宇宙に「絶世の美女」が存在する…?
…かどうかそれは判らないが、いたほうが素敵だ。いてほしい。それがSFファンの願いというものだ。
そして「美女」とくれば、「野獣」がいる、これもお決まりのようなもの。そして、野獣に手篭めにされそうになる美女をたすけるために現われる、「英雄」。
英雄、美女、野獣、これがスペース・オペラの黄金の公式である。
今日はそんな、美女と宇宙怪物の登場する、二つの宇宙活劇小説をご紹介。
『火星のプリンセス』(火星シリーズ)と、それから、『生け捕りカーライル』シリーズ。
『火星のプリンセス』のほうは有名だ。作者はエドガー・ライス・バローズで、彼の書いたものでは、『ターザン』シリーズ(これはSFではないが)がもっと有名。 他にも<金星シリーズ>、<月シリーズ>、<地底シリーズ>などたくさんある。
僕はこども版の『地底のペルシダー』をワクワクしながら読んだことを記憶しているが、その内容はすっかり忘れてしまった。そのうち、(今度は大人版で)読んでみるつもりだ。「地球空洞説」というものが、かなり古くから伝説としてあって、そこには地底人が住んでいて、地底の太陽もあって、やっぱり美女もいるのである。
『火星のプリンセス』をはじめ、バローズの日本語版文庫シリーズの表紙や挿絵を描いているのは武部本一郎である。少年時代に彼の絵に魅了された人は多い。なんといっても「美女」が素晴らしい。
この『火星のプリンセス』を、僕はこのブログを書き始めた頃、4年前に、図書館から借りてきて読んだ。その頃、火星が大接近していたのだ。 E・R・バローズの小説は、ストーリーもアイデアも生き生きしているので、人気が高い。食べ物にたとえて言えば、食べれば食べるほど食欲が増す食べ物なのである。
ただし、「これがSFか?」となると、いやSFとはいえない、ファンタジーだなどと、定義にうるさい人は言う。 というのも、この『火星のプリンセス』の場合、主人公ジョン・カーター大尉は、どうやって地球から火星にまで行ったかといえば、「幽体離脱」というまったく科学的でないやり方で火星にまで飛んでいったのである。
〔…わたしの関心はすぐさま、かなたの地平線のきわにある一つの大きな赤い星に釘づけにされた。じっとみつめていると、圧倒されるような、恍惚状態に引きこまれるのを感じた___あれはマース(Mars、火星)、軍神だ。わたしのような軍人にとっては、常に抗しがたい魅力を秘めている星である。過ぎ去った遠い昔のあの夜のこと、わたしがじっとみつめていると、あの星は想像を絶する空間を越えてわたしを誘い、磁石が鉄片を吸いよせるように、わたしを招きよせているるように思えた。〕
そして、ジョン・カーターは(1866年3月3日のことだった)、火星へと飛んだのである。 火星に、「吸いよせられた」のだ。
すると火星には、緑色人という腕が四本ある化け物のような乱暴な種族と、赤色人という穏やかな種族がいて、その赤色人の王女が「絶世の美女」なのである。この火星のプリンセスの名前は、デリジャー・ソリスという。
たしかに、科学的ではないかもしれない。 まあしかし、大目にみようではないか。ここに描かれた火星人はタマゴから生まれる単性生殖だし、空を飛ぶ船は出てくるし、「大気製造工場」なんてのもある。宇宙活劇にはちがいない。 大事なことは、「面白い」ということ。
そう、とにかくこのE・R・バローズの書くものは面白いので、大人気だったのである。
E・R・バローズが一番最初に書いた小説が<火星シリーズ>の第一作目『火星のプリンセス』なのである。ただし、初めは『火星の月の下に』というタイトルだった。
1911年、35歳の時に、バローズはこの小説を書いた。元々は軍人になりたくてしかたがない、という人だったようだが、その夢は実現せず、結婚して家庭をもつが、色々な事業をしてみるがどれも上手くゆかず…。そんな時にバローズは新聞小説を読み、それがあまりにつまらないので、「これなら自分が書いたほうが面白いのでは?」と思い、それで書いてみた。 それが『火星の月の下に』である。
この<火星シリーズ>が掲載されたのは、<オール・ストーリー>という雑誌で、まだSFという概念もない時代である。 (史上初のSF専門誌<アメージング・ストーリーズ>の創刊は1926年である。)
