この絵は東宝映画『海底軍艦』(1963年)より。 映画のこの「海底軍艦」は「轟天号(ごうてんごう)」と命名され、空を飛ぶこともできるし土中を進むこともできる万能巨大兵器である。デザインは小松崎茂。
さて、僕がこの稿で述べたいのは、その原作の『海島冒険奇譚 海底軍艦』のほうで、これが書かれたのは1900年。
こっちは空は飛ばない。 「潜水艦」であることが、最新未来兵器だった時代、である。
1900年といえば、まだ日露戦争も始まっていないし、夏目漱石もまだ小説を書いていない。日本にはまだ潜水艦などないし、ディーゼルエンジンもないし、ラジオもない。ライト兄弟はまだ世界初の飛行テストを行っていない。ラザフォードの「原子核の発見」も10年あとだ。
映画のほうはといえば、1960年代だから、すでに“原子力”というものが厳然として在り、日本は敗戦の苦しみを経験している。
つまりこのように、映画版と原作小説とでは時代状況がまったくちがう。だから内容もまた、まったく別のものであることをまず記しておく。 映画『海底軍艦』は、原作のタイトルと潜水艦のイメージだけを借りてつくったべつの物語なのである。
押川春浪(おしかわしゅんろう)が『海島冒険奇譚 海底軍艦』の作者である。
この話は、伊太利亜(イタリア)から始まる。 主人公は柳川という男(私)で世界一周の旅の途中、イタリアで旧友と偶然に会う。その旧友の妻と息子(日出男少年)が、母子だけで日本に帰国するという。主人公柳川も同じ汽船に乗って日本に帰るところだったので、柳川は友人に頼まれてその母子と船の旅を共にすることになる。
ところが出港前、白髪の老女がなぜか「今夜は不吉な夜だから行くのをやめよ」と泣く…。
船(弦月丸、げんげつまる)は、イタリアを出発。 地中海からスエズ運河を通り、紅海、そしてインド洋へ。
そこで謎の怪しい船‘海蛇丸(かいだまる)’におそわれる。
弦月丸は沈没――!!
いろいろあって、柳川と日出男少年は二人で海を漂流、その後無人島に漂着。
インド洋に浮かぶその無人島は、なんと日本の秘密海軍基地だった!!
そこで建造中だったのが、「海底軍艦」だったのである。この小説中では、“電光艇”と名付けている。
この「海底軍艦 電光艇」の動力源はなんだろうか?
〔「此倉庫には前申した、海底戦闘艇の動力の原因となるべき重要の化学薬液が、十二の樽に満されて納められているのです。実に此薬液こそ、海底戦闘艇の生命ともいうべき物です。」〕
なるほど、「12の化学薬液」が「海底軍艦」の秘密の動力源なのだ!!
押川春浪は、1876年愛媛県松山市生まれ。(つまり正岡子規や秋山真之と同じだ。)
彼の「年譜」がべらぼうに面白いので、その一部を以下に書き出してみる。
明治二十三年(1890) 14歳
上京して明治学院に入る。勉強はそっちのけで野球に熱中したので、父は目のとどく東北学院普通部に転校させた。 (中略) ミッション・スクールの洋風な点が性に合わず、西洋人の教師と大喧嘩したり、犬を殺して教室のストーブで煮て食べたり、長髪の同級生の髪に石油をかけて放火したりしたため、父の厳命で北海道に渡った。札幌農学校の入試に落ち、私費で同校の実習科に入学。原野を開拓するつもりだったが、いたるところ大木の林の一本一本を手作業で切る手間にうんざりして上京、水産講習所に入所。南氷洋で捕鯨事業にたずさわる夢があったが、次第に鯨の数も減少し、容易に捕らえることができないと知ると、それも嫌になった。(以下略)
明治三十一年(1898) 22歳
