はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

内藤大山定跡Ⅳ  大山康晴の「角交換ダイレクト向かい飛車」

2013年08月13日 | しょうぎ
 大石直嗣著『ダイレクト向かい飛車』。先月、書店で購入しました。
 『佐藤康光の力戦振り飛車』といっしょに。

 大石直嗣 →「おおいしただし」と読むのですね。(なおつぐかと…)
 大阪出身、森信雄門下の23歳。まだ彼のことを新人と思っていたのですが、もう六段なのか。




 「角交換ダイレクト向かい飛車」が流行っているらしい。
 この将棋のルーツは、1972年の「内藤-大山戦」にあります。


▲7六歩 △3四歩 ▲2二角成 △同銀 ▲8八銀 △3三銀 ▲7八金 △2二飛

内藤国雄-大山康晴 1972年
▲6五角
 初手より「7六歩 、3四歩、2二角成」が“内藤大山定跡”。(僕が勝手に名付けた。)
 内藤・大山戦ではこれが6局目。この将棋は、大山康晴王位と内藤国雄挑戦者とのあいだで争われた王位戦七番勝負の最中に行われた一局。(その王位戦はついに内藤国雄が大山へのコンプレックスを跳ね返して、内藤新王位が誕生することになる。)
 図は、大山康晴の「角交換ダイレクト向かい飛車」である。
 この対局の数か月前の王座戦やはり内藤・大山戦で、後手の大山がこの「ダイレクト向かい飛車」を指したのが最初であるが、その時は内藤はここでの「6五角」を見送った。(前回記事参照)
 角交換の振り飛車にする場合、できることなら振り飛車側は「向かい飛車」にしたい。これによって、3三の銀が自由に動けるようになるからである。(銀が一枚釘づけになっていたままでは勝てない。)


△7四角
 しかし、「向かい飛車」にすると、ここで居飛車側からの「6五角」を覚悟しなければならないのだ。だからいったん「四間飛車」にしておいて、あとで機を見て「向かい飛車」にする――それが無難ではある。無難であるが、そこの「一手」を惜しんでまっすぐに「2二」へ飛車を振る――だから「ダイレクト向かい飛車」なのである。「6五角」を打たれる変化に自信があるなら、それで問題はない。

 内藤国雄、今度は「6五角」と打った。
 なお、この対局は十段リーグの一戦である。大山は名人位を中原誠に譲ったばかりの時期で、「王位」「王将」の二冠王だった。



 居飛車の6五角に、大山康晴7四角。
 「ダイレクト向かい飛車」では、今ではすっかりおなじみの一手だが――

森内俊之-佐藤康光 2007年
 いちおう、「角交換ダイレクト向かい飛車」は佐藤康光が始めたことと認知されている。
 しかし実際にはこのように1972年の「内藤-大山戦」がすでにある。
 佐藤康光の「角交換ダイレクト向かい飛車」は、2007年のNHK杯決勝で最初に現れた。佐藤はこれに勝ってNHK杯を優勝したのである。
 図の「森内俊之-佐藤康光戦」は、その時の将棋ではなく、佐藤流「ダイレクト向かい飛車」の2号局となる棋王戦の将棋である。


▲7四同角 △同歩 ▲7五歩 △7二飛
 「森内-佐藤戦」と、「内藤-大山戦」でなにが違うか。
 “手の損得”が違う。「内藤-大山戦」では先手内藤から角交換して始まるので、振り飛車が「一手得」になる。逆に「森内-佐藤戦」では、振り飛車側(佐藤)から角交換をするので、振り飛車の「一手損」。つまりこの両者を比べた場合、「二手」の差ができているのである。
 だから「内藤-大山戦」の場合を見ると、先手の手が遅れているので、4八銀(3八銀)と「4七」の地点をまだ守れていない。それでどう変わって来るのか。