次は、『生け捕りカーライル』シリーズ。作者はアーサー・K・バーンズという。
一番上に掲げた絵は、僕が描いたものだが、この物語の日本語版である『惑星間の狩人』(創元推理文庫)の中のBEM(怪物)の挿絵を見て描いた。美女(ゲーリー・カーライル)のほうは、僕の想像で描いたもの。
「ゲーリー・カーライル」というのがこの物語の主人公の名前で、これも宇宙を駆け巡る英雄なのだが、これは女性、ヒロインなのである。 もちろん、もの凄い美女であることは言うまでもない。 (当然である。宇宙のヒロインなのだから。) 性格は姐御肌、男にナメられようものならとことん闘う、こうと思い込むとテコでも動かない。
ゲーリー・カーライルは、宇宙船箱舟号に乗り、太陽系を駆け巡り、ありとあらゆる宇宙生物を捕獲して「ロンドン・惑星間動物園」に送り込む、それが彼女の仕事である。彼女はその「動物園」の専属スタッフなのだ。 そして、なにより、変わった宇宙生物を捕獲することが、ゲーリーは大好きなのだった。
「生け捕りカーライル」 …それが彼女につけられたニックネームである。
その宇宙生物の捕獲が難しければ難しいほど彼女は嬉しい。そんな生物がいるとわかったら彼女はいてもたってっもいられない。なんとかしてそいつを生け捕りにしようと秘術をつくす。ゲーリー・カーライルとは、そのような美女である。
たとえばこんな生物。タバコの煙が大好きで紫煙の香りをかぐとスピードに乗って体当たりをかけてくるので、愛煙家を怖れさせている金星のカブト虫。首が三つあるゴリラみたいな顔の怪獣。クリスマスツリーのような生物。
このシリーズが書かれたのは、1937年から。<スリリング・ワンダー・ストーリーズ>誌に掲載された。
僕がいま、こういう話を紹介しているのは、20世紀の前半のSFというものは、このように、「宇宙は生命で満ちている」という感覚であったということを言いたいためだ。宇宙には様々な珍妙な生き物が生息していて、絶世の美女だっていたのである。 (だって美女がいなきゃ、宇宙はつまらないですからね!)
もうすこし、この『ゲーリー・カーライル』を紹介しよう。第4話では、カットナーという作家の<月のハリウッド・シリーズ>と合流する。『月のハリウッド』は、フォン・ツォーンという月で映画撮影所「九惑星映画株式会社」を持っている男が主役なのだが、そのフォン・ツォーンがゲーリー・カーライルの美貌とスター性に目をつけ、金にものを言わせて彼女を映画に出させようとする。 が、もちろん、ゲーリーはそんなことに興味はないし、「ナメタラアカンゼヨ!」な性格であるから、猛烈な肘鉄砲をフォン・ツォーンに食らわせる。 あの女は金では動かない、こうなりゃ、エサが必要だ、つまり「珍生物」だと、大金を投じて水星にロボットを送り込んで、珍種の生物を手に入れた。それをエサに、ゲーリーをくどく。さすがのゲーリーもこれにはちょっとグラッとくるが、思いとどまる。
フォン・ツォーンが月に持ち帰ったこの生物、実は電気エネルギーが大好物。そいつがどんどん増殖しながら、ルナ・シティの発電所の電気をすべて食ってしまう。さあ、たいへん。 ルナ・シティは破滅寸前。
そこにさっそうと現われたのが、宇宙ヒロイン、ゲーリー・カーライル。 その電気生物どもをみんなショートさせて退治した。
ところが、転んでもただで起きないフォン・ツォーン氏、そのゲーリーの活躍の一部始終をこっそり撮影していたのだった。結果、この世紀の大作を映画公開して大もうけ。
ゲーリー・カーライルは、くやしくて地団駄を踏んだのであった。
___というような話。
さて続いて第5話「アルマテッセン彗星」。
太陽系に巨大な彗星がやってきた。どうやらその彗星には生命が住んでいる様子がある。
ゲーリーはウキウキとして出かけた。そこで見つけたのは、「青い球」…。 どうやらこれは知的生命体らしい。(プロテアンと命名された。) よし、まずお友達になって、あとで宇宙船に引っぱりこもうとゲーリーは考えた。「ヨロシク」と友好の証し右手を差し出したゲーリー。するとその生命体、青い球は風船のようにふくらんで、あらら、その中にゲーリーを飲みこんでしまった。
「生け捕りカーライル」が、生け捕られてしまったのだ!!
