はんどろやノート

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内藤大山定跡Ⅴ 「筋違い角戦法」の研究

2013年08月16日 | しょうぎ
 武市三郎『武市流力戦筋違い角の極意』。
 武市三郎さんの「筋違い角戦法」は、初手から「7六歩、3四歩、2二角成、2二同銀、4五角」として、その後「振り飛車」で戦う戦法です。


 今日はこの「筋違い角+振り飛車」について考えたいと思います。

 

内藤国雄-大山康晴 1970年 棋聖3
 1970年の前期棋聖戦第3局でこのような「筋違い角」が現れました。(この将棋はすでに『内藤大山定跡Ⅱ』で採り上げました。)
 ただし、「武市流」と違って、大山康晴名人のこの「筋違い角」は後手番であり、2二角成といきなりの角交換をしたのは先手の内藤国雄棋聖のほうです。


 その将棋は、このような形になりました。図の5五銀が内藤の好手で、これで内藤が主導権を握り、その後もうまく立ち回って勝利。これが内藤さんの、対大山タイトル戦での初勝利でした。



米長邦雄-淡路仁茂 1977年
 十段リーグの一局。当時の十段リーグは定員6名で、予選からの勝ち上がりは2名のみ。リーグ入りするだけで一流と見なされるようなス-パーリーグだった。A級リーグより狭き門ですからね。
 時代は、中原誠と米長邦雄の“米中戦争時代”に突入した頃。(米長の名人初挑戦が1976年。)
 米長邦雄が内藤流の“3手目2二角成”。(米長さんは、「淡路君、今日は振り飛車じゃなくて角換わりを指そう」という強引な誘いだったようです。) 
 すると淡路仁茂、6五角と打って「筋違い角」。そして「四間」に振る。(米長の誘いを断った。)
 さあ、米長はどういう形をつくったか。(俺の誘いを断りやがって…!)


 5五歩~5六銀として、早くも5四歩と突っかけた。
 もし後手淡路が6四歩を突かなかったら、米長は6五歩と2つ目の位を取る予定でいた。
 5四歩に、同歩なら6五歩、同歩、同銀で先手良しが米長の読み。
 淡路は5四同角と取って、5五銀、3二角、6四銀、7二銀、6五歩、同角、6六銀、3二角、7七桂と進む。米長は相手に歩を取らせながら、手得を重ねて駒を前進させていく。


 そしてこういう陣形になった。先手は依然、居玉である。
 ん? これは8七角成とできるが…。淡路はそう指した。先手に8八飛と飛車周りを許して、次に5六角から玉頭攻めをねらわれると困るので、罠と承知で8七角成と飛び込んだ。
 8七角成に、米長の用意していた手は、8四歩、同歩、6五銀。
 次に7六銀で成角を捕獲できる。


 捕獲した。


 取った角を6五角と打つ。プロ的には「先手優勢、これで勝ちは逃さないぞ」というところだが、先手玉も裸同然だし、まだ簡単ではないように思える。
 何せ後手は後に「不倒流」と呼ばれるようになる淡路仁茂である。この時、27歳。


 先手は馬をつくったが、いったん局面は落ち着いた。先手良しとのことだが、歩切れなのが不安である。
 ここから先手は、3四歩、4四金、5一角から二つ目の馬をつくりに行く。
 こうなると後手もおとなしくはしていられない。


 淡路、先手の飛車を捕獲。先手はこれでも優勢なのだろうか。
 いや、たぶんこれも米長の読み筋なのだろう。
 7三飛成、同金、6一歩成、8八飛、7八歩、8九飛成、7三馬、同玉、8五桂打、同香、同桂、8三玉、8四歩、7四玉、7五香、同玉、6六銀、8四玉、7三銀。


 まで、先手米長の勝ち。

 それにしても、素晴らしい米長さんの構想でした。



 さて、ここまでは先手からの“3手目角交換”に対して、後手が「筋違い角+振り飛車」の作戦をとってきた例。
 先の「内藤-大山戦」を見ても、この「米長-淡路戦」にしても、筋違い角を打つと、打たれた相手の方が伸び伸びと“創造性”を発揮して勝っている印象があります。そいうことで「筋違い角は勝ちにくい」とプロでは言われてきたのかもしれませんね。

