが、どうも安直な気がするのと笑わせる「テクニック」を感じるのだ。
話のおもしろさや表情などが無いまま、盛り上げるコトだけに終始しているように思えてならない。
そして、どうして「笑い」を謳いながら笑えないのか?と考えていたら、私たちの普段の生活に「ユーモア」がなくなってきているからでは?と思いついた。

高校生の頃、「英語の「humor」は「human」に似ている。「ユーモアがあって人となる」と覚えなさい」と、言われたことがあった。
「ユーモアが分かる」と言うコトは「人として、大切なコト」であり、「こころのエッセンス」なのだというコトだったと覚えている。

今日も、こころが痛くなるような事件があった。
年明け早々、物騒な事件も起きている。
こころのエッセンスの枯渇が、社会をささくれ立ったモノにしているのではないのでは?
「誇りとユーモア」・・・今の日本に欠けているモノかもしれない。