ゲーリー・カーライルが戻らないので心配した「動物園」のスタッフが行ってみると、そこにはいくつかの「青い球」が浮かんでいる。なにやら話をしているようだ。ゲーリーはそのうちの一つの球の中で気を失っている。助けに行った仲間も捕まってしまい、さあたいへん。
そこへうじゃうじゃと別の怪物が現われてきた。よく見ればその怪物たち、どこかで見たことがあるものばかり。実はその怪物たちは、ゲーリー・カーライルが過去に捕獲した怪物なのである。ゲーリーの意識の中からそれらの怪物のイメージを、あの「青い球」が読み取り、実体化させていたのだった。にせもののゲーリー・カーライルまで出現した。
おっと、そこに今度は「赤い球」の一群が出現。「青い球」と「赤い球」がケンカをはじめたようだ! そのどさくさにまぎれて、ゲーリーは救出され、逃げ出すことに成功。
しかしまだ、捕らえられたままの仲間がいる。救出しなければ。
「青い球」4つ、「赤い球」3つ、これがどうやらこのアルマテッセン彗星の全住民のようだ。かれらはお互いにイメージを実体化させて、闘っている。さらによくよく調べてみると、彼らの「ケンカ」は、終わりのないチェスゲームのようなもので、退屈なあまりに遊んでいるようなものらしいと判明。
すったもんだがあったのち、ゲーリーたちは仲間を救出、その生命体とは仲直り。
そして…
…こりゃ、きりがない。 そろそろこのへんで、やめておこう。
しかし…、「へんな生物」の棲む宇宙の、なんと楽しいことか!
これはE・R・バローズ『地底のペルシダー』の武部本一郎氏による挿絵。この美女はダイアナ。 僕は火星のプリンセス・デリジャー・ソリスよりだんぜんこっちのほうが…。
月を眺めてきた人類は、どうやら月に生物はいなさそうだと、実はずっと前から気づいていた。月には、空気も水もないようだ。望遠鏡でみれば、ますますそれははっきりする。
というわけで、火星である。金星、木星、ガニメデである。20世紀前半のSF創世記の作家達は、火星や金星などに、生き生きした「生命」という夢の花を咲かせたのである。
ところで、宇宙の怪物は、SF世界では「BEM(ベム)」という。これは、なんとなくそうなったようだが、語源は「Bug-Eyed Monster」の略。 (直訳すると「昆虫の眼をした怪物」となる。)
次回はいよいよ『宇宙のスカイラーク』について、書きます。 E・E・スミスによるこの作品は、SF史を語るならば必ず触れなければならない、そんな重要なもののようです。
…かどうかそれは判らないが、いたほうが素敵だ。いてほしい。それがSFファンの願いというものだ。
そして「美女」とくれば、「野獣」がいる、これもお決まりのようなもの。そして、野獣に手篭めにされそうになる美女をたすけるために現われる、「英雄」。
英雄、美女、野獣、これがスペース・オペラの黄金の公式である。
今日はそんな、美女と宇宙怪物の登場する、二つの宇宙活劇小説をご紹介。
『火星のプリンセス』(火星シリーズ)と、それから、『生け捕りカーライル』シリーズ。
『火星のプリンセス』のほうは有名だ。作者はエドガー・ライス・バローズで、彼の書いたものでは、『ターザン』シリーズ(これはSFではないが)がもっと有名。 他にも<金星シリーズ>、<月シリーズ>、<地底シリーズ>などたくさんある。
僕はこども版の『地底のペルシダー』をワクワクしながら読んだことを記憶しているが、その内容はすっかり忘れてしまった。そのうち、(今度は大人版で)読んでみるつもりだ。「地球空洞説」というものが、かなり古くから伝説としてあって、そこには地底人が住んでいて、地底の太陽もあって、やっぱり美女もいるのである。
『火星のプリンセス』をはじめ、バローズの日本語版文庫シリーズの表紙や挿絵を描いているのは武部本一郎である。少年時代に彼の絵に魅了された人は多い。なんといっても「美女」が素晴らしい。
この『火星のプリンセス』を、僕はこのブログを書き始めた頃、4年前に、図書館から借りてきて読んだ。その頃、火星が大接近していたのだ。 E・R・バローズの小説は、ストーリーもアイデアも生き生きしているので、人気が高い。食べ物にたとえて言えば、食べれば食べるほど食欲が増す食べ物なのである。
ただし、「これがSFか?」となると、いやSFとはいえない、ファンタジーだなどと、定義にうるさい人は言う。 というのも、この『火星のプリンセス』の場合、主人公ジョン・カーター大尉は、どうやって地球から火星にまで行ったかといえば、「幽体離脱」というまったく科学的でないやり方で火星にまで飛んでいったのである。