 大山の7四角に、内藤は同角としたが、4三角成だとどうなるのだろうか。
 4三角成、4七角成、5三馬、5七馬… というような展開もあるかもしれないが、4三角成に5二金左がありそうだ。この場合、現代版「ダイレクト向かい飛車」の常套手段の5二同馬、同金、7五金はない。それは4七角成とされて、7五金は空振りの打ち損になるからだ。


▲6五角 △5二金右 ▲7四角 △8二銀 ▲7七銀 △5四歩 ▲6六銀 △5三金
▲7七金 △4二玉 ▲6五銀 △5二金上 ▲8六歩 △9四歩 ▲7八飛
 実戦の7五歩~7二飛という展開も、 現代版「ダイレクト向かい飛車」でもよくみられる展開だ。7五歩に同歩は、もちろん6五角で後手がわるい。
 内藤は、7二飛に対しても6五角と打った。これで先手の「一歩得」が確定する。しかし「筋違い角を打った」ということをマイナスにしようという戦略が後手側にはこれで生まれる。つまり、お互いに主張点のある闘いとなる。内藤の角が働くかどうか、それが注目点である。

 
△4四銀 ▲4八玉 △3三桂 ▲3八玉 △2四歩 ▲6六歩 △2五歩
▲6七金 △7一飛 ▲5六歩 △2一飛 ▲2八銀 △2六歩
 こういう将棋となった。「力戦」とか、「手将棋」と、定跡から外れた将棋のことをこう呼ぶが、これぞまさに「手将棋」で、これだから内藤・大山戦は面白いのである。
 先手は角が動きやすいように7五の歩を守る必要がある。左辺で戦いが起こりそうなので、内藤は玉を右に囲う。
 大山は7一飛を飛車を引いた。そして、2一飛。


▲2六同歩 △同飛 ▲2七歩 △2一飛 ▲5八飛 △2四角
 2筋に飛車を展開して、2六歩。歩交換で一歩を手にする。
 そして2四角。


▲5九飛 △9五歩 ▲7七桂 △6二金 ▲5五歩 △同歩 ▲8五角 △7八歩
 この将棋の解説は手元にないので詳細は不明だが、おそらく大山が2四角と打ったこの局面はすでに先手が相当に悪いのだと思う。大山康晴の創造的な構想がすばらしかった。大山さんは、実は「手将棋」が誰よりも得意な人だと思う。


▲7六角 △7九歩成 ▲8七角 △6四歩 ▲7六銀 △7三銀 ▲5七歩 △7八歩
 次の7九歩成を受ける手段がむつかしい。5七歩とは打ちたくない。7六角、7九歩成 、8七角と頑張ってみたが…


▲4八金 △4五銀 ▲6五歩 △5二金寄 ▲9八香 △6二銀
 しかし結局、5七歩と我慢することになった。これではもう、先手勝ち目がなさそうに見える。


▲7四歩 △6三銀 ▲7五銀 △7一飛 ▲6六銀 △5四金 ▲3九銀 △7四銀
▲5六歩 △同歩 ▲6四歩 △同金 ▲4六歩 △同角 ▲5四歩 △6三銀 ▲4七金
 6二銀。玉を固めつつ、次に7一飛や7三桂がねらえる味の抜群によさそうな手。
 このまま待っていてもどうしようもないので、内藤は攻めに出た。


△6九と ▲4九飛 △7九角成 ▲5六金右 △5四金 ▲4五金 △同金 ▲5四歩 △5八金
▲5三銀 △3二玉 ▲4五飛 △同桂 ▲4四銀成 △同歩 ▲5三歩成
 先手自ら玉の囲いを崩していくような手順だが、飛車を使うためだからしかたがない。
 4七金に、6九と。ここで「と金」が動き出す。


△5四歩 ▲5二と △5九と ▲5五銀 △4九と ▲4四銀 △3九と
 内藤は飛車を切って、5三歩成。これで一応、飛車角は働いたことになる。しかし敵玉は広い。
 大山は5九と~4九と~3九と。

