今日は、「相横歩取り」における郷田昌隆の新手と秘手(笑)について触れていきます。
基本図
この図は、初手より7六歩、3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金、2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛、8八角成、同銀、7六飛、7七銀 、7四飛、同飛、同歩
という「相横歩取り」でよくみられる変化に進んだところ。
ここでどう指すか、ですが、いまは▲4六角と指すのが定跡手。ほかに▲8二歩(同銀に5五角)と▲8三飛が指されている。
その三つの手以外の手をここで指したプロ棋士が二人だけいて、森内俊之(現名人)と郷田真隆(現九段A級棋士)です。いずれも20年ほど前に指された「新手」ですが、そのうち、郷田さんの指した“新手”について、今日は見ていこうと思います。
その“郷田新手”の前に、郷田さんの著書『指して楽しい横歩取り』(2002年フローラル出版)に書かれていた郷田さんの“秘手”を見つけましたので、まずそれを紹介します。
〔1〕“郷田の秘手8六飛”
石橋幸緒‐清水市代 1996年
この図は、前回記事で紹介した1996年女流王位戦の将棋ですが、上の相横歩取りの基本図から、先手4六角に、後手が8二歩(清水新手)と指して、8三歩、8四飛と進んだところ。
さらにこの図から、8八銀、8三飛、9六歩、7二銀、9五歩、6四歩、9四歩、同歩、9二歩、同香、9一飛以下、大熱戦が演じられ、「石橋-清水戦」は219手で石橋幸緒の勝ちとなりました。
さて、郷田真隆の著書は、図から、「8八銀、8三飛、9六歩」の後、「8六飛」と、こういう手もあると紹介しています。
こんな手があるとは知らなかった!
郷田本『指して楽しい横歩取り』は、「8六飛」以下、「9五歩、4六飛、同歩、4七角」となって――
(こうなって)「▲3八銀には、△1四角成で、次に△2八歩が残ります。後手も充分指せる形勢といえるでしょう。」と郷田さんは書いています。
なるほど、凄いですね。「8六飛」なんてかっこいい手があったんですね!
(この手については、本記事の最後にまた検討します。)
これがまず、 僕の紹介したかった“郷田の秘手”。 (本に書いてある時点で、“秘手”ではないんですけどね。秘手って言いたかったんです。)
◇定跡の研究◇
石橋幸緒‐清水市代 1996年
さて、もう一度この図に戻ります。先手の石橋さんは8八銀と指しました。定跡もそれを正着としているようですが――
ここで先手が、「8八飛」としたらどうなるのでしょうか。それを考えてみましょう。
変化図1
後手の8四飛に、先手が「8八飛」と打つ。アマならばこう指す人が多い気がしませんか。
じつはこの「8八飛」、所司和晴『横歩取り道場』にはちゃんと解説がされていて、「8八銀」に劣る手なのだという。というか、“後手良し”の変化になってしまう。
以下の変化は、その所司和晴『横歩取り道場』に書いてあったもの。
「8八同飛成、同銀、7二金」
変化図2
飛車を交換して7二金。これが正解手順なのだそうだ。
これは8四飛と打つ前と、先手の銀の位置が違っている。“違い”はそれだけである。銀が8八にバックしたことで、何が違うのか。
図から先手は、「8二歩成、同銀、8三歩、7三銀、同角成、同桂」、とやはり角を切る。そして「8一飛、7一飛、8二歩成」。
変化図3
「7七銀型」の時と、すこし攻め方が変わる。7三角成、同桂に、「7七銀型」の場合と同じように8二歩成、同金、7一飛と攻めるのは、6一飛、8三歩に、8一金というハッとするような受けがある。
参考図
先手が7三飛成と桂馬を取れば、9五角の「王手竜取り」が待っている。「7七銀型」ならこの「王手竜取り」はなかったというわけなのだ。参考図は後手良し。