〔…わたしの関心はすぐさま、かなたの地平線のきわにある一つの大きな赤い星に釘づけにされた。じっとみつめていると、圧倒されるような、恍惚状態に引きこまれるのを感じた___あれはマース(Mars、火星)、軍神だ。わたしのような軍人にとっては、常に抗しがたい魅力を秘めている星である。過ぎ去った遠い昔のあの夜のこと、わたしがじっとみつめていると、あの星は想像を絶する空間を越えてわたしを誘い、磁石が鉄片を吸いよせるように、わたしを招きよせているるように思えた。〕
そして、ジョン・カーターは(1866年3月3日のことだった)、火星へと飛んだのである。 火星に、「吸いよせられた」のだ。
すると火星には、緑色人という腕が四本ある化け物のような乱暴な種族と、赤色人という穏やかな種族がいて、その赤色人の王女が「絶世の美女」なのである。この火星のプリンセスの名前は、デリジャー・ソリスという。
たしかに、科学的ではないかもしれない。 まあしかし、大目にみようではないか。ここに描かれた火星人はタマゴから生まれる単性生殖だし、空を飛ぶ船は出てくるし、「大気製造工場」なんてのもある。宇宙活劇にはちがいない。 大事なことは、「面白い」ということ。
そう、とにかくこのE・R・バローズの書くものは面白いので、大人気だったのである。
E・R・バローズが一番最初に書いた小説が<火星シリーズ>の第一作目『火星のプリンセス』なのである。ただし、初めは『火星の月の下に』というタイトルだった。
1911年、35歳の時に、バローズはこの小説を書いた。元々は軍人になりたくてしかたがない、という人だったようだが、その夢は実現せず、結婚して家庭をもつが、色々な事業をしてみるがどれも上手くゆかず…。そんな時にバローズは新聞小説を読み、それがあまりにつまらないので、「これなら自分が書いたほうが面白いのでは?」と思い、それで書いてみた。 それが『火星の月の下に』である。
この<火星シリーズ>が掲載されたのは、<オール・ストーリー>という雑誌で、まだSFという概念もない時代である。 (史上初のSF専門誌<アメージング・ストーリーズ>の創刊は1926年である。)
次は、『生け捕りカーライル』シリーズ。作者はアーサー・K・バーンズという。
一番上に掲げた絵は、僕が描いたものだが、この物語の日本語版である『惑星間の狩人』(創元推理文庫)の中のBEM(怪物)の挿絵を見て描いた。美女(ゲーリー・カーライル)のほうは、僕の想像で描いたもの。
「ゲーリー・カーライル」というのがこの物語の主人公の名前で、これも宇宙を駆け巡る英雄なのだが、これは女性、ヒロインなのである。 もちろん、もの凄い美女であることは言うまでもない。 (当然である。宇宙のヒロインなのだから。) 性格は姐御肌、男にナメられようものならとことん闘う、こうと思い込むとテコでも動かない。
ゲーリー・カーライルは、宇宙船箱舟号に乗り、太陽系を駆け巡り、ありとあらゆる宇宙生物を捕獲して「ロンドン・惑星間動物園」に送り込む、それが彼女の仕事である。彼女はその「動物園」の専属スタッフなのだ。 そして、なにより、変わった宇宙生物を捕獲することが、ゲーリーは大好きなのだった。
「生け捕りカーライル」 …それが彼女につけられたニックネームである。
その宇宙生物の捕獲が難しければ難しいほど彼女は嬉しい。そんな生物がいるとわかったら彼女はいてもたってっもいられない。なんとかしてそいつを生け捕りにしようと秘術をつくす。ゲーリー・カーライルとは、そのような美女である。
たとえばこんな生物。タバコの煙が大好きで紫煙の香りをかぐとスピードに乗って体当たりをかけてくるので、愛煙家を怖れさせている金星のカブト虫。首が三つあるゴリラみたいな顔の怪獣。クリスマスツリーのような生物。
このシリーズが書かれたのは、1937年から。<スリリング・ワンダー・ストーリーズ>誌に掲載された。
僕がいま、こういう話を紹介しているのは、20世紀の前半のSFというものは、このように、「宇宙は生命で満ちている」という感覚であったということを言いたいためだ。宇宙には様々な珍妙な生き物が生息していて、絶世の美女だっていたのである。 (だって美女がいなきゃ、宇宙はつまらないですからね!)