 アマチュアでは、“3手目2二角成”から、角を換えた先手のほうから「4五角」と打つ「筋違い角」が昔も今もよく見られます。ながれとしては、先手から打つほうが自然と思います。角交換を求めたのは先手のほうなのですから。
 しかしこのタイプの「先手筋違い角戦法」をプロが公式戦で用いたのは武市三郎さんが最初で、1990年のことになります。その将棋は後で見ていきますが、その前に、女流とアマの「筋違い角」を紹介しておきます。



兼田睦美-谷川治恵 1978年
 女流の公式戦の“3手目2二角成”からの「筋違い角」戦法。
 兼田睦美(かねだむつみ)さんは30歳で女流プロをやめて福崎文吾さんの妻として家庭に入られました。
 この対局時は兼田さん19歳。高校選手権の女子の部で3連覇という実績をもってプロ入りしています。
 この将棋は、両者居飛車党なので、相居飛車の将棋となり、勝負は兼田が勝ちました。
 ところで、注意してほしいのは、図の「6六歩」に対しては、ここで後手から「8四角」という手があるということです。6八飛には、「9五角」として、これは飛車角交換、必至です。
 あとでそのように進んだ例を紹介します。



ランディ・バース-林葉直子 1987年
 ランディ・バースの将棋というのが面白いので、ここで採り上げます。林葉直子とのお好み対局です。平手での対局ですが、ふつうに考えて勝てる手合いではありませんが、まあ“お好み”なので。
 バース、“3手目2二角成”。そして「筋違い角」。


 林葉さんの師匠は米長邦雄でしたが(あとで破門になった)、その米長流とちょっと似た感じの仕掛けですね。この場合は、先手に同歩と取らせて、5七角と打つのがねらい。


 馬をつくった。


 バース、右銀を活用して4六銀。
 林葉直子、これを同馬と取って、同歩、3九銀、3八飛、4八銀成、同飛、5八金。


 以下林葉直子の勝ち。
 林葉の一方的な攻勢だったが、ただしバース氏の将棋の腕もなかなかしっかりしているとわかる。というのは、この図から、この後30手以上も頑張るのである。アマ初段はあるかと思われる。



団鬼六-蛸島彰子 1989年
 もう一つ“お好み系”の対局。『近代将棋』の鬼六6番勝負の一局。
 団鬼六さんの「4五角」に、蛸島彰子さんは、6二飛!
 この手が紹介したいので、この将棋を採り上げた。これはどういう意味かというと、「私は振り飛車が指したいんです!」という主張のある手なのだ。「4五角」に、6二銀とか、5二金右と受けると、飛車が横に振れなくなってしまう。
 そこで「6二飛」というわけなのだ。
 この“振り飛車愛”はすごいなあ。 (『蛸ちゃん流中飛車』 『蛸ちゃん流中飛車Ⅱ』)


 こんな将棋に。銀が3一から遠征してきた。
 「筋違い角」の将棋は、こんなふうに、いままであまり見たことのないような形になることが多いのが魅力的だ。


 6筋で本格的な戦いに。6五同銀、6四歩、同金、6五桂。


 ここから、1五角、4三玉、3五桂、5四玉、8四飛、6四歩となって、先手の攻めが続かず、団鬼六さん、投了。


 と、こんな具合に、アマチュアでは大人気の「筋違い角」です。
 しかし、プロではいささか評判が悪い。

 「筋違い角」は、古くは木村義雄や升田幸三が指していたのですが、それは“正式な手続きを踏んで角交換”してからの「筋違い角」でした。その場合、先手も後手もお互いが「角交換将棋を指しましょう」という合意が必要でした。そしてその時代の「筋違い角」は相居飛車です。平手将棋での振り飛車自体、指す人がまだほとんどいませんでしたから。
 ところがこの1970年「内藤-大山戦」から始まった“3手目2二角成”戦術は、そういった“手続き”をすっとばして、いきなり「角交換将棋」に相手を誘い込むことができるのです。「一手」を代償として。
 この無理矢理な感じが、アマっぽいわけですが。
 そして大山名人でさえ、この時に「筋違い角+振飛車」をやって負けていますので、「筋違い角戦法」はことさら印象がわるい。それでプロもやらなかったのでしょう。