変化図4
変化図3から、「8一飛、7二と、8五飛、7三と、9五角、7七桂、8九飛、6九銀、8八飛行成、同銀、同飛成、7八歩、4二玉」(変化図4)となって、「わずかに後手が有利」と所司本には書いてある。
A図 B図
整理しておくと
A図―8二歩成、同銀、8三歩、7三銀、同角成、同桂、8二歩成、同金、7一飛と攻めて、「先手良し」(『羽生の頭脳』、『横歩取り道場』) ただし微妙なところもある。
B図―8二歩成、同銀、8三歩、7三銀、同角成、同桂、8一飛、7一飛、8二歩成と攻めることになるが、「後手わずかに良し」。(『横歩取り道場』)
奥が深いっすね、定跡。
〔2〕“郷田新手2八歩” 郷田真隆‐田丸昇 1990年
4六角と打たず、「2八歩」(23手目)が郷田新手。当時19歳の郷田真隆四段が、40歳田丸昇七段を相手に披露した“新手”である。郷田はプロ1年目だった。
先手には△2七飛とか△2七角と打たれる傷がある。それを消して、「さあどうする?」と後手に手を渡す。これで後手の指し手が難しいだろう、というのである。
(しかしこういう手は、アマチュア好みではないですね。真似する人はいなさそうです。)
次に先手からの攻め筋としては▲5五角と、▲8三飛がある。その両方を同時に防ぐ手が後手にあるか。
後手が△2二銀とすれば、郷田の予定は▲8三飛。対して△8二歩なら、▲6三飛成で先手良し。なので▲8三飛には△8二飛だろうが、8四歩、7二金、8二飛成、同銀、8三角と打ち込んで先手良し。
また、図で△8二歩ならば、これは▲9六歩から9筋の歩を伸ばして、9四歩、同歩、9二歩、同香、9一飛の飛車打ちをねらう。この筋は▲4六角を打った時にも有効だった攻め筋だが、角を手持ちにしている分、さらに攻め筋が広がる。(先手の▲2八歩に対しても後手からの1筋の同様の攻め――△1八歩からの飛車打ち――があるのだが、先手の攻めが一歩速い。)
これが郷田真隆の意図であった。
田丸七段はどう指したか。
「7二金」と田丸は指した。
これには先手▲5五角がある。
ところがよく読んでみると、5五角、8五飛、8六飛、同飛、同銀、3三角が好手で、以下9一角成、9九角成、8一馬、8九馬となると8九馬が金取りになっていてこれは後手良し。△3三角に、同角成はどうか。3三同桂、2一飛の攻めには、2二角の受けがあって、これも先手ダメだ。
郷田は困った。田丸七段の「7二金」が正しい応手で、「2八歩」の郷田新手は不発になったのである。
これは1990年の対局。田丸昇はこの年の年頭、大山康晴と棋王戦の挑戦権を争った充実の時期であった。
不利を自覚して、郷田は5八玉。田丸3三桂。
ところが田丸の3三桂が失着。
3三桂とこの桂馬を跳ねると、2一飛と先手に打ち込む手が生じる。しかしそれは2二角の受けがあるから大丈夫、という田丸の読みだった。(局後、田丸の3三桂では5二玉が正着とされた。)
郷田の眼がキラ~ンと光り、3六歩。6二玉に、2一飛と郷田四段は打ち込んだ。
先手の2一飛。この場合は後手の2二角が成立しなくなっているのだった。2二角、3五歩、2三金、3四歩、同金、3二歩となるからである。これが郷田の3六歩の意味。
しかし田丸七段のほうは、2二角など元から考えてはいなかったかもしれない。田丸は7三桂から6五桂と跳ね、6六銀に、8六飛と打ち、8八歩に、6六飛と飛車切り。
なんて過激な攻めだ。
“攻め将棋”の田丸、技を駆使して、1二角打の飛金両取りを実現させた。
郷田は「二枚飛車」で迫る。
プロの将棋はやはりすごい。魅せる終盤だ。
田丸の2三香に、郷田は同飛成。以下、同馬、7一金、6七飛、5七桂、4五桂、2七玉、9六銀、9五銀、2六歩、1六玉、2四桂、2六玉、2五歩、同玉、3四金、同竜。
