はんどろやノート

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かの子文学碑

2008年06月28日 | はなし
 「生きている間は、およそ母親らしい母親ではなく、さんざん迷惑をかけた子不孝のかの子は、死んでもまだ、こんな迷惑をかけやがる。全くオレは困った女の子につきあったもんだ。やりきれねえよ。」
 太郎氏は、始終プリプリ憤慨しながら、そのくせ「誇り」と名づける氏の制作するモニュメントは、作るにつれ、日一日と高さを増し翼を拡げ、あれよあれよとみるまに、予算額など全然無視して巨大に… 
   (瀬戸内晴美『かの子繚乱、その後』)

 多摩川沿いに「二子(ふたこ)」という場所があって、その川崎(神奈川県)側にある二子神社のある場所に、岡本かの子の文学碑が建っている。「誇り」と名付けられている。

 行ってみた。(前から、そのうちに行こうと思っていたのだ。)



 ↑私鉄線の駅から歩いて1、2分のところにあるのだが、その途中妙な像(写真)が。これも太郎の作なのか…? これも撮っておくか。
 と、僕がかばんからデジカメを取り出そうとしていると、横の駐車場で仰向けに寝そべっていた猫が、むくりと起きて、このへんな像の横にやってきた。写りたいのか? でも、なぜ…?


 この文学碑は、彼女の小説の大ファンであった瀬戸内晴美(寂聴)、彼女の文学の師である川端康成らの活動によって建てられた。下の台座の部分は丹下健三氏の制作だそうで、上部の制作は芸術家・岡本太郎、一平とかの子の息子である。

 岡本太郎は、1911年2月26日生まれ。約100年ほど昔のことだ。
 そう、あのとき、洪水の多摩川の雨中、岡本一平が鉄橋を走って渡りかの子の嫁取りをしたそのときに、かの子のお腹の中に宿っていた児が、太郎である。

 先に、荻原碌山が1910年、夜空にハレー彗星が出現している時期に新宿中村屋のアトリエで倒れて死に、その後に一平とかの子が妊娠してその年の8月に求婚、ということを書いた。その翌年2月に太郎が生まれた。ロダンに感動して彫刻を始めた芸術家の死と、岡本太郎の誕生…。なんの関わりもないその二つをつなげて考えるのは、僕の、実に漫画的発想である。
 しかし太郎の父・一平は結婚後、漫画家となった男である。「一国の首相の名前は知らなくても、岡本一平の名前はだれでも知っている」と言われるほどの有名人となるのである。



 ↑多摩川の河原から見た図。女の脚のようでもある。
 
 近くから見ると、白鳥のようでもある。しかし、そんなありふれたものではなく、妙な生命体と言ったほうが近い。
 この碑には階段が付いており、登ると、多摩川が見渡せる。川むこうは東京都二子玉川である。

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