 1990年になって、武市三郎さんが、それを始めました。

 武市三郎(たけいちさぶろう)、1954年生まれ、徳島県出身、丸田祐三門下。

武市三郎-先崎学 1990年
 「武市三郎-先崎学戦」です。これが「武市流筋違い戦法」の1号局。


 対して先崎も「筋違い角」を打つ。「相筋違い角」に。


 武市、5六角。
 これを同角は後手が損。先手にすでに一歩を取られているから。
 先崎も7六角と歩を取る。武市、8八飛。
 ところで、なぜ武市は5六と指したのか。角は(6六歩の後に)6七に引きたいのだが、これでは「一手損」ではないか。
 先崎の6五角に対し、とりあえず先手は後手からの4七角成のねらいに対処しなければならない。ところがそのために4八銀などとすると、武市の指したい「振り飛車」にできなくなってしまう。ということで、先崎の6五角には、5六角か、または4八飛しか武市には選択肢がないのである。どちらにしても「一手損」になる。5六角はつまり、「振り飛車にするためにはしかたがない」という手なのだ。


 さあ、ここからどう組むか。


 こうなって、先崎が仕掛けた。6五歩。
 武市は6八飛。
 そこで先崎、4五銀右。銀をぶつける。銀交換になれば5九銀の割打ちもある。
 ところが武市は5七銀と引いた。
 結局、ここでは戦いはまだ始まらなかった。再度駒組み合戦に。


 このような面白い陣形に。
 武市は7六飛と飛車を浮いた。これは7七桂と桂馬の活用を見た手。場合によっては8六歩、同歩、8五歩の仕掛けもある。
 この武市の飛車浮きを見て、先崎は4二の金を、5二→6三→6四と攻めに使ってきた。これがなかなかの好着想で、武市は焦らされた。それで飛車角が抑え込まれそうになり、なんとかしなければいけない。


 先手は飛車と角が抑え込まれている。先手の攻めは「4三と」だが、そのためには後手の3四の銀を動かせたい。それで3六歩。
 先崎のほうはわかりやすい。8七歩成から飛車を取りにいく。


 ついに武市は「4三と」を実現した。だがすでに後手は飛車を取り、その飛車で攻めてきて、角取りになっている。
 こうなってみると、先崎の“空中玉”は良い位置だ。 


 武市の2四金に、先崎は1二玉。 …届かない。
 武市、1五歩。これは先手玉の“詰めろ”を逃れた手だ。
 さあ、先崎はどう仕上げたか。

投了図
 前の図から、2九竜、2八歩、1九竜、2五金、3五桂、同金、2六香、同玉、1七角、2五玉、2八竜まで、172手で先崎学の勝ち。

 これが「武市流筋違い角」1号局。
 敗れはしたが、武市さんはとても楽しかったようです。これ以後も、先崎学との対局で先手番になると、この作戦を用いています。



武市三郎-先崎学 1991年
 先崎さんのほうも、毎回違う工夫をして対応しています。
 この対局では、先手の「4五角」に対して、今度は「8五角」と、こちらに「筋違い角」を打っています。
 そこで武市、7八飛。この手ではもちろん3四角、7六角とお互いに歩を取りあう手もあるわけですが、武市は7八飛と、歩を守る手を指してみました。そうなると先崎のほうも3三銀と歩を取らせないのは当然です。前回とは違う「相筋違い角」の将棋です。
 結果は、先崎の勝ち。



山口英夫-斎田晴子 1993年
 蛸島彰子さんと並んで、女流棋士で「振り飛車が大好き」というタイプなのが、斎田晴子さん。
 山口英夫さんの「筋違い角戦法」に、斎田晴子、この図のように力づくで「四間飛車」に振りました。「相振飛車」です。