1四馬、3五玉、7一金、4三竜、まで85手、郷田の勝ち。
*過去記事 『“佐瀬流”vs郷田新手2四飛』 「郷田真隆-田丸昇戦 1991年」の将棋を採りあげています。
〔3〕“郷田新手7九金” 郷田真隆‐村山聖 1994年
「7九金」が、1994年に郷田真隆が23歳の時に指した“相横歩の郷田新手2弾”。相手は村山聖。村山は学年で言えば郷田の1コ上。もっとも村山聖は子供の時から学校にはほとんど行っていないのであるが。二人は麻雀仲間だったらしい。
さて、この「7九金」はどういう意味なのか。
たとえば後手が7二金とすれば、こんどこそ5五角で先手がよくなる。
「これで後手の指し手が難しいでしょう」というのが、郷田の主張なのでしょう。
村山聖、「7五歩」。
これが“最善の応手”なのだった。
プロってのは凄いですね。指された郷田さんも、田丸さんといい、村山聖といい、「新手に対し一発で急所を見抜いてくるな、さすがだ」と感心したようです。
「7五歩」は、7六歩とすればすぐに先手陣に7筋の歩の攻めが効くということ。たとえば、7六歩、6八銀、7七歩成、同銀、7八歩とすれば、郷田の「7九金」が無効になる。
先手は8三飛と打ち込み、後手は7六歩、6八銀、8二飛と応じた。
以下、同飛成、同銀、8三歩、7一銀、4六角、2八歩、同銀、8八歩、8二歩成、同銀、8七飛。
この応酬を見ても、「相横歩取り」の将棋はおもしろいですね。
郷田真隆はプロ3年目21歳の時に谷川浩司から4-2で「王位」のタイトルを奪取しています。翌年に羽生に奪われてしまうので、この「郷田-村山戦」(1994年王将戦)の時は無冠です。
後手村山の6五角。
8二飛成、4七角成、7二銀、同金、同竜、6一銀とすすむ。ここで8一竜と先手が指せば、後手は4六馬で角が取れる。
しかし4一金、同玉、6一竜、4二玉、2四角(王手)として、先手は角を逃がすことに成功。
以下、3三金、5八銀、1四馬。
先手は5八銀と受けに銀を投入したが、こうなってみるとしかし、先手の攻め駒が足らないか。
竜の王手に、2一玉と後手村山は逃げる。
ここでは後手、自信のある局面ではなかろうか。
しかし先手陣は堅い。
郷田は9一竜と香車と入手して、2四香。
どうもここでは逆転しているようだ。(解説がないのでどこがどうわるかったか判らない。)
投了図
村山聖、投了。
郷田新手は、「2八歩」も、「7九金」も、“不発”に終わったのですが、これによってさらに「相横歩取りの定跡」がより深められました。そして形勢やや苦しめになりながらも、結局は両局ともに勝利をもぎ取った郷田真隆、さすがの強さです。郷田さんがタイトル戦に何度も登場するのは、こういう、結果につなげる芯の強さがあるからでしょうか。
余談ですが、郷田さんは、プロレスを語らせたらプロ棋士で自分が一番という自信もあるようです。
*過去記事 『横歩を取らない男 羽生善治5』 村山聖と羽生善治の初対局の棋譜です。
◇“8六飛”の研究◇
さて、最後に、〔1〕の郷田流「8六飛」についてですが、郷田本の説明は、8六飛に、先手9五歩以下を説明していますが、9五歩以外の手を先手が指したらどうなるのでしょう?
郷田流の「8六飛」に、「2六飛」と打つと?
この手は次に、2四角(または7三角成)から王手をして、8六飛の「飛車の素抜き」のねらいがあいます。それと同時に、2一飛成もあり、後手は苦しそうに思えるのですが。
「6四角」という“返しワザ”がありますか。
2四角なら、5二玉(または3三歩)として、8六飛なら、同角が王手になり、5八玉、2七飛で後手良し。
(しかし6四角には、2一飛成で後手が困るか。)
また、「8六飛」はもともと4六飛~4七角がねらいなので、そのねらいを単純に消して「3八金」とすれば、後手はこのあとどうするのでしょう?
