はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

終盤探検隊 part55 ≪亜空間の旅≫

2015年10月26日 | しょうぎ
≪月3二歩図≫
 次の一手は、「3二歩」。 同玉と取らせて、それから4二竜、同玉、7二飛が狙い。
 だが、これで後手玉が詰むわけではない。どうやって、先手はこれを勝つというのか――?


    [芭蕉の句]
  名月の花かと見えて綿畠
  錠明けて月さし入れよ浮見堂
  春もやや気色ととのふ月と梅
                    (松尾芭蕉作)


 松尾芭蕉の生きた時代、1644年~1694年、将棋界はどういう時代だったかというと、名人は二世名人が大橋宗古(1634~)、三世名人が伊藤宗看(1654年~)、四世名人が五代大橋宗桂(1691年~)の時代になる。

 伊藤宗看で有名なのは、檜垣是安との、二番勝負で、「檜垣是安、吐血の一戦」と呼ばれる一局がある。これは名人宗看の香落ち、角落ちの二番勝負で、香落ち番を名人が負け、しかし角落ち番は名人の宗看が勝ったという。もちろん駒を落としたのは名人のほうである。一説には、この角落ち戦を敗れ、檜垣是安は「吐血」して、死んだとか。(実際には、どうやら死んでいないらしい)
 しかし実際のところ、この檜垣是安は相当に強い人だったようで、名人と「平手」の手合いが正当な評価という見かたが多い。

 「御城将棋」の催しが毎年11月の17日に開かれるようになったのがこの頃(1682年か)である。

 芭蕉が上の俳句を詠んだのは、晩年で、「元禄」の時代であったが、その頃に大橋本家の五代目大橋宗桂が四世名人を襲った。
 この五代大橋宗桂、実は伊藤宗看の実子で、血が絶えて廃嫡になりそうな大橋本家に、自分の将棋の強い息子を養子にと差し出したのであった。
 この五代宗桂がどれほどの強さだったのか、よくわからない。その時代に“好敵手”がいなかったせいか、その強さを示す棋譜があまり残っていないのである。
 だが、花村元司は、『将棋大系第4巻』の中で、この人の才能をその残された少ない棋譜によって高く評価している。五代宗桂、二代伊藤宗印(五世名人、伊藤家二代目)、三代大橋宗与(大橋分家三代目)と、この時代の3人の「才能」では、五代宗桂を一番としている。この三人では、一番攻撃的な棋風だったようだ。花村の好みに合っていたということかと思われる。
 また、『五代宗桂日記』などの書物を残している。

 元禄の時代(1690年頃)、次の名人を決める戦いを行っていたのが、二代伊藤宗印と三代大橋宗与であった。
 伊藤宗印は前の名を鶴田幻庵という。伊藤宗看は自分の息子を大橋家に養子に差し出し、鶴田幻庵を伊藤家の養子に迎えた。この人は、年齢がわかっていないが、おそらくは次期名人争いのライバル大橋分家三代宗与より、20歳くらい若かっただろうと見られている。結局、この元禄時代の宗印-宗与の闘いを、宗印が勝ち抜き、五世名人となる。
 しかし、その若い宗印のほうが先に死んでしまったので、三代宗与も結局次の六世名人になったのであった。その時宗与は76歳(数え年)であり、大橋分家初の名人の誕生となった。

 伊藤家二代目の宗印(鶴田幻庵)が名人になったのは1713年だが、それよりも前、1709年10月からのおよそ1年と4カ月のあいだに、息子(長男)の印達と、大橋本家の養子宗銀との間で、またしても“次期名人を決める闘い”が行われていた。ともに10代の少年であった。その勝負は57番行われ、「宗銀・印達五十七番勝負」として有名である。勝ったのは伊藤家の天才児・印達であったが、数年後、この二人はどちらも病気で死んでしまった。

 なお、宗印(鶴田幻庵)の“将棋の才能”は、どういうわけかその“血”に継がれていくようで、長男の印達も才能豊かであったが、二男は三代宗看として家を継ぎ後に七世名人(江戸時代最年少名人)となり、五男は看寿(詰将棋の神本『将棋図巧』の作者である)。そして三男宗寿も八段の力があり、大橋本家の養子になって「宗桂」として大橋家八代目を継ぎ、その息子は後に八世名人になった九代大橋宗桂である。 

図1
 「4二銀」と打ったところ。これで「先手が勝ち」になるのかどうか、それがテーマ。
 これに対し、後手<R>同金を調べている。
 4二同金、3一角、同玉、5一竜、4一銀打、同桂成、同銀(次の図)

