はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

欲しいなら値切るぞなもし。

2008年10月08日 | まんが
 ニャンコ先生は、語尾に「○○○ぞなもし。」とつける。 松山弁である。
 四国松山(愛媛県)出身の猫なのだ。年齢はわからない。(いくつだろう?)


 ニャンコ先生とは、もちろん、みんな知っている『いなかっぺ大将』のキャラクターの、あの茶色のしま猫のお方である。 『いなかっぺ大将』は、天童よしみの歌う主題歌のTVアニメが有名だが、僕は川崎のぼる(『巨人の星』が有名です)の描いた原作の漫画版を読んでいて、それが大好きだった。
 この漫画の主人公の風大左ェ門(かぜだいざえもん)は青森に住む田舎のこどもで、柔道が強い。井の中の蛙(かわず)ではいかんと、柔道修行の為に東京へでてきた。そして内弟子生活がはじまったが、大左ェ門は、まず柔道の「受け身」に悩んだ。どうしたらうまく「受け身」ができるのか…。
 その時、目の前で、猫が見事に、くるくると回って地面に立つところを見た。
 「これだ!」
 猫に「受け身」を教わろう! 彼は「猫飯」を用意して、猫をおびき寄せる。「猫飯」のいい香りにつられてやって来た猫。猫をつかまえようと飛びかかる大左ェ門。 「なにするんだ!」と(猫語で)わめく猫。じつはこうこうこういうわけで、柔道の「受け身」を練習しているのだが、どうやったらそんなにうまく「受け身」ができるのか教えてほしい、とこれまた猫語で頼む大左ェ門。もともと青森の田舎でいろんな動物達と暮らしていた大左ェ門は、猫語も話せるのだ。
 だが、マンガでは「ニャーゴ、ニャーゴ、フンギー」などと擬音のみ。
 ここで、作者川崎のぼるが登場して、「このまま猫語では読者がさっぱりわからないでしょうから、ここからは人間語になおして書きます」と説明が入る。この「川崎のぼる」の自画像があまりに汚いひどい顔だったのが、こどもの僕にはオオウケで爆笑だった。
 その「猫」というのがニャンコ先生だった。そのニャンコ先生の猫語は、「松山弁」だった。僕はそれを読んで、「猫語にも方言がある」というのが、とてもおかしかった。
 こういう出会いがあって、ニャンコ先生は、風大左ェ門の柔道の師匠になった。二人で練習にはげんで会得した「受け身」技には、「キャット空中3回転」と名をつけて呼んだ。
 

 僕はこどもの時、のどの炎症をよく起こした。扁桃腺の炎症とか喉頭炎とかそのときどきで理由は違っていたが、地元には専門の耳鼻咽喉科がなかったので、鉄道で片道1時間ほどかけて、「街」の耳鼻科に通うことになった。小学校を午後から早引けして、一人でディーゼルカーに乗ってゴトゴト揺られて通うのだが、けっこうその時間が僕は好きだった。自然と駅の名前もすべておぼえた。その体験をきっかけに、もしも僕が「鉄ちゃん」(鉄道マニアのこと)になったとしてもそれは自然の成り行きといえた。(実際はそうはならなかったが。) 
 治療は、看護婦さんに鼻やのどを洗ってもらい、それから医者の先生に診てもらい薬をつけてもらう。(手術をしたこともある。) 待合室で順番を待つ時間は、そこに置いてある漫画雑誌などを読むのだが、看護婦さんの趣味で婦人雑誌か少女漫画しかないので、僕はそれを読んでいた。『アタックNO.1』(浦野千賀子作)の絵の大きな瞳にくらくらした。
 治療が終わって帰るまでに、列車の出発の時刻まで1時間くらいあいていた。その時間がとてもうれしかった。なにしろ「街」には、田舎町にはない店があって、街を見て歩くだけでとても楽しかったのだ。商店街にはなんと、屋根(アーケード)がある。お茶の専門店の前を通るといい香りがする。パンの専門店もあるし、スポーツ用品店や文房具店の品数も豊富だし、ずっと歩いて奥に行けば映画館もあった。こどもには理解できない謎の店もある。2階のある大きな本屋もあるし、小さな本屋もある。
 ある日、小さな本屋のほうで、『いなかっぺ大将』を見つけた。全部で3冊あった。そのうちの一部は、すでに雑誌で読んでいたが、僕はその漫画を全部読みたくなった。「買おうか…」と迷った。しかし、3冊全部買うには、お金が足らない。いや、なんとかそれだけのお金は足りたのだが、それを使ってしまうと帰れなくなる。列車の切符代なのだ。しかも、タイミング悪く、その日は、治療の終了日なのであった。(このあたり、神様のなんともにくい演出である。) もう、いつこの「街」に来る機会に恵まれるかわからない。電車賃をなんとかならないかとか、いろいろ考えてみた。犯罪(キセル、万引き)をおかすわけにはいかないし、お金を借りるアテはないし、やっぱり2冊だけ買ってかえるしかないなあ…。しかし、そうすると、後で残りの1冊を僕は読みたくなって、それはきっとたまらない気分だろう。自分はそれを我慢できるだろうか。いやきっと、我慢できないだろう、そう思った。じゃあどうする? うーんどうする… と、いくら悩んでもしかし答えはでない。 やがて列車の時刻がせまってきた。
 あれこれ悩んで、僕は、決断した。 「これしかない。」と。
 値切ろう、と思ったのである。
 本屋のおじさんにわけを話した。 これ(『いなかっぺ大将』)を3冊とも欲しいのだが、自分はお金をこれだけしか持っていない。どうしても欲しいのだ。帰りの切符代がいくらいくら必要なので、残りのお金はこれしかない。僕は○○まで帰らなければならない。今度いつ来れるかわからない。だから、このお金で3冊、売ってくれませんか、どうしても欲しいのです、と。
 本屋のおやじは、しばらく(10分くらいか)考えていた。僕はじっと待っていた。やがて、ついに、その値段で『いなかっぺ大将』全3巻を売ってくれた。
 僕は、やりとげたのだ。
 