投了図
まで110手で大山康晴の勝ち。 大山の快勝譜。

 ということで、大山康晴の「角交換ダイレクト向かい飛車」、成功です。
 この将棋は、内藤が6五角と打って、大山の7四角に、同角、同歩、7五歩、7二飛に、そこでもう一度内藤が6五角と打って、それでこの将棋の骨格が定まりましたが、この作戦そのものがどうだったか。実戦は、「筋違い角は使いにくい」という一般的な定説がそのまま当てはまるような将棋になりました。


 この将棋は大山さんが勝利しましたが、同時期に戦っていた王位戦七番勝負のほうは、4―1で内藤国雄が勝って、ついに大山からタイトル奪取。
 大山康晴の保持するタイトルは、これで「王将」だけとなりました。その「王将位」も、翌年の2月に、中原誠に奪われ、大山康晴はとうとう無冠となります。
 (しかしかわりに大山の弟子の有吉道夫が「棋聖」に。これが有吉の初タイトル。)



丸田祐三-大山康晴 1972年
 さて、上の「内藤-大山戦」の3か月後の「丸田祐三-大山康晴戦」で、またしても「角交換ダイレクト向かい飛車」が現れました。この将棋もやはり、先手の、内藤流の「7六歩 、3四歩、2二角成」から始まった将棋で、ここが現代版の「ダイレクト向かい飛車」と基本的に違うところ。現代版は振り飛車側から角交換します。
 さて、丸田祐三の6五角に、やはり大山は7四角と合わせます。4三角成、5二金左、2五馬、2四銀、3四馬、4七角成、と進みました。
 この将棋は後手の大山が3五歩と突いていることに注意です。この3五歩を見て、丸田は6五角~4三角を指したのかもしれません。もしも3四歩型なら、5二金左で先手の馬は死んでいますから。


 お互いに馬をつくりあって、これからの将棋です。これもやはり、「手将棋」ですね。
 昔はこういう将棋をプロは「手将棋」と呼びつつ、その根底には、“邪道だ”とか“しろうと将棋”というような軽蔑のニュアンスが含まれていたように思われるのですが、本音のところではプロも「どう指してよいかよくわからん」ではなかっただろうか。
 最近は、昔のプロがそのように研究を避けてきた形に光をあてて、それを集団で研究していくようになってきています。その代表が「早石田」や「角交換ダイレクト向かい飛車」です。
 「丸田-大山戦」は、以下、お互いに積極的にリードしようとする将棋になりました。


 銀交換があって、後手大山が2四飛と飛車を浮いたのを「隙あり!」と見て、丸田4一銀。
 4一同馬、3三馬に、そこで大山は2二銀と受けた。


 2四馬、同金と、後手は飛車を渡すことになるのだが、4一に馬がいるので、飛車の打ち込みがないので大丈夫ということ。


 丸田、4四飛と打つ。以下丸田祐三は、6六銀~6八金~7九飛~8八玉と、4九の飛車を7九で使い盤面の左での戦いにする作戦をとる。たしかに、それが成功すれば大山の前線の金銀が意味のない駒になる。


 面白い将棋だ。どっちが良いのだろう? 後手は3七成銀~4七歩成が確実な攻めだ。
 ちなみにこの将棋は「早指し選手権戦」で、この期が第1回。 テレビ東京主催の超早指し将棋である。(第1回の優勝者は中原誠名人。)
 図の7四歩はもう107手目になる。7四同歩、8五飛、3四銀、7五歩、3七成銀、4八歩、7五歩、7四歩、8二銀、7五銀、3三馬、6六歩、7三歩。