 山口さんが積極的に金を進出させていきましたが、しかし、どうもこれは疑問の構想だったようです。
 この後、山口は3六歩~3七桂とし、斎田は5四歩、同歩、同金として戦いが起こりました。


 しかしこの桂交換はよくなかった。これで先手の玉は弱体化してしまった。
 2五同桂、同金、4五歩、同歩、5五金、以下斎田晴子の勝ち。

 この対局は「銀河戦」。これはTV将棋で、非公式戦だった。
 この5カ月後に、中井広恵が公式戦対男性プロ棋士初勝利を上げることになる。
 また、この2年前に、やはり非公式戦の「銀河戦」での対男性棋士からの勝利を林葉直子が記録している。



武市三郎-大平武洋 2002年
 武市さんは振り飛車にするつもりで、角は6七へ引きたい。それで6六歩とするのだが、そうするとここで図のように8四角という手段が生じる。この8四角を最初に指したのはやはり先崎学だった。
 この将棋は「武市三郎-大平武洋戦」だが、8四角、6八飛、9五角と進む。


 こうなって、間接王手飛車で、これは「飛角交換」は避けられない。
 武市さんは「これはしかたがない」と著書の中で述べている。しかたがないとはどういうことかというと、8四角と打たれたら、飛角交換になるけれど、それを受け入れて戦うということだ。
 この順を避けるには、上の図の6六歩の手で、先に8八銀としておけばよいのだが、そうすると別の問題が生じてしまうようで、武市さんはだから6六歩を最善と考えている。(8八銀には、6五角がいやなようだ。上の「武市-先崎戦」を参照のこと。)


 「武市-大平戦」は図のようになった。相手に飛車を持たれていると駒組みがむつかしいが、この将棋は武市が勝利した。
 図の4二金左がよくなかったようだ。大平としては、2二角と打たれても1二飛もあるし大丈夫との読みだったと思うが、武市に3四歩とされ、以下5三銀、4五歩、8一飛という展開は、大平の作戦がチグハグだった。8一飛は“誘いの隙”なのだそうだ。武市はその誘いに乗って7五歩。
 以下、6五歩、同歩、7五歩、2二角、1三香、6六角成。馬で厚みを築いて先手良し。
 そのまま武市三郎の勝ちとなった。


 武市三郎さんのこの「先手筋違い角戦法」の戦績を見てみますと、2002年までは勝率は5割を超えている。武市さんの通算成績は4割ほどなので、5割以上の勝率なら、この戦法はなかなか優秀ということになる。それなら、使わない手はありません。武市さんがこれを得意戦法としてずっと使い続けたのは当然といえます。
 ところが、傾向を見てみると、2003年から急に勝てなくなっています。
 いったいなぜだろうか、と僕なりにその棋譜を調べて考えてみました。「武市流筋違い角」への後手の対応に、2003年とそれ以前とでは何か違いがあるのか。


武市三郎-行方尚史 1998年
 2002年までの、後手の戦い方はバラエティに富んでいます。しかし最も多いのが「5五歩~5四銀型」です。武市さんの本もまずこれをメインに解説をしています。
 こう組んで、後手もなかなかに見える。たしかに後手の陣形は悪くないのですが、これは先手もまたこの戦法の特徴を生かせる形のようです。
 この図の場合、7六の角が間接的に5四銀をにらんでいますね。だから、戦いが起こって6四歩とすれば、最悪でも5四角と切る手があって、序盤で打った筋違い角の使い方に苦労するということにはならないのです。そういう意味で、先手も、“わるくない”。



武市三郎-勝又清和 2003年
 で、2003年以後はこういう陣形(後手)に組むのが主流になってきている。これがどうも「武市流」にとって強敵のようだ。
 5筋の歩を突かないで5四銀と腰掛銀にする。場合によっては4四角と打つ。
 銀が安定していることと、5五歩位取り型にくらべて2手早く組めることが利点である。
 この将棋は、9六角、4二飛、8五歩、9五歩、6九角、7四歩、8八飛、8二飛、7四歩、6三銀、8七角、7四銀、4六歩、同歩、同銀、5四歩、3五歩と全面戦争となり、後手の勝又が勝利している。