ぼんやりしていると、やはり先手からの9筋の攻め(9一飛のねらい)があるので、後手がたいへんな気がします。
郷田さんがこれを実戦では使っていないところをみると、やはり、まあ、そういうことかと。
今日はこのへんで。 次回は“森内新手8四歩”の将棋を採りあげます。
基本図
この図は、初手より7六歩、3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金、2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛、8八角成、同銀、7六飛、7七銀 、7四飛、同飛、同歩
という「相横歩取り」でよくみられる変化に進んだところ。
ここでどう指すか、ですが、いまは▲4六角と指すのが定跡手。ほかに▲8二歩(同銀に5五角)と▲8三飛が指されている。
その三つの手以外の手をここで指したプロ棋士が二人だけいて、森内俊之(現名人)と郷田真隆(現九段A級棋士)です。いずれも20年ほど前に指された「新手」ですが、そのうち、郷田さんの指した“新手”について、今日は見ていこうと思います。
その“郷田新手”の前に、郷田さんの著書『指して楽しい横歩取り』(2002年フローラル出版)に書かれていた郷田さんの“秘手”を見つけましたので、まずそれを紹介します。
〔1〕“郷田の秘手8六飛”
石橋幸緒‐清水市代 1996年
この図は、前回記事で紹介した1996年女流王位戦の将棋ですが、上の相横歩取りの基本図から、先手4六角に、後手が8二歩(清水新手)と指して、8三歩、8四飛と進んだところ。
さらにこの図から、8八銀、8三飛、9六歩、7二銀、9五歩、6四歩、9四歩、同歩、9二歩、同香、9一飛以下、大熱戦が演じられ、「石橋-清水戦」は219手で石橋幸緒の勝ちとなりました。
さて、郷田真隆の著書は、図から、「8八銀、8三飛、9六歩」の後、「8六飛」と、こういう手もあると紹介しています。
こんな手があるとは知らなかった!
郷田本『指して楽しい横歩取り』は、「8六飛」以下、「9五歩、4六飛、同歩、4七角」となって――
(こうなって)「▲3八銀には、△1四角成で、次に△2八歩が残ります。後手も充分指せる形勢といえるでしょう。」と郷田さんは書いています。
なるほど、凄いですね。「8六飛」なんてかっこいい手があったんですね!
(この手については、本記事の最後にまた検討します。)
これがまず、 僕の紹介したかった“郷田の秘手”。 (本に書いてある時点で、“秘手”ではないんですけどね。秘手って言いたかったんです。)
◇定跡の研究◇
石橋幸緒‐清水市代 1996年
さて、もう一度この図に戻ります。先手の石橋さんは8八銀と指しました。定跡もそれを正着としているようですが――
ここで先手が、「8八飛」としたらどうなるのでしょうか。それを考えてみましょう。
変化図1
後手の8四飛に、先手が「8八飛」と打つ。アマならばこう指す人が多い気がしませんか。
じつはこの「8八飛」、所司和晴『横歩取り道場』にはちゃんと解説がされていて、「8八銀」に劣る手なのだという。というか、“後手良し”の変化になってしまう。
以下の変化は、その所司和晴『横歩取り道場』に書いてあったもの。
「8八同飛成、同銀、7二金」
変化図2
飛車を交換して7二金。これが正解手順なのだそうだ。
これは8四飛と打つ前と、先手の銀の位置が違っている。“違い”はそれだけである。銀が8八にバックしたことで、何が違うのか。
図から先手は、「8二歩成、同銀、8三歩、7三銀、同角成、同桂」、とやはり角を切る。そして「8一飛、7一飛、8二歩成」。
変化図3
「7七銀型」の時と、すこし攻め方が変わる。7三角成、同桂に、「7七銀型」の場合と同じように8二歩成、同金、7一飛と攻めるのは、6一飛、8三歩に、8一金というハッとするような受けがある。
参考図
