「そろそろ反撃してもいいですか?」のテレビCMで、注目を浴びたdocomo2.0。
「反撃の一部」が、テレビCMで見られるようになってきた。
その一つが、CM出演している女性陣が集まっての、「ボーリングゲーム」だ。
このCMを見たとき、思い浮かんだテレビCMがある。
それが「Wii」のCMだ。
一時期、生産が追いつかなくなったほどの、スティック型のリモートコントローラーのゲーム機だ(といっても、テレビゲームをしないので、認識が間違っていたらゴメンナサイ)。
そのゲームソフトの一つとして、ボーリングゲームがあったように思う。
テレビ画面に向かって、ボーリングと同じようにコントローラーを振ると、テレビのピンが倒れるというモノだ。
家族や友達と一緒になって、ボーリング気分を手軽に楽しめるというゲームだった。
docomo2.0でのテレビCMを見る限り、操作そのものはWiiと同じようだが、テレビ画面ではなく、携帯の画面にそれが映し出される。
しかし・・・テレビCMで見て感じるのは、友人が集まって一方方向に向かって一斉にボーリングの仕草をするというのは「・・・」な気分だ。
確かに、スコアーを見せ合ったりして楽しむのは分かるのだが、どこか違和感を感じるのだ。
まして、自宅でひとりそんなことをするのって・・・寂し過ぎという気がする。
他にも、NintendoDSのボール転がしゲームのようなモノもある。
おぼろげな記憶で申し訳ないのだが、「docomo2.0」というキャンペーン名が発表されるだいぶ前に、発表された次世代機種の特徴は「ゲーム」だったと思う。
それも、テレビゲームなどとはあまり縁のなさそうな、女性をターゲットにした機種の投入を積極的に展開する、という内容だったと記憶している。
テレビCMを見る限り、確かにそうなのだが、本当に携帯電話に対してそのような機能を期待して、女性たちが使っているのだろうか?
NintendoDSと携帯電話の両方を持って歩くのは大変だし、Wiiのゲームの楽しさを携帯電話に集約して楽しんでください(+通信料のUpの期待ありか?)、というコトなのだろうが、どことなくピントが外れているような気がするのだ。
携帯電話の多機能化はドンドン進み、必要最低限である電話とメールの機能だけで十分な私にとっては、手に余る道具となってきている。
もちろん、ゲームや着メロや着うたなどを、ダウンロードしたこともない。
作る側としては、多機能化が生活者の便利だと考えるのかも知れない。
だが、使い切れないほどの機能は、かえって不快なのではないだろうか?
ましてピントが外れている機能であれば、尚更ではないだろうか?
「反撃の一部」が、テレビCMで見られるようになってきた。
その一つが、CM出演している女性陣が集まっての、「ボーリングゲーム」だ。
このCMを見たとき、思い浮かんだテレビCMがある。
それが「Wii」のCMだ。
一時期、生産が追いつかなくなったほどの、スティック型のリモートコントローラーのゲーム機だ(といっても、テレビゲームをしないので、認識が間違っていたらゴメンナサイ)。
そのゲームソフトの一つとして、ボーリングゲームがあったように思う。
テレビ画面に向かって、ボーリングと同じようにコントローラーを振ると、テレビのピンが倒れるというモノだ。
家族や友達と一緒になって、ボーリング気分を手軽に楽しめるというゲームだった。
docomo2.0でのテレビCMを見る限り、操作そのものはWiiと同じようだが、テレビ画面ではなく、携帯の画面にそれが映し出される。
しかし・・・テレビCMで見て感じるのは、友人が集まって一方方向に向かって一斉にボーリングの仕草をするというのは「・・・」な気分だ。
確かに、スコアーを見せ合ったりして楽しむのは分かるのだが、どこか違和感を感じるのだ。
まして、自宅でひとりそんなことをするのって・・・寂し過ぎという気がする。
他にも、NintendoDSのボール転がしゲームのようなモノもある。
おぼろげな記憶で申し訳ないのだが、「docomo2.0」というキャンペーン名が発表されるだいぶ前に、発表された次世代機種の特徴は「ゲーム」だったと思う。
それも、テレビゲームなどとはあまり縁のなさそうな、女性をターゲットにした機種の投入を積極的に展開する、という内容だったと記憶している。
テレビCMを見る限り、確かにそうなのだが、本当に携帯電話に対してそのような機能を期待して、女性たちが使っているのだろうか?
NintendoDSと携帯電話の両方を持って歩くのは大変だし、Wiiのゲームの楽しさを携帯電話に集約して楽しんでください(+通信料のUpの期待ありか?)、というコトなのだろうが、どことなくピントが外れているような気がするのだ。
携帯電話の多機能化はドンドン進み、必要最低限である電話とメールの機能だけで十分な私にとっては、手に余る道具となってきている。
もちろん、ゲームや着メロや着うたなどを、ダウンロードしたこともない。
作る側としては、多機能化が生活者の便利だと考えるのかも知れない。
だが、使い切れないほどの機能は、かえって不快なのではないだろうか?
ましてピントが外れている機能であれば、尚更ではないだろうか?