 相手の手に乗って、いつの間にか3三馬と、この馬が働く形になっている。うまいなあ。
 7三同歩成、同銀、8六飛、8五歩、7六飛寄、7四歩、同銀、8四桂。

 
 以下、7五飛、6六馬、9八玉、7六歩まで、丸田祐三投了。





 さて、ここからは現代版の「角交換ダイレクト向かい飛車」について見ていきましょう。佐藤康光の将棋を軸にして。
 現代版のこれを始めたのは、先ほども述べた通り、佐藤康光さんです。
 “内藤流3手目2二角成”から始まる大山式「ダイレクト向かい飛車」と、佐藤流のそれとの違いは、やはり“2手”の「手数」の違いがありますが、もっと根本的なことをいえば、佐藤流は自分からこの戦法を指したくて角交換をしているが、大山式は「相手が(内藤国雄が)角交換をしてくるから、やってみた」という流れである。大山康晴は自分から角交換将棋を選んでいるわけではないのだ。
 要するに、現代版(佐藤流)の「ダイレクト向かい飛車」は、自分からの意思でこの戦法を選択できるというメリットがある。


佐藤康光-森内俊之 2007年 NHK杯決勝
 佐藤流「角交換ダイレクト向かい飛車」の1号局は2007年のNHK杯決勝。
 この頃は、角交換振り飛車は別に流行っておらず(アマの一部では流行していた)、とくに魅力的な戦術でもなかった。その角交換振り飛車を、佐藤康光は先手で指した。“先手から2二角成と角交換して”振り飛車にしたのである。この感覚は、当時ほとんど理解されていなかったと思う。後手番ならまだしも、先手で一手分を放棄してまで指すほど「角交換振飛車」が面白いとは思えなかったからだ。
 実は佐藤の主張は1六歩~1五歩の1筋の位にある。角交換によって先手の“一手”を失う分、1筋のアドバンテージを取ることで「どうだ」という主張である。
 こうして主張点を作っておいて、ダイレクトに「向かい飛車」に振る。4五角と打つなら打て、という姿勢だ。


 森内俊之は4五角と打った。対して、佐藤康光、“大山流”の3六角。
 森内は6七角成としなかった。3六同角、同歩と再度角を交換したあと、ふつうに駒組みをすすめた。


 このようにじっくりした流れになった時に、1五歩と端歩を伸ばしているのが大きいでしょう、と佐藤康光は考えたのだ。


 森内が仕掛けた、まず7二飛と寄り、7五歩、同歩に、6四角。
 6四角と打たずに7五飛は、先手からの6四角があって、これは先手がよい。だから後手が6四角なのだが、佐藤はそれではとこの森内の角を目標にして、6六歩と突く。
 ここで3七角成が驚愕の一手。佐藤もびっくりしたらしい。
 3七同玉、7六桂と進む。この3七同玉は、同金のほうがよかったと後でわかる。


 森内の3七角成は7六桂がねらいだが、先に角を捨てているので、こういう攻めは成立しそうにない、と強い人は考えるのである。
 実際、7六桂、7八飛、6八桂成、同銀で先手良しだった。
 ところが佐藤康光は8九飛と引いた。8九飛と引くと、6八桂成、同銀、7八金という手が見えるが、それは6四桂で勝てる、そう読んで佐藤は飛車を引いたのである。
 実戦は、6八桂成、同銀、7五飛。それを見て佐藤は、「しまった」と思う。次に7八金と打たれたらまずいので、2九飛と飛車を避難させたが、6六歩、6四角、7六飛、5五歩、7三金となって、森内優勢である。


 このタイミングで7三金というのが良い手になった。7三同角成、同桂、5四歩とすれば先手は金の丸得なのだが、そこで6四角とされると先手は困るのだ。もしも3七玉型でなかったらこの6四角はないのだった。だから先ほどの3七角成には「同金」が正着だったというわけ。


 佐藤、苦しいながらも、後手玉をうすくして逆転のチャンスをねらっている。
 そしてそのチャンスは来た!
 図で森内は1四歩と端から攻めに行った。本筋の手だが、この場合は甘かった。6七歩成なら、佐藤は依然、苦しかった。
 佐藤はチャンスと見て、5九飛。ねらいは5五飛の飛角交換。5五の角は後手の一番働いている駒だ。
 1四歩、5九飛、1五歩、5五飛、同金、2五桂。


