はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

パルミラ遺跡

2007年11月29日 | はなし
 竜王戦第5局は佐藤勝ち。強烈な渡辺の攻めをかいくぐって佐藤玉が入玉! 観戦していて「これはもう渡辺防衛だ」と思ったけどな。あれを凌ぐとは…不調ながらもやっぱヤスミツだな~。
 渡辺明 3-2 佐藤康光


 パルミラ遺跡はシリア国のシリア砂漠にあります。パルミラは2000年ほど前に栄えていました。
 マルコ・ポーロがシルクロードを渡ったのは13世紀ですが、それよりはるか昔から東西の交流はありました。そのシルクロードを通じて、中国の文化は西へと流れメソポタミア(現在のイラク)へと行き着く。ここにはインド・インダス文明からの文化・商品も集まります。その富を地中海に持って行けば、商売になるわけで、そのメソポタミアと地中海の中間にあったのがシリア砂漠と「都市パルミラ」です。
 この都が栄えたのは、そこに「エフカの泉」という豊富な水があったから。パルミラの首長は、通過する隊商から通行税をとりました。大もうけです。運ばれる商品は、木綿、絹、染料、香料、オリーブ油など。パルミラの神殿は紀元前44年に造られたといいます。
 パルミラは、東のペルシャ、西のローマ帝国にはさまれ、中立を守っていましたが、3世紀にペルシャが攻め込んで来たました。パルミラはローマ帝国と外交をすすめつつペルシャと勇敢に闘いました。ところがそこで頼りになるパルミラの王オダイナト(ちいさい耳の人という意味)が、身内に暗殺されてしまう。それを受け継いだのが、王オダイナトの妻ゼノビアでした。
 ゼノビアはクレオパトラと並ぶほどの美貌の持ち主だったそうです。それだけじゃない、野心も持っていました。ゼノビアは、ペルシャと和解して、なんと、混乱の中にあったローマ帝国に「チャンス!」とみて戦いを挑んだのです! まず、エジプトを奪取しました。そうして次にカッパドキア(現在のトルコの地)に軍隊を送り占拠しました。
 ところが、ローマ帝国にアウレリアヌス帝が現われて、一気にゼノビア軍を壊滅させてしまいます。パルミラ帝国の栄華はここで終わりました。

 このシリアの砂漠には、現在はイラクと地中海とを結ぶ石油パイプラインが走っています。イラクとアメリカとの湾岸戦争時には、イラクの行動(クウェート侵攻)に反対してシリアが送油を停止したそうです。今はまた再開されています。

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