 僕は、「値切る」という交渉がニガテだ。それは生まれつきの性格のようで、心のどこかに(なぜだか)お金のことをぐだぐだ言うのは男らしくなくて恥ずかしい、というのがある。この感覚をどうして持っているのか、自分でもわからないのだが、これは親ゆずりではないようなのだ。 だいたい僕は、欲しい「モノ」というものが、少ない。これはどうも、僕の欠点ではないか、生命力が弱いからではないか、と日頃から思っている。(ブツヨクが少ない、とみれば美徳でもあるのだが。)
 つまるところ、押しの弱い性質なのだ。
 そんな僕が、「どうしても欲しい」と、顔見知りでもない本屋のおやじに、やったこともない値切り交渉をして手に入れたのが、『いなかっぺ大将』全3巻というわけである。
 あの本屋は古本屋ではない。本というものは、「定価」が決まっていて、値切るものではない。それを、値切った。どうしても欲しかったから。あれは、うん、よくがんばったなあ、と振り返って思うのである。

 その3冊の漫画本、それが、僕が自分のこずかいで買った、はじめての漫画単行本である。


 僕にとって、「猫」というイメージは、「生命力」を意味しているのかもしれない。「猫」を思い出すというのは、どこかに置き忘れてきそうになっている「生命力」の大切な一部を、逃がしてはいけないよ、取り戻せよ、ということではないのか。


 ニャンコ先生と大ちゃん(風大左ェ門)は、同じ田舎者同士ということもあってか、大の仲よしになった。笑うことも、くやしがることも、ほとんど一心同体だ。
 それにしても、川崎のぼる氏のマンガの描き方は個性的だ。いろんなものが「ぷくぷく」している。ニャンコ先生も、小学生のはずの大左ェ門も、中年メタボ体型なのが面白い。
 TVアニメ版『いなかっぺ大将』は、その最終回にぶったまげた。青森の幼馴染のハナちゃん、東京のキクちゃん、その二人と同時に結婚してしまうのである!
 漫画版は、といえば、こっちは連載終盤になって思い出したように柔道に打ちこみ、海辺の強化合宿を行い、「波返し」だったかそういう名の必殺技を編み出したりしている。知らない人が多いと思うが。
 西一(にしはじめ)も忘られぬキャラクターだ。こっちは関西弁。あるお笑い芸人が「どう見ても大左ェ門より西一のほうがモテるでしょ!」と言っていたが、そうかもしれないなあ、と僕もその時には思った。あの体型にふんどしじゃあねえ。(マンガだけど。) けれど大ちゃんとニャンコ先生の、明るいパワーには、やっぱり西一も吹き飛んでしまうのだ。


 「ぞなもし。」は、彼、ニャンコ先生の故郷である四国松山(愛媛県)の田舎言葉である。
 僕には松山市出身の友人がいたが、彼にむかし、「松山では‘ぞなもし’と言うんか?」と笑いながら聞いたことがある。すると友人「言わんわ! あれは昔の言葉や。漱石のせいや!」と過剰に反応して言った。(松山弁は、関西弁に似ていた印象がある。)
 ご存知のように、夏目漱石『坊ちゃん』は松山を舞台にした小説で、その中で「ぞなもし。」を登場人物が使うのだ。それで「ぞなもし。」は、全国的に知られる言葉となった。『いなかっぺ大将』を描いた川崎のぼるも、漱石ファンだったのだろうか。
 『坊ちゃん』は、東京へ住んでいる若者が、教師として松山へ赴任して、いろいろあって、そしてまた東京へ帰るまでの物語である。 (つまり『いなかっぺ大将』とは逆パターン。)
 夏目漱石は東京の東大予備門で、伊予(愛媛)松山出身の正岡子規と同窓になった(1889年)。二人は共通の趣味である「寄席」を通じて親しくなったそうである。そういう縁があって、漱石は愛媛の松山へ教師として赴任した(1895年)。 その時の体験をベースに、ずっと後に漱石は小説『坊ちゃん』を書いたのだ(1906年)。 もちろん、『坊ちゃん』の内容は基本的にフィクションであるが。


 「しかし今どきの女子(おなご)は、昔と違うて油断ができんけれ、お気をおつけたがええぞなもし」
   (夏目漱石 『坊ちゃん』)


 「~ぞなもし。」という愛媛人に会ったこともないが、「~だす。」という青森人にも会ったことないなあ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« これが、光速の寄せだ! F... | トップ | 子規(ほととぎす) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

まんが」カテゴリの最新記事