 これで混戦になった。
 6九飛、5九金、9九飛成、3三桂成、同桂、4四銀。


 4二金、5一角、7二飛、4二角成、同飛、4三金。


 以下、4一飛、3三金、1三玉とすすむ。先手は攻め駒が少ないので、攻めが切れたら負けだが、佐藤が攻めきって、NHK杯優勝。これが初優勝だった。

 この将棋は、結果的に、1筋の位(1五歩型)が勝因になったともいえる。
 その意味で、佐藤流「角交換ダイレクト向かい飛車」、成功である。



森内俊之-佐藤康光 2007年 棋王4
 じつは2007年のこの時期、森内俊之と佐藤康光はタイトル戦五番勝負を闘っていた。佐藤が挑戦者で、「棋王」は森内。森内は「名人」でもあり二冠だった。佐藤は「棋聖」を持っていた。
 その棋王戦の第4局。後手番で佐藤康光は、また「角交換ダイレクト向かい飛車」を採用した。後手番なのでまた一手違うが、思想は同じである。9筋の位を取って、2二飛。
 そこで森内が6五角。佐藤7四角。ここまでは同じである。
 次で変化した。森内、4三角成。
 もちろん佐藤はこの対策は考えてある。
 4三角成、5二金右、同馬、同金、7五金。


 これで角は取り戻せる。
 それで何がどうなるかといえば、先手は「一歩得」、後手は角の他に「金」を手持ちにしているので、これを攻めに使えるというわけだ。


 さあ、戦いが始まった。
 森内が4五桂と跳ね、佐藤は3筋7筋の歩を突き捨てて4二飛。その手に対し、3四角と森内。この手が良かったらしい。この一手で、佐藤はシビレてしまった。
 図から、3五銀、3八飛、4四角、5二金成、同銀、5五金となって、佐藤は苦しい。
 そのまま森内俊之が勝って、五番勝負はこれで2勝2敗。


 この棋王戦は次の最終局を佐藤康光が勝って、佐藤二冠王が誕生したのでした。





佐藤康光-郷田真隆 2007年
 A級順位戦で、郷田真隆に佐藤は、「角交換ダイレクト向かい飛車」をぶつけた。
 先手番、1五歩位取り型である。
 郷田は、上の棋王戦の「佐藤-森内戦」のように、角交換して3五金と打つ形。


 1五歩型を生かして、佐藤康光、早くも攻めた。
 2四銀、6六角、4四角、同角、同歩、1一角、3一金、4四角成とすすむ。
 先手の6六角は2つのねらいがある。2二金と、もう一つは、1三香成、同銀、8四香である。郷田は4四角と角を合わせた。


 こうした攻めが後手の脅威となるのも、先手が「金」を持駒にしているからである。
 図から、郷田は4三金。
 対して佐藤は1一馬。しかし佐藤はあとで、ここは5五馬が良かったと反省している。
 1一馬に、5四銀、1二金、2五銀、同銀、3三桂。


 「2五銀、同銀、3三桂」が郷田の好手順。以下、3六銀に、2八角から攻め合いに突入。
 郷田真隆の勝ち。
 「途中までは指せていた将棋だったが、残念な逆転負け。」と自著に記している。



渡辺明-佐藤康光 2007年 竜王4
 二冠王(棋聖、棋王)の佐藤康光は、2007年、竜王戦に挑戦した。竜王は連覇中の渡辺明で、前年度の竜王戦でもこの二人は闘っているし、この年の佐藤の棋聖戦の防衛戦の相手がこの渡辺だった。3度目のタイトル戦番勝負での激突であった。
 その竜王戦七番勝負の第4局。
 後手番で佐藤、「角交換ダイレクト向かい飛車」。ただしこの場合は9筋は9四歩、9六歩と突き合っている。
 先手の渡辺竜王は、6五角と打たず、そのまま駒組みへ。
 このように居飛車側が6五角を見送った場合、“ふつうの角交換振飛車”の将棋となるのだが、その際に「9五歩型」ならば、それなりの主張が佐藤のほうにあったのだが、この場合はそれがない。