図2
 “これで後手良し”と、以前(part32)では結論したが、ここで新たな手が発見され、「先手勝ち」へと、結果が“逆転”したのである。

 その“次の一手”は、「3二歩」。

図3
 上の4一同銀の図を、ソフト「激指13」にかけると、その瞬間(考慮時間0)の評価値は[-1818(後手優勢)]で、「最善手=4二竜」としている。まったく先手に勝ち目はない値だ。
 それが考慮30秒後だと、「最善手=3二歩」に変わり、その評価値は[-750]である。さすが「激指」、30秒で「3二歩が最善手」と見つけている。が、それでもまだ「後手持ち」なのである。
 考慮1分で、「最善手=3二歩」のまま、評価値は[-609]になった。
 考慮3分、ここで「最善手=3二歩」の評価値がついにプラスに転じ、[+289]となった。
 そのあとは、ずっと同じ[+289]である。

 はじめの調査の時、我々はこの「3二歩」を逃したのだ。ソフトに「3分」ほどしっかり調べさせていたら、その時に「3二歩」にたどりついていたことだろう。我々には「この図では勝てそうにない」という先入観がその時あったのかもしれない。

 しかし「激指」も、10分考えても、[+289(互角)]のままだった。それほど、まだはっきりしない形勢ということだ。

 この「3二歩」に、2二玉だと3一角で詰むので、「同玉」が本筋となる。
 変化として、3二同金があるが―――

変化3二金図1
 3二歩を同金と取ると、4一飛成、同玉、6一飛と打って、後手玉が詰む。
 図は6一飛に、“5一桂合”の場合だが(他の合駒だと、5二銀、同玉、6三角から詰む)、5二銀、同玉、5三銀、同玉、7五角(次の図)

変化3二金図2
 6四歩合に、同飛成、5二玉、5三竜以下の“詰み”。

図4
 というわけで、「3二同玉」が正着なのだが、そこで「4二竜」と竜を切る。
 この「4二竜」が先手の指したかった手で、以下、「同玉、7二飛、5二飛」と進むのだが、この「4二竜」を、“同銀”の場合も考えておく必要がある。

図5
 4二竜に、同銀の時に、「3二玉」の位置だと詰む、しかし「3一玉」のままだと詰まない、という差ができる。(4二竜、同銀、3二歩は、“手順前後”というミスで、3二歩に2二玉で詰まなくなる)
 そういうわけで、「3二歩、同玉」として、それから「4二竜」が正解となるわけなのだ。
 「3二歩」には、そういう意味があった。

 4二同銀だと詰む。詰み手順は、4一銀、同玉、6一飛、5一銀合、5二金(次の図)

変化4二同銀図
 「5一銀合」としたのは、5二金に、3一玉と逃げた時の、4二金、同玉、6二飛成からの詰み筋をなくした意味だが、「銀合」でも、5二金、3一玉に、4一飛成、同銀、3二歩以下、やはり詰む。
 図から、5二同玉は、もちろん、6三角から詰み。
 「5一桂合」の場合にも、5二金、同玉、6三角、同桂、6二金、5三玉、6三金以下詰む。

図6
 「7二飛」には、「5二飛」の合いしかない。
 ヨコに利かない駒の合いだと、5一銀、同玉、6二金、4二玉、5二金、同銀、5一角以下、詰んでしまう。そして、後手の持っている“ヨコに利く駒”は「飛」のみ。
 よって「5二飛」だが、そこで先手「6四角」。(この角は6四の限定打で、7五だと先手勝てない)
 この角打ちの王手には、「5三銀」。 これしかない。

図7
 「6四角」に、「5三銀」。 銀合いが最善の応手で、これで後手玉に詰みはない。

 「6四角」に、“5三歩合”の場合は、後手玉が詰んでしまう。
 その詰め手順を示しておくと、5二飛成、同銀、5一銀、同玉、6二金(次の図)

変化5三歩図
 6二同玉は、7三角成から簡単(このときに、5三の歩が「銀」だと不詰。また、先手角の位置が「6四」でなかったら7三に成れないので詰まなくなる。)
 4二玉には、5二金、同玉、6三銀、4一玉、5一飛、3二玉、3一金以下。

図8
 「5三銀合」で後手玉に詰みはない。
 が、それでも先手が勝てるのだ。 「5四銀」が継続手。
 飛と銀とを受けに使わせたので、後手の持ち駒は「角桂桂」だが、これだと先手玉にも詰みはない。なので、5四銀が先手で入るのである。
 しかもこの「5四銀」は、5三角成(銀成)と、4三銀成と、2つの攻めがあるので、後手は受けがないのだ!
 したがって、後手はここで困っている。
 7二飛も、5三角成以下詰み。
 6四銀も、4三銀成、3一玉、3二歩、同銀、4二金以下の詰み。