七月、東京専門学校(いまの早稲田大学)英文科卒業、引きつづき政治科に入学。この頃、借馬にまたがって意気揚々と神楽坂をのぼって交番近くまできたところ、馬が突然暴れ、とっさの気転で交番へ乗り入れた。内部は目茶苦茶になったが、巡査の力で馬をとめることができた。また、寄宿舎の屋根にとまっていた山鳩を、柔道三段の山田敬行と二人で鉄砲で撃ち落したのを渡せ渡せぬと争って舎監にしかられると、逆に舎監にくってかかり、逃げ出した舎監に向かって…(以下略)
明治三十三年(1900) 24歳
処女作『海島冒険奇譚海底軍艦』を執筆。 認められ、文武堂より出版。
どうです? ‘たいへんな男’でしょう? (ぜったいに友達になりたくない男、であるな。)
とほうもない豪傑であり、とほうもない駄目人間である。
押川春浪、どうやら実際に外国には行ったことがないようだ。 その後もずっとこのような冒険小説を書いたが、やはり一番面白いのがこの処女作の『海底軍艦』のようだ。 1916年、38歳没。
古典SF研究家横田順彌氏は、「押川春浪『海底軍艦』こそ、日本のSFのルーツである」としている。 ‘日本のSFは海底軍艦からはじまる’というわけだ。
押川春浪がこれを執筆し始めた時、「デュマのような面白いものを」という意識があったらしい。「デュマ」とは、19世紀フランスの作家アレクサンドル・デュマのことで、『三銃士』『モンテ・クリスト伯』などが代表作。ジュール・ベルヌは若い時にこのデュマの下で学んだことがある。
ところで、押川春浪『海底軍艦』には、「竜」とか怪物とかは出ません。 敵は、‘国籍不明’のなぞの海賊組織です。
日本帝国海軍と海賊軍は、インド洋にて大決戦! 7隻の海賊船団はいずれも撃沈! しかしその正体にはなにも触れず…。(それでいいのか? だいたい「海蛇丸」って日本語なのでは…??)
まあとにかく、大勝利した船団は意気揚々と日本へ向かう…。
そしてこの物語の最後は、
〔…右手に高く兜形の帽子を揚げて、今一度、諸君と共に大日本帝国万歳! 帝国海軍万歳を三呼しましょう。〕
と、締めくくられている。
さて、僕がこの稿で述べたいのは、その原作の『海島冒険奇譚 海底軍艦』のほうで、これが書かれたのは1900年。
こっちは空は飛ばない。 「潜水艦」であることが、最新未来兵器だった時代、である。
1900年といえば、まだ日露戦争も始まっていないし、夏目漱石もまだ小説を書いていない。日本にはまだ潜水艦などないし、ディーゼルエンジンもないし、ラジオもない。ライト兄弟はまだ世界初の飛行テストを行っていない。ラザフォードの「原子核の発見」も10年あとだ。
映画のほうはといえば、1960年代だから、すでに“原子力”というものが厳然として在り、日本は敗戦の苦しみを経験している。
つまりこのように、映画版と原作小説とでは時代状況がまったくちがう。だから内容もまた、まったく別のものであることをまず記しておく。 映画『海底軍艦』は、原作のタイトルと潜水艦のイメージだけを借りてつくったべつの物語なのである。
押川春浪(おしかわしゅんろう)が『海島冒険奇譚 海底軍艦』の作者である。
この話は、伊太利亜(イタリア)から始まる。 主人公は柳川という男(私)で世界一周の旅の途中、イタリアで旧友と偶然に会う。その旧友の妻と息子(日出男少年)が、母子だけで日本に帰国するという。主人公柳川も同じ汽船に乗って日本に帰るところだったので、柳川は友人に頼まれてその母子と船の旅を共にすることになる。
ところが出港前、白髪の老女がなぜか「今夜は不吉な夜だから行くのをやめよ」と泣く…。
船(弦月丸、げんげつまる)は、イタリアを出発。 地中海からスエズ運河を通り、紅海、そしてインド洋へ。
そこで謎の怪しい船‘海蛇丸(かいだまる)’におそわれる。
弦月丸は沈没――!!