 先手の渡辺は居飛車穴熊に。
 佐藤は5四角、渡辺は6七角と、両者「筋違い角」を打つ展開となった。


 7五歩で、渡辺明の勝ち。7五同歩に、8七角があって、これで後手は勝てない。
 
 竜王戦は4-2で渡辺明の防衛。
 


阿部隆-羽生善治 2007年 棋王挑決
 これは棋王戦の挑戦者決定戦。
 羽生善治が、佐藤流「角交換ダイレクト向かい飛車」を使ってみた。
 6五角に、羽生は新しい手で対応する。ここで7四歩。これを同角ならこの筋違い角を目標に作戦を立てる。しかし当然、先手は4三角成。


 そこで羽生、6四歩。こうやって、次に5二金右とすれば、角が捕獲できる。
 先手の阿部は、この馬を生還させるために、7五歩、同歩、8六歩と突いた。
 これで羽生は歩損を取り戻した。あとは阿部の「馬」と、羽生の「持ち角」とどっちが良いかという勝負となる。


 この図のように組んで、ここで5四角。
 阿部は7八馬と引く。せっかく作った馬なのだからこれは当然としても、羽生のこの構想が素晴らしい。


 そうして、羽生は8五歩。序盤で先手が(馬をたすけるために)8六歩と突いた手を逆用するこの構想。
 以下、4五歩、8六歩、同銀、8七歩、同金、8五歩、7七銀となって、ここから羽生はゆっくりと万全の準備をして、それから攻めに出た。7、8筋の2つの「位」が大きくて、阿部はもうどうしようもなかった。
 羽生善治が勝って、棋王戦の挑戦者に決まった。


 その棋王戦は、佐藤康光と羽生善治(両者二冠王)の間で行われ、3―2で佐藤が 防衛しました。



 さて、今年になってプロの公式戦で急激に増えているという「角交換ダイレクト向かい飛車」。なぜでしょうか?
 これはおそらく、「角交換振飛車」そのものが評価されてきたからだと思います。
 そのきっかけは昨年の夏に行われた「羽生善治-藤井猛」の王位戦七番勝負です。この番勝負は羽生王位が4-1で勝って防衛したのですが、藤井さんの指した「角交換振飛車」のその内容がとても良かった。それまでは、「角交換振飛車」は指す人はいても、いまいち冴えない印象でした。藤井猛の場合は「角交換四間飛車」なのですけど、藤井さんがタイトル戦で羽生さんを相手に優勢の局面をいくつか作って見せたことで、振り飛車の新しい形を探していたプロが飛びついた、そういうことではないかと思います。
 「ダイレクト向かい飛車」の場合も、「角交換四間飛車」とおおまかにいえばその性質は同じですので、やはり藤井さんのタイトル戦での善戦は大きかったのです。
 それと、振り飛車党は、そろそろ「ゴキゲン中飛車」に飽きてきたということもあるのかもしれません。


 さて、最後に、最近の佐藤康光さんの「角交換ダイレクト向かい飛車」の将棋を見てみましょう。


行方尚史-佐藤康光 2013年 王位挑決
 今、王位戦七番勝負が行われています。挑戦者は行方尚史さんですが、その挑戦権を掴んだ佐藤康光との挑戦者決定戦は、佐藤さんの「角交換ダイレクト向かい飛車」でした。
 行方の対応は、図のように角を切って、7五金と打つおなじみの手筋。
 後手番の佐藤、この場合は9筋を突いていない。すると“ふつうの角交換振飛車”となった時、佐藤はこんどは何をいったい主張点とするのか。そうなった場合は、後手は穴熊に囲う作戦なのである。「角交換振飛車+穴熊」を佐藤は優秀と見ている。