鈴木大介-羽生善治 2000年
 「5五歩~5四銀型」よりも、「5四銀5三歩腰掛銀型」のほうが良いのでは?――とプロが考えるきっかけになったのは2000年の「鈴木大介-羽生善治戦」ではないかと思われます。
 鈴木大介、羽生善治を相手に、奇策“武市流筋違い角”で挑んだのですが…。


 後手はまず銀を5四まで出て、4五歩とする。まずこの形をつくる。


 そして羽生善治は、居玉のまま、金銀を前に進めて、2二飛。
 この構想は、もしかすると、前出の1977年「米長-淡路戦」をイメージしているのかもしれない。(「米長-淡路戦」の将棋は著書『米長の将棋6』の中で解説されている。『米長の将棋』は、谷川浩司もこれで勉強したというほどの名著である。)
 ただし、米長邦雄の場合は、5五歩型であった。米長は一歩を犠牲にするかわりに、金銀を効率よく前進させたのだったが。
 また、この2筋に飛車をまわる構想が後手にあってみれば、鈴木大介の3八玉型は危険だった。武市三郎の場合は3八金とすることが多いが、それはこういう場合に前もって備えたものだったわけだ。
 すでに鈴木の作戦負け。
 次に羽生は2筋と4筋で歩を切って、攻めの体制を整えた。


 そして攻めに出る。「居玉」のままである。


 羽生が攻め倒して、勝った。

 指したのが羽生ということもあり、またその勝ち方が鮮やかだったので、プロ棋士の記憶の中にもこの「5四銀5三歩型」が印象に残った。



佐藤大五郎-丸山忠久 1993年
 ただし、“武市流”にたいしての「5四銀5三歩」の腰掛銀型は、羽生さんが最初に指したということではありません。たとえばこれは1993年の将棋ですが、このように丸山忠久さんがすでに指していますね。
 羽生さんの採用をきっかけに、それがクローズアップされてきたということです。



武市三郎-安西勝一 1992年  
 「筋違い角戦法」の将棋の魅力は、相手の対応がいろいろあって個性が出て楽しい、というところにある。
 最後にまた、タイプの違う武市流対策を紹介しよう。
 安西勝一さんの将棋だが、安西さんは7三銀としておいて、それから飛車を4筋に。
 7三銀型をみて、相手が飛車を振ってくると予測した武市は、振り飛車にせず、玉を左に囲った。



 安西は、4筋で歩を手にして、結局飛車は下段に引いて8一へとまわり、相手の玉頭から仕掛けた。
 図で先手の武市は8四歩としたが、安西、5六歩。これを同角なら5五銀、同銀なら3九角ということだろう。武市は8五銀と桂馬をとった。
 以下、5七歩成、同金、3九角、5八飛、4七歩、5六角、4八歩成、6八飛、4六歩…


 こういう将棋は結局、玉頭の戦いになる。
 3八馬、5五桂、3九馬、6七桂成、同金右、6九飛、7九桂、5八と…
 後手安西の勝ち。



 なお、初手から「7六歩、3四歩、2二角成、2二同銀、4五角」の指し方は、やはり江戸時代から指されているようです。江戸時代の『定跡書』の中に記されていることが確認できました。





 僕も、たまにですが「筋違い角」をやることがあります。僕の場合は、この図のような形を目指して組んでいます。




 『内藤大山定跡Ⅰ  内藤国雄の「いきなり、2二角成」戦法
 『内藤大山定跡Ⅱ  大山康晴の 「筋違い角、and 振飛車」』 
 『内藤大山定跡Ⅲ 大山の「角交換振飛車」、そして内藤の王位獲得
 『内藤大山定跡Ⅳ  大山康晴の「角交換ダイレクト向かい飛車」』 
 『内藤大山定跡Ⅴ 「筋違い角戦法」の研究』 
 『内藤大山定跡Ⅵ 燃え尽きた闘将(前)』
 『内藤大山定跡Ⅵ 燃え尽きた闘将(後)
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