もうすこし、この『ゲーリー・カーライル』を紹介しよう。第4話では、カットナーという作家の<月のハリウッド・シリーズ>と合流する。『月のハリウッド』は、フォン・ツォーンという月で映画撮影所「九惑星映画株式会社」を持っている男が主役なのだが、そのフォン・ツォーンがゲーリー・カーライルの美貌とスター性に目をつけ、金にものを言わせて彼女を映画に出させようとする。 が、もちろん、ゲーリーはそんなことに興味はないし、「ナメタラアカンゼヨ!」な性格であるから、猛烈な肘鉄砲をフォン・ツォーンに食らわせる。 あの女は金では動かない、こうなりゃ、エサが必要だ、つまり「珍生物」だと、大金を投じて水星にロボットを送り込んで、珍種の生物を手に入れた。それをエサに、ゲーリーをくどく。さすがのゲーリーもこれにはちょっとグラッとくるが、思いとどまる。
フォン・ツォーンが月に持ち帰ったこの生物、実は電気エネルギーが大好物。そいつがどんどん増殖しながら、ルナ・シティの発電所の電気をすべて食ってしまう。さあ、たいへん。 ルナ・シティは破滅寸前。
そこにさっそうと現われたのが、宇宙ヒロイン、ゲーリー・カーライル。 その電気生物どもをみんなショートさせて退治した。
ところが、転んでもただで起きないフォン・ツォーン氏、そのゲーリーの活躍の一部始終をこっそり撮影していたのだった。結果、この世紀の大作を映画公開して大もうけ。
ゲーリー・カーライルは、くやしくて地団駄を踏んだのであった。
___というような話。
さて続いて第5話「アルマテッセン彗星」。
太陽系に巨大な彗星がやってきた。どうやらその彗星には生命が住んでいる様子がある。
ゲーリーはウキウキとして出かけた。そこで見つけたのは、「青い球」…。 どうやらこれは知的生命体らしい。(プロテアンと命名された。) よし、まずお友達になって、あとで宇宙船に引っぱりこもうとゲーリーは考えた。「ヨロシク」と友好の証し右手を差し出したゲーリー。するとその生命体、青い球は風船のようにふくらんで、あらら、その中にゲーリーを飲みこんでしまった。
「生け捕りカーライル」が、生け捕られてしまったのだ!!
ゲーリー・カーライルが戻らないので心配した「動物園」のスタッフが行ってみると、そこにはいくつかの「青い球」が浮かんでいる。なにやら話をしているようだ。ゲーリーはそのうちの一つの球の中で気を失っている。助けに行った仲間も捕まってしまい、さあたいへん。
そこへうじゃうじゃと別の怪物が現われてきた。よく見ればその怪物たち、どこかで見たことがあるものばかり。実はその怪物たちは、ゲーリー・カーライルが過去に捕獲した怪物なのである。ゲーリーの意識の中からそれらの怪物のイメージを、あの「青い球」が読み取り、実体化させていたのだった。にせもののゲーリー・カーライルまで出現した。
おっと、そこに今度は「赤い球」の一群が出現。「青い球」と「赤い球」がケンカをはじめたようだ! そのどさくさにまぎれて、ゲーリーは救出され、逃げ出すことに成功。
しかしまだ、捕らえられたままの仲間がいる。救出しなければ。
「青い球」4つ、「赤い球」3つ、これがどうやらこのアルマテッセン彗星の全住民のようだ。かれらはお互いにイメージを実体化させて、闘っている。さらによくよく調べてみると、彼らの「ケンカ」は、終わりのないチェスゲームのようなもので、退屈なあまりに遊んでいるようなものらしいと判明。
すったもんだがあったのち、ゲーリーたちは仲間を救出、その生命体とは仲直り。
そして…
…こりゃ、きりがない。 そろそろこのへんで、やめておこう。
しかし…、「へんな生物」の棲む宇宙の、なんと楽しいことか!
これはE・R・バローズ『地底のペルシダー』の武部本一郎氏による挿絵。この美女はダイアナ。 僕は火星のプリンセス・デリジャー・ソリスよりだんぜんこっちのほうが…。
月を眺めてきた人類は、どうやら月に生物はいなさそうだと、実はずっと前から気づいていた。月には、空気も水もないようだ。望遠鏡でみれば、ますますそれははっきりする。
というわけで、火星である。金星、木星、ガニメデである。20世紀前半のSF創世記の作家達は、火星や金星などに、生き生きした「生命」という夢の花を咲かせたのである。
ところで、宇宙の怪物は、SF世界では「BEM(ベム)」という。これは、なんとなくそうなったようだが、語源は「Bug-Eyed Monster」の略。 (直訳すると「昆虫の眼をした怪物」となる。)
次回はいよいよ『宇宙のスカイラーク』について、書きます。 E・E・スミスによるこの作品は、SF史を語るならば必ず触れなければならない、そんな重要なもののようです。