いろいろあって、柳川と日出男少年は二人で海を漂流、その後無人島に漂着。
インド洋に浮かぶその無人島は、なんと日本の秘密海軍基地だった!!
そこで建造中だったのが、「海底軍艦」だったのである。この小説中では、“電光艇”と名付けている。
この「海底軍艦 電光艇」の動力源はなんだろうか?
〔「此倉庫には前申した、海底戦闘艇の動力の原因となるべき重要の化学薬液が、十二の樽に満されて納められているのです。実に此薬液こそ、海底戦闘艇の生命ともいうべき物です。」〕
なるほど、「12の化学薬液」が「海底軍艦」の秘密の動力源なのだ!!
押川春浪は、1876年愛媛県松山市生まれ。(つまり正岡子規や秋山真之と同じだ。)
彼の「年譜」がべらぼうに面白いので、その一部を以下に書き出してみる。
明治二十三年(1890) 14歳
上京して明治学院に入る。勉強はそっちのけで野球に熱中したので、父は目のとどく東北学院普通部に転校させた。 (中略) ミッション・スクールの洋風な点が性に合わず、西洋人の教師と大喧嘩したり、犬を殺して教室のストーブで煮て食べたり、長髪の同級生の髪に石油をかけて放火したりしたため、父の厳命で北海道に渡った。札幌農学校の入試に落ち、私費で同校の実習科に入学。原野を開拓するつもりだったが、いたるところ大木の林の一本一本を手作業で切る手間にうんざりして上京、水産講習所に入所。南氷洋で捕鯨事業にたずさわる夢があったが、次第に鯨の数も減少し、容易に捕らえることができないと知ると、それも嫌になった。(以下略)
明治三十一年(1898) 22歳
七月、東京専門学校(いまの早稲田大学)英文科卒業、引きつづき政治科に入学。この頃、借馬にまたがって意気揚々と神楽坂をのぼって交番近くまできたところ、馬が突然暴れ、とっさの気転で交番へ乗り入れた。内部は目茶苦茶になったが、巡査の力で馬をとめることができた。また、寄宿舎の屋根にとまっていた山鳩を、柔道三段の山田敬行と二人で鉄砲で撃ち落したのを渡せ渡せぬと争って舎監にしかられると、逆に舎監にくってかかり、逃げ出した舎監に向かって…(以下略)
明治三十三年(1900) 24歳
処女作『海島冒険奇譚海底軍艦』を執筆。 認められ、文武堂より出版。
どうです? ‘たいへんな男’でしょう? (ぜったいに友達になりたくない男、であるな。)
とほうもない豪傑であり、とほうもない駄目人間である。
押川春浪、どうやら実際に外国には行ったことがないようだ。 その後もずっとこのような冒険小説を書いたが、やはり一番面白いのがこの処女作の『海底軍艦』のようだ。 1916年、38歳没。
古典SF研究家横田順彌氏は、「押川春浪『海底軍艦』こそ、日本のSFのルーツである」としている。 ‘日本のSFは海底軍艦からはじまる’というわけだ。
押川春浪がこれを執筆し始めた時、「デュマのような面白いものを」という意識があったらしい。「デュマ」とは、19世紀フランスの作家アレクサンドル・デュマのことで、『三銃士』『モンテ・クリスト伯』などが代表作。ジュール・ベルヌは若い時にこのデュマの下で学んだことがある。
ところで、押川春浪『海底軍艦』には、「竜」とか怪物とかは出ません。 敵は、‘国籍不明’のなぞの海賊組織です。
日本帝国海軍と海賊軍は、インド洋にて大決戦! 7隻の海賊船団はいずれも撃沈! しかしその正体にはなにも触れず…。(それでいいのか? だいたい「海蛇丸」って日本語なのでは…??)
まあとにかく、大勝利した船団は意気揚々と日本へ向かう…。
そしてこの物語の最後は、
〔…右手に高く兜形の帽子を揚げて、今一度、諸君と共に大日本帝国万歳! 帝国海軍万歳を三呼しましょう。〕
と、締めくくられている。
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