 佐藤は1四角と打つ。この角は3六歩取りをねらったものだが、それ自体は簡単に防がれる。佐藤の真の狙いは、他のところにあるのだろう。 
 佐藤は3二角と引いて、それから5四角と活用した。


 7筋から決戦に。
 図以下、7六同金、同角、7四歩、8五桂、7三金、6一玉、6二金、同玉、7三歩成、5一玉、6三と…


 図の4五銀が決め手になった。4四歩、4三角成、同玉、5四銀、同玉、5八飛、4三玉、5二銀、3二玉、4一銀不成、2三玉、3二銀不成、同玉、4三金以下、行方尚史の勝ち。
 行方のタイトル戦初挑戦が決まった。


◇王位戦七番勝負
  羽生善治 3-1 行方尚史   あと1勝で羽生の防衛が決まる



郷田真隆-佐藤康光 2013年
 竜王戦の挑戦者決定戦(三番勝負)への進出を賭けて、重要な一戦。つい最近、8月9日に行われた対局だ。
 後手番佐藤の「角交換ダイレクト向かい飛車」。
 しかしこの対局では、郷田は6五角とは指さなかった。 


 9筋の端歩を突かない場合の佐藤流は、「穴熊」。
 リアルタイムの中継中にははっきりとしなかったが、あとで感想戦の内容を見ると、郷田にいくつかの小さな誤算があって、中盤はやや後手が優勢な将棋になっていたようだ。
 終盤。先手の9五桂に、佐藤は9四銀打。この手が失着で、9四銀なら後手がよかったそうだ。
 つまり後手は「銀」を手持ちにしておくべきだったのだ。9四銀、4一飛、7二金打、3三飛成、5八成銀と進んだとき、3八竜と引く手がある。この時に銀があれば6九銀と打って攻めが続くのだ。だが、「9四銀打」で銀を手離してしまったので、後手はこの順は回避しなければいけない。
 実戦は、9四銀打、4一飛、3九角成、7一飛成、7二金打、8三桂不成、同銀、1一竜、8六歩、同銀、7四桂とすすみ、ここで手番の回った郷田が、8二歩、同金、7一銀から寄せ切った。


 というわけで、竜王戦挑戦者決定戦(三番勝負)は、「森内俊之-郷田真隆」の組み合わせとなりました。その第1局は15日に行われます。楽しみですね。




 以上、新旧の「角交換ダイレクト向かい飛車」を見てきました。両者の間には35年の時間のギャップがあるんですね。
 この「ダイレクト向かい飛車」が紹介されるたびに、「最初に指されたのは2007年の佐藤森内戦で…」と説明されるのですが、少しくらいは大山名人の「ダイレクト向かい飛車」にも触れましょうよ(笑)。

 あと、気づいたことは、今日紹介した佐藤康光さんの「ダイレクト向かい飛車」、最初に指したNHK杯で優勝したときの将棋以外は、全部佐藤さんが負けている。
 この「ダイレクト向かい飛車」、流行ってはいるけれど、実は勝率は悪いのでは、と思ったのですが――実際のところ、どうなのでしょう? 調べる手段がないので、よくわからないのですが。
 佐藤さんがそれでもこれを指し続けているのは、内容的にはわるくないということと、新しい将棋になって、たぶん指していて楽しいのでしょう。




 『内藤大山定跡Ⅰ  内藤国雄の「いきなり、2二角成」戦法
 『内藤大山定跡Ⅱ  大山康晴の 「筋違い角、and 振飛車」』 
 『内藤大山定跡Ⅲ 大山の「角交換振飛車」、そして内藤の王位獲得
 『内藤大山定跡Ⅳ  大山康晴の「角交換ダイレクト向かい飛車」』 
 『内藤大山定跡Ⅴ 「筋違い角戦法」の研究』 
 『内藤大山定跡Ⅵ 燃え尽きた闘将(前)』
 『内藤大山定跡Ⅵ 燃え尽きた闘将(後)
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