明けましておめでとうございます。
元日は津和野に行きました。夜のうちに10cmほどの雪が積もり、でも雪は止んでいたので、ディーゼルに乗って津和野へ。車内には、「鉄チャン」らしき人たちが何人かいて、たいていは一人で来ていて、でもなんかしあわせそうでした(笑)。 SLに雪景色とあらば、そりゃあ…ネ。 津和野駅には、SLが自分の出番を待っていました。
僕が津和野駅を出ると同時に、止んでいた雪がどどどと降り始めました。どうしようかなあ(神社まで20分くらい歩かねばならない)と思いながら、観光案内所で地図をみると、安野光雅美術館がすぐ駅前にあるではありませんか。この美術館がオープンしたのは知っていたのですが、元日に開いているかどうかはわからないし、場所も確認していなかったのです。こんな好都合の場所にあって、開館しているなら、これは当然寄るべきところ。
中に入ってみると、これがとてもいいのです。中庭があって、そこをぐるりと廻るような構造なのですが、安野さんの小学校時代のような教室の部屋もつくられていて、たくさんの大きな窓があります。その窓からは中庭にどかどかと(音はしませんが)降る雪が見えます。
安野光雅氏は津和野の生まれなのです。
美術館のこの日の特集は安野光雅さんのオランダの風景画でした。安野さんのオランダの画集は図書館から借りてすでに見たことがありますが、僕はこのブログで最近ずいぶんオランダのことを書いていますし、また新鮮な目でこれらの原画を眺めることができました。たとえばアーネム(アルンヘム)の森を描いたものがあります。安野さんによれば、この街は「どこまでも森」なのだそうです。ここは、大戦時オードリー・ヘプバーンが住んでいて戦場になったことをブログ記事に書きました。
また、安野光雅が絵本作家としてデビューし、世界で評判になった『ふしぎなえ』は、画家エッシャーの絵との出会いが大きく影響しているそうですが、そのエッシャーの生まれたところもオランダで、安野さんはそこにもスケッチに行っています。レワールデンというところで、そこで生まれたエッシャーはその後4歳のときにアルンヘムへと移っています。
安野光雅美術館の中には安野さんの画集等を観ることのできる図書館がありました。僕はそこで、『スイスの谷』という画集を開いて1ページずつ観ました。このごろ、僕はスイスを中心とする欧州のアルプス地方が妙に気になるのです。前日、大晦日の夜に、僕は『アルプスの少女ハイジ』(ヨハンナ・シュピーリ著)を読んだのでした。『スイスの谷』の中で安野さんは、『アルプス登攀記』という本を紹介していました。これも読んでみようと思いました。
安野光雅美術館を出るときにもやはり雪はどかどか降っていた。守衛さんに、傘をどこかで売っていないかと聞いてみると、駅前の観光協会で傘を貸してくれるとわかったので、それを借りて神社にお参りに行った。
なつかしい津和野の街を歩いていると、雪道を歩くのがだんだんたのしくなってきた。
津和野の神社は、太鼓谷稲荷神社という。祭神は宇迦之御魂大神(穀物の神様)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二神で、どちらも女の神様である。
↑これは津和野のマリア教会 手前は鯉の堀(残念ながら鯉は写っていない)
喫茶店でコーヒーを飲んで、その後、まだ降り続く雪の中を歩いて、森鴎外旧居にまで行って来た。ここは駅から遠いのだが、文豪になど以前はまったく興味もわかなかった僕は、これまで何度も津和野に来ながらも、この鴎外旧居には行ったことがなかったのだ。 鴎外といえば、『舞姫』か。僕はまだ読んでいないが、これはドイツに留学した日本人(鴎外自身?)とドイツの美少女との恋愛を描いた話らしい。
津和野を後にすると、雪は止んだ。
雪道を歩くのがたのしいので、家に帰る前に、ご先祖様の墓に寄っていくことにした。前日にも行ったのだが、前日は雪が積もっていなかった。墓地への道は、午前中に一台車が通ったらしく轍があったが、その上に雪が積もり、人の足跡はまるでなかった。車の轍の間のバージンスノーをあるいた。雪が泣く。「きっくきっくきっく…」、そう、『雪渡り』(宮沢賢治)の、アレである。だれもいない正月の墓地は、白い帽子と白いドレスの「墓美人」でいっぱいだ。
かえる途中、僕のうしろを、SLが汽笛を鳴らし、走って行った。
なんだか特別な一日のように思えました。
←SL (雪のためか予定時刻を遅れて走っていたようだ)
それにしても僕の携帯による写真はどれもピンボケだ。使い方がきっと間違っている。
元日は津和野に行きました。夜のうちに10cmほどの雪が積もり、でも雪は止んでいたので、ディーゼルに乗って津和野へ。車内には、「鉄チャン」らしき人たちが何人かいて、たいていは一人で来ていて、でもなんかしあわせそうでした(笑)。 SLに雪景色とあらば、そりゃあ…ネ。 津和野駅には、SLが自分の出番を待っていました。
