はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

ヒューゴー・ガーンズバック

2009年01月08日 | はなし
 これは御茶ノ水駅の聖橋から見た夜の景色。 あれに見えるは、秋葉原。 電気部品のメッカである。


 さて、僕は1年ほど前に「賢治のシャープペンシル」という記事を書いた。シャープペンシルを作った早川徳次氏が、1923年に関東大震災で家族と工場を失い、それでシャープペンシルの権利を売り、大阪行って、日本初の鉱石ラジオをつくって売り出した、そういう話である。これが現在の総合家電メーカー「シャープ株式会社」の起こりであり、日本のラジオ製品の始まりである。1925年のことで、この年にラジオ放送が日本で始まったのである。 (僕の父によれば、鉱石ラジオというものは電波が入ったり入らなかったりじつに頼りないものであったそうだ。)

 では、世界では?  世界のラジオ放送はいつ始まったのか?

 それは1906年12月24日、アメリカで電気技術者レジナルド・フェッセンデン(カナダ生まれ)が行ったクリスマス放送が始まりである。しかし、放送といっても個人的なものであり、彼が趣味でやったようなもので、その放送を聴いた人も、趣味でラジオを自分で作っていた人たちである。つまり、電気機械に夢を抱く「アツイおたく魂」をそなえた人たち同士の交流と言ってよい。
 アメリカのラジオ放送が、企業により、すなわちラジオ局によって放送されたのは、1920年のことになる。

 ここで一人の、そんな「熱いラジオ魂」を持った男の話をしよう。彼が今日の主役である。 名を、ヒューゴー・ガーンズバックという。1884年、ルクセンブルクにまれ、1904年にアメリカにやってきて、その翌1905年に、アメリカ初の通信販売のラジオ店を開いた。彼はこの「ラジオ」という未来の機械に将来を賭けたのだ。
 そうはいっても、まだラジオ局の開局する15年も前のことだ、ラジオを売るのは簡単じゃない。放送といっても、個人が趣味でやっているものだし、そのころのラジオの性能は電波を確実にキャッチできるようなものではない。
 でも、だからこそ、アツクなれる趣味、といえる。面白い放送をキャッチしたときの感動は、たまらない喜びとなって身体中を駆け巡るだろう。きっとそれは、宇宙人との交信のようなものだ。
 さて、ヒューゴー・ガーンズバック。彼はラジオの販売促進のために、ラジオ雑誌を創刊しようと思いついた。それが『モダン・エレクトリック』誌で、アメリカ初のラジオ雑誌である。


 1911年春のことである。 そのラジオ雑誌に予定していた原稿に穴が開いてしまった。困ったガーンズバックは、その穴埋めに、自分が書いた未来小説を載せることにした。
 これが、ウケた!
 その小説は『ラルフ124C41+』というタイトルで、西暦2660年を舞台にしている。ラルフ124C41+という名の天才発明家が主人公で、彼の発明した様々な「未来機械」が描かれていた。ファクシミリ、太平洋横断地下鉄、太陽電池、レーダー、テレビ電話、蛍光灯…この時代、まだ蛍光灯もテレビジョンも発明されていなかったのである。
 こんな小説はかつて読んだことがないぞ、ここに新しい世界がある、ある読者はそう感じたことだろう。
 手ごたえを感じたガーンズバックは、その後も作家に未来小説を書かせたり、ウェルズやヴェルヌの昔の作品を載せたりした。

 そして1926年、ついに「その日」がやってきた。
 ヒューゴー・ガーンズバックは、新しい雑誌<アメージング・ストーリーズ>を発刊したのである。
 この雑誌こそ、世界最初のSF専門誌であった!! (まだ「SF」という言葉はなかったが。)

 

 ガーンズバックは作家を集め、科学小説を書かせた。ところが、それらはガーンズバックには不満だらけだった。作家たちは科学というものの知識がいい加減だったのである。ガーンズバックは、彼らに「科学」を教えなければならなかった。
 しかし、この新しいタイプの小説に、ワクワクした読者もいたはずだ。そこには、「可能性」があった。「不思議」があった。 後の慣用句に言い換えれば、「センス・オブ・ワンダー」の片々が。
 表紙絵は、フランク・R・パウルが担当した。これがまた素晴らしかった。
 内容的に、この世界初のSF誌<アメージング・ストーリーズ>が充実するのは、1928年8月号まで待たなければならなかった。その号では、E・E・スミス『宇宙のスカイラーク』、フィリップ・フランシス・ノーラン『バック・ロジャーズ』が登場した。「SFヒーロー」の誕生であった。
 「SFファン」は熱狂した。 これだ! おれたちはこういう物語を待っていた!!

 「SF」という言葉も、彼、ヒューゴー・ガーンズバックが生み出したという。そういうわけで、彼もまた、「SFの父」の一人なのである。

  

 これはフランク・R・パウルの描いた、ウェルズ作『宇宙戦争』の火星人とその乗り物。
 「火星人=タコ」の図式がウェルズのこの物語のイメージから発していることはよく知られている。この『宇宙戦争』の火星人の価値は、タコの姿をしていることよりも、宇宙人が「知性」を持っているとしたことである。彼らは、地球人には勝てない「機械の乗り物」を造っていた! 人間よりもすぐれた知能の宇宙人は、それ以前には想像上であっても考えられたことがなかったのである。 (この火星人たちは、地球のありふれた病原体のために全員死んでしまったのだが。)
 H・G・ウェルズはイギリス人で、1897年に『宇宙戦争』を書いた。(彼もまた「SFの父」とよばれる。) この小説の舞台はだからロンドン郊外になっているのだが…
 1938年10月30日のこと、アメリカのCBSラジオで『宇宙戦争』がドラマとして放送された。何気なしに聞いていたアメリカ聴取者は、「宇宙人がやって来た!」と本気にして大騒ぎになった。有名な「宇宙戦争ラジオドラマ事件」である。 (SFマニア野田昌宏さんは、このドラマの台本までもっていたという。すごい人だ。)



 こう書いてきて、僕は、こんなことをふと思ったりする。なにかに「熱狂する」ということと、「電波」との間には、なんらかの強い繋がりがあるのかもしれない、と。
 相手がそこにいないのに話ができる…。 「電波」…、まさにこれは、超能力にちがいない。


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