先手が7三飛成と桂馬を取れば、9五角の「王手竜取り」が待っている。「7七銀型」ならこの「王手竜取り」はなかったというわけなのだ。参考図は後手良し。
変化図4
変化図3から、「8一飛、7二と、8五飛、7三と、9五角、7七桂、8九飛、6九銀、8八飛行成、同銀、同飛成、7八歩、4二玉」(変化図4)となって、「わずかに後手が有利」と所司本には書いてある。
A図 B図
整理しておくと
A図―8二歩成、同銀、8三歩、7三銀、同角成、同桂、8二歩成、同金、7一飛と攻めて、「先手良し」(『羽生の頭脳』、『横歩取り道場』) ただし微妙なところもある。
B図―8二歩成、同銀、8三歩、7三銀、同角成、同桂、8一飛、7一飛、8二歩成と攻めることになるが、「後手わずかに良し」。(『横歩取り道場』)
奥が深いっすね、定跡。
〔2〕“郷田新手2八歩” 郷田真隆‐田丸昇 1990年
4六角と打たず、「2八歩」(23手目)が郷田新手。当時19歳の郷田真隆四段が、40歳田丸昇七段を相手に披露した“新手”である。郷田はプロ1年目だった。
先手には△2七飛とか△2七角と打たれる傷がある。それを消して、「さあどうする?」と後手に手を渡す。これで後手の指し手が難しいだろう、というのである。
(しかしこういう手は、アマチュア好みではないですね。真似する人はいなさそうです。)
次に先手からの攻め筋としては▲5五角と、▲8三飛がある。その両方を同時に防ぐ手が後手にあるか。
後手が△2二銀とすれば、郷田の予定は▲8三飛。対して△8二歩なら、▲6三飛成で先手良し。なので▲8三飛には△8二飛だろうが、8四歩、7二金、8二飛成、同銀、8三角と打ち込んで先手良し。
また、図で△8二歩ならば、これは▲9六歩から9筋の歩を伸ばして、9四歩、同歩、9二歩、同香、9一飛の飛車打ちをねらう。この筋は▲4六角を打った時にも有効だった攻め筋だが、角を手持ちにしている分、さらに攻め筋が広がる。(先手の▲2八歩に対しても後手からの1筋の同様の攻め――△1八歩からの飛車打ち――があるのだが、先手の攻めが一歩速い。)
これが郷田真隆の意図であった。
田丸七段はどう指したか。
「7二金」と田丸は指した。
これには先手▲5五角がある。
ところがよく読んでみると、5五角、8五飛、8六飛、同飛、同銀、3三角が好手で、以下9一角成、9九角成、8一馬、8九馬となると8九馬が金取りになっていてこれは後手良し。△3三角に、同角成はどうか。3三同桂、2一飛の攻めには、2二角の受けがあって、これも先手ダメだ。
郷田は困った。田丸七段の「7二金」が正しい応手で、「2八歩」の郷田新手は不発になったのである。
これは1990年の対局。田丸昇はこの年の年頭、大山康晴と棋王戦の挑戦権を争った充実の時期であった。
不利を自覚して、郷田は5八玉。田丸3三桂。
ところが田丸の3三桂が失着。
3三桂とこの桂馬を跳ねると、2一飛と先手に打ち込む手が生じる。しかしそれは2二角の受けがあるから大丈夫、という田丸の読みだった。(局後、田丸の3三桂では5二玉が正着とされた。)
郷田の眼がキラ~ンと光り、3六歩。6二玉に、2一飛と郷田四段は打ち込んだ。
先手の2一飛。この場合は後手の2二角が成立しなくなっているのだった。2二角、3五歩、2三金、3四歩、同金、3二歩となるからである。これが郷田の3六歩の意味。
しかし田丸七段のほうは、2二角など元から考えてはいなかったかもしれない。田丸は7三桂から6五桂と跳ね、6六銀に、8六飛と打ち、8八歩に、6六飛と飛車切り。
なんて過激な攻めだ。
“攻め将棋”の田丸、技を駆使して、1二角打の飛金両取りを実現させた。
郷田は「二枚飛車」で迫る。
プロの将棋はやはりすごい。魅せる終盤だ。
田丸の2三香に、郷田は同飛成。以下、同馬、7一金、6七飛、5七桂、4五桂、2七玉、9六銀、9五銀、2六歩、1六玉、2四桂、2六玉、2五歩、同玉、3四金、同竜。
1四馬、3五玉、7一金、4三竜、まで85手、郷田の勝ち。
*過去記事 『“佐瀬流”vs郷田新手2四飛』 「郷田真隆-田丸昇戦 1991年」の将棋を採りあげています。