僕が津和野駅を出ると同時に、止んでいた雪がどどどと降り始めました。どうしようかなあ(神社まで20分くらい歩かねばならない)と思いながら、観光案内所で地図をみると、安野光雅美術館がすぐ駅前にあるではありませんか。この美術館がオープンしたのは知っていたのですが、元日に開いているかどうかはわからないし、場所も確認していなかったのです。こんな好都合の場所にあって、開館しているなら、これは当然寄るべきところ。
中に入ってみると、これがとてもいいのです。中庭があって、そこをぐるりと廻るような構造なのですが、安野さんの小学校時代のような教室の部屋もつくられていて、たくさんの大きな窓があります。その窓からは中庭にどかどかと(音はしませんが)降る雪が見えます。
安野光雅氏は津和野の生まれなのです。
美術館のこの日の特集は安野光雅さんのオランダの風景画でした。安野さんのオランダの画集は図書館から借りてすでに見たことがありますが、僕はこのブログで最近ずいぶんオランダのことを書いていますし、また新鮮な目でこれらの原画を眺めることができました。たとえばアーネム(アルンヘム)の森を描いたものがあります。安野さんによれば、この街は「どこまでも森」なのだそうです。ここは、大戦時オードリー・ヘプバーンが住んでいて戦場になったことをブログ記事に書きました。
また、安野光雅が絵本作家としてデビューし、世界で評判になった『ふしぎなえ』は、画家エッシャーの絵との出会いが大きく影響しているそうですが、そのエッシャーの生まれたところもオランダで、安野さんはそこにもスケッチに行っています。レワールデンというところで、そこで生まれたエッシャーはその後4歳のときにアルンヘムへと移っています。
安野光雅美術館の中には安野さんの画集等を観ることのできる図書館がありました。僕はそこで、『スイスの谷』という画集を開いて1ページずつ観ました。このごろ、僕はスイスを中心とする欧州のアルプス地方が妙に気になるのです。前日、大晦日の夜に、僕は『アルプスの少女ハイジ』(ヨハンナ・シュピーリ著)を読んだのでした。『スイスの谷』の中で安野さんは、『アルプス登攀記』という本を紹介していました。これも読んでみようと思いました。
安野光雅美術館を出るときにもやはり雪はどかどか降っていた。守衛さんに、傘をどこかで売っていないかと聞いてみると、駅前の観光協会で傘を貸してくれるとわかったので、それを借りて神社にお参りに行った。
なつかしい津和野の街を歩いていると、雪道を歩くのがだんだんたのしくなってきた。
津和野の神社は、太鼓谷稲荷神社という。祭神は宇迦之御魂大神(穀物の神様)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の二神で、どちらも女の神様である。
↑これは津和野のマリア教会 手前は鯉の堀(残念ながら鯉は写っていない)
喫茶店でコーヒーを飲んで、その後、まだ降り続く雪の中を歩いて、森鴎外旧居にまで行って来た。ここは駅から遠いのだが、文豪になど以前はまったく興味もわかなかった僕は、これまで何度も津和野に来ながらも、この鴎外旧居には行ったことがなかったのだ。 鴎外といえば、『舞姫』か。僕はまだ読んでいないが、これはドイツに留学した日本人(鴎外自身?)とドイツの美少女との恋愛を描いた話らしい。
津和野を後にすると、雪は止んだ。
雪道を歩くのがたのしいので、家に帰る前に、ご先祖様の墓に寄っていくことにした。前日にも行ったのだが、前日は雪が積もっていなかった。墓地への道は、午前中に一台車が通ったらしく轍があったが、その上に雪が積もり、人の足跡はまるでなかった。車の轍の間のバージンスノーをあるいた。雪が泣く。「きっくきっくきっく…」、そう、『雪渡り』(宮沢賢治)の、アレである。だれもいない正月の墓地は、白い帽子と白いドレスの「墓美人」でいっぱいだ。
かえる途中、僕のうしろを、SLが汽笛を鳴らし、走って行った。
なんだか特別な一日のように思えました。
←SL (雪のためか予定時刻を遅れて走っていたようだ)
それにしても僕の携帯による写真はどれもピンボケだ。使い方がきっと間違っている。
ステキな情景ですね。
故郷の墓も今頃雪の中です。(懐かしい…)
これははんどろやさんの実話ですよね。
まるで宮沢賢治の童話のような…冬景色なのに
ぽかぽか暖かいです。
田舎の道路はおおこんなにも広かったかと、帰省の初日は驚きました。
普段の生活では雪はカンベンという思いのほうが大きいのですが、いったん日常をわすれてたのしむと、こんなにも楽しいものかと思いました。