はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

岡本一平

2007年11月04日 | はなし
持子「ぢゃきっすをして頂戴。」
人成「え!? え!?」
持子「当り前ぢゃありませんか。愛の印の。」
人成「きっすて、僕。」
持子「どんなふうにしたっていいのよ。情熱さへあれば。」
 持子は人成の面前へすっくと立った。女は勇敢な意気を見せた。人成の考へが血液と共に身体中を瞬間に一巡した。人成は自分といふ事も日頃の方針なぞという事もかうなっては無力である事を悟った。運命の儘にここできっすしちまって、この女はどんな生涯を送るかもしれぬ、夫婦になってしまふともそれでもいいぢゃないかと観念する様になった。 人成は
「ぢゃ。」
といって女の耳かくしの鬢の毛を描き上げて両手で耳を掴んだ。
「耳なぞ掴まへなくてもいいのよ。」
「だって押さへる所が無いから。」


 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 これは岡本一平『人の一生』から。1921年5月から朝日新聞に連載された、日本で最初の連載長編ストーリー漫画である。
 主人公の名前は、唯野人成(ただのひとなり)。 上の絵は、「人成、ブルジョア娘持子にキッスをせがまれる」の図。 「ぢゃ。」というのが、可笑しい。
 岡本一平は大正時代の超売れっ子漫画家である。函館で生まれ、東京日本橋で育った。ストーリー漫画の祖は、手塚治虫ではなく、実はこの、一平なのだ。
 『人の一生』は評判がよかった。そんな一平に、「世界一周旅行」をしないかと誘いがかかった。そのために翌1922年3月、一平はこの連載を中断し、アメリカ、ヨーロッパと出かけていった。帰国後、連載は再開され、昭和4年(1929年)まで続いた。 (手塚治虫の誕生は昭和3年11月である)


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