〔3〕“郷田新手7九金” 郷田真隆‐村山聖 1994年
「7九金」が、1994年に郷田真隆が23歳の時に指した“相横歩の郷田新手2弾”。相手は村山聖。村山は学年で言えば郷田の1コ上。もっとも村山聖は子供の時から学校にはほとんど行っていないのであるが。二人は麻雀仲間だったらしい。
さて、この「7九金」はどういう意味なのか。
たとえば後手が7二金とすれば、こんどこそ5五角で先手がよくなる。
「これで後手の指し手が難しいでしょう」というのが、郷田の主張なのでしょう。
村山聖、「7五歩」。
これが“最善の応手”なのだった。
プロってのは凄いですね。指された郷田さんも、田丸さんといい、村山聖といい、「新手に対し一発で急所を見抜いてくるな、さすがだ」と感心したようです。
「7五歩」は、7六歩とすればすぐに先手陣に7筋の歩の攻めが効くということ。たとえば、7六歩、6八銀、7七歩成、同銀、7八歩とすれば、郷田の「7九金」が無効になる。
先手は8三飛と打ち込み、後手は7六歩、6八銀、8二飛と応じた。
以下、同飛成、同銀、8三歩、7一銀、4六角、2八歩、同銀、8八歩、8二歩成、同銀、8七飛。
この応酬を見ても、「相横歩取り」の将棋はおもしろいですね。
郷田真隆はプロ3年目21歳の時に谷川浩司から4-2で「王位」のタイトルを奪取しています。翌年に羽生に奪われてしまうので、この「郷田-村山戦」(1994年王将戦)の時は無冠です。
後手村山の6五角。
8二飛成、4七角成、7二銀、同金、同竜、6一銀とすすむ。ここで8一竜と先手が指せば、後手は4六馬で角が取れる。
しかし4一金、同玉、6一竜、4二玉、2四角(王手)として、先手は角を逃がすことに成功。
以下、3三金、5八銀、1四馬。
先手は5八銀と受けに銀を投入したが、こうなってみるとしかし、先手の攻め駒が足らないか。
竜の王手に、2一玉と後手村山は逃げる。
ここでは後手、自信のある局面ではなかろうか。
しかし先手陣は堅い。
郷田は9一竜と香車と入手して、2四香。
どうもここでは逆転しているようだ。(解説がないのでどこがどうわるかったか判らない。)
投了図
村山聖、投了。
郷田新手は、「2八歩」も、「7九金」も、“不発”に終わったのですが、これによってさらに「相横歩取りの定跡」がより深められました。そして形勢やや苦しめになりながらも、結局は両局ともに勝利をもぎ取った郷田真隆、さすがの強さです。郷田さんがタイトル戦に何度も登場するのは、こういう、結果につなげる芯の強さがあるからでしょうか。
余談ですが、郷田さんは、プロレスを語らせたらプロ棋士で自分が一番という自信もあるようです。
*過去記事 『横歩を取らない男 羽生善治5』 村山聖と羽生善治の初対局の棋譜です。
◇“8六飛”の研究◇
さて、最後に、〔1〕の郷田流「8六飛」についてですが、郷田本の説明は、8六飛に、先手9五歩以下を説明していますが、9五歩以外の手を先手が指したらどうなるのでしょう?
郷田流の「8六飛」に、「2六飛」と打つと?
この手は次に、2四角(または7三角成)から王手をして、8六飛の「飛車の素抜き」のねらいがあいます。それと同時に、2一飛成もあり、後手は苦しそうに思えるのですが。
「6四角」という“返しワザ”がありますか。
2四角なら、5二玉(または3三歩)として、8六飛なら、同角が王手になり、5八玉、2七飛で後手良し。
(しかし6四角には、2一飛成で後手が困るか。)
また、「8六飛」はもともと4六飛~4七角がねらいなので、そのねらいを単純に消して「3八金」とすれば、後手はこのあとどうするのでしょう?
ぼんやりしていると、やはり先手からの9筋の攻め(9一飛のねらい)があるので、後手がたいへんな気がします。
郷田さんがこれを実戦では使っていないところをみると、やはり、まあ、そういうことかと。
今日はこのへんで。 次回は“森内新手8四歩”の将棋を採りあげます。