 こうした“詰み”に、先手の3四玉が、攻め駒として働いている。
 だから後手はここで、3三歩か、または2五角として、先手の玉を移動させて、それから6四銀と角を取るという非常手段に出ることになる。
 「2五角」のほうが優ると思うので、そちらで進めていこう。

図9
 「2五角」には、先手は「2三玉」。(同玉だと、後手が良くなりそう)
 「1四角」に「1二玉」。

図10
 先手は手順に入玉できた。
 後手玉は元々穴熊玉だったので、香車が「1二」に上がっていた。だから「1二玉」とここに入玉ができたわけで、それを考えると、実に面白いことだ。
 後手は自玉の安全のため、先手玉を「1二」に追いやったのだが、先手からすれば、“突然に入玉の道が開け、気がつくと入玉していた”という感じだ。

 ここで後手は「6四銀」と角を取る。 以下、5二飛成、同銀、2二飛、3二飛(次の図)


図11
 このあたりの手は、必然ではなく、有効と思われる手を選んでみた。
 3二同飛成、同角、2二飛、2三角打、同飛成、同角、同玉、2四飛(次の図)

図12
 この一連の手順は、後手がなんとか頑張って、“5四の目障りな先手の銀”を除去するための苦心の手順だ。この手順中、2三角打に1一玉もあるが、そこで2四飛と打たれると、まだたいへん。素直に2三同飛成で駒得するほうが優ると思われるので、そちらを選んだ。
 図の「2四飛」は、取ると2二飛と打たれ、それは先手まずいので、「1二玉」と再突入する。
 以下、5四飛、4五角、5五飛、2三角成、5三玉、4五金(次の図)が予想される。

図13
 こんな感じで、「先手優勢」がどうやら明らかになってきた。

 終盤の勉強のために、もう少し先まで見てみよう。
 ここから後手が頑張るとすると、(d)3二銀と、(e)4五同飛が考えられる。

 (d)3二銀だと、5四香、6三玉、7三歩成、同玉、3二馬、4五飛、5二香成、3九飛、2一馬(次の図)

図14
 この場合、桂馬を入手したのが大きい。次に6六桂がある。
 だから5九飛成の余裕はなく、後手は「3一金」と迫る。
 これには、「同馬」で、以下、「同飛成、2二金」(次の図)

図15
 これも逃げると、6六桂があるので、「同竜」として、以下、「同玉、4四角、3三歩、7四玉、5四角」(次の図)

図16
 先手優勢。 図以下、2五飛には、3一玉でよい。


図17
 (e)4五同飛(図)の変化。
 以下、同馬、5四銀、2三馬、2五飛、3一角(次の図)

図18
 この「3一角」が好手で、後手は対応が難しい。4二桂合には、3二金、5一金、2二飛、のように攻めていく。
 「3一角」に、「6三玉」には、「7三歩成、同銀、7四歩」(次の図) 

図19
 以下は、5三歩、7三歩成、同玉、7一飛となりそうだが、これも先手優勢である。

図20
 3一角と打たれる前に、「3一歩」としてみたのがこの図。(≪亜空間≫の将棋は何度でもやり直しがきく)
 これには、先手「2一玉」(桂馬の入手)とし、「3二金」に、「1二馬」。
 続いて、「4五桂」(先手の馬の利きを止めて入玉の準備)に、「3三歩、同金、3九香、3七桂打、7三歩成」(次の図)

図21
 これを同銀は5一角(両取り)。よって、後手は「4四玉」とする。
 そこで「2二角」と打つ。これで後手、動きが取りにくい。
 「3二歩」に、「3四歩」(次の図)

図22
 以下予想されるのは、5五玉、3三歩成、4四歩、5一飛、という手順。先手は三枚の大駒がよく働きそうだ。
 先手優勢。先手の持駒が増えそうなので、後手玉の入玉は、阻止できる。


 こんな感じの展開になる。「先手勝ちである。


≪4二銀図≫
 この〔十一〕4二銀に対する後手の次の手は、<R>3一歩、<S>3三銀打、<T>4二同金とあって、どれも有力。
 <R>3一歩
 <S>3三銀打
 <T>4二同金  → 先手勝ち

 <T>4二同金は、「後手勝ち」だったのが、「先手勝ち」に、変わった!
 あとの2つは、まだ確定はしていない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 終盤探検隊 part54 ≪亜空... | トップ | 終盤探検隊 part56 ≪亜空... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

しょうぎ